第66回:日本赤毛布旅行 その2
更新日2008/06/26
昨年は京都の"焚き火能"に生徒さん全員を連れて行きました。毎年平安神宮境内で行われる伝統ある行事です。
その日はとても寒く、焚き火は照明としてよりも焚き火に寄り添って温まりたいくらいでした。私に能に関する基本的な知識すらなく、手渡されたカタログ案内を生徒さんたちに英訳し、教えることくらいしかできません。
しかし、それにしてもなんという動きでしょう。はじめは本当に役者さんたちが寒さのため凍りつき体が思うように動かなくなったのかなと思ったほど、一つひとつの動作が遅く、しかも停止している時間が無限に長く感じるので、この動きから物語を追うには天文学的な想像力が必要です。南米のジャングルに住むナマケモノが地上に下りても、もっとすばやい動きができるではないかしら。
生徒さんたちは皆が皆、退屈しきって寒さに震えて、日本文化を知るには絶大な忍耐力が必要とされることを体験しているようでした。この先生に連れられてとんでもないモノを見せられたと顔にありありと現れているのです。
お詫びという意味ではありませんが、生徒さんさんたちを寒さから解放し元気つけるため、帰りに全員引き連れて回転寿司をご馳走しなければなりませんでした。
さて今年の日本文化を覗き見るイベントは…、両国のホテルがなんと国技館の真ん前でしかも本場所開催中だったのです。私自身は大相撲をなんとしてでも見たいところでしたが、でも自分の趣味を生徒さんに押し付けるのは気が引けますし、入場券を手に入れるのは当日では非常に難しく、たとえあってもとても高いので、お相撲さんたちが国技館に出入りするのを上から眺めるだけで我慢して、生徒さんを歌舞伎に連れて行ったのです。それに私のグループに今すぐにお相撲に出れそうな体型の女生徒がいたので、すこし気を使ったとこもありますが。
総勢14名引き連れ開演の1時間以上前に歌舞伎座の窓口に並び、最上階の一幕席の切符を買って席に着きました。
出し物は『白浪五人男』でした。幕が上がると私のすぐ斜め前に座っていたおじさんが、「高島屋!」とかなんとか大声で叫んだのです。私はその時"歌舞伎にも大相撲と同じような垂れ幕の宣伝でもあるかしら、それとも、気狂いの後ろの席に座ってしまったのかしら"と自分の不運を嘆いていたところ、ズーット離れた席にいる他のおじさんも"ナントカモン"とか叫び、役者が登場するたびにあちらこちらから掛け声が響き渡りはじめたのです。これには驚きました。
日本では邦楽、洋楽を問わず随分コンサートや演劇、大学祭、公演に出かけていますが、これほどにぎやかな観客はスポーツの試合でしかお目にかかったことがありません。満員電車の中でさえ水を打ったように静まり返っているお国柄なのに、この騒々しさはどうしたことでしょう。いざ歌舞伎を観劇するとなると血が騒ぐのでしょうか、掛け声をかけ、大声でひいきの役者の名を呼ぶのが"伝統的な正しい"歌舞伎の見方なのでしょうか。
歌舞伎は動きや音が派手なので、そのうえ英語のイヤホーンを借りることができたので、皆とても楽しみました。帰りに歌舞伎座すぐ近くにある焼き魚屋さんへ皆で行きました。これも大ヒット、大正解で、たとえ焼く魚でも新鮮なものはひと味もふた味も違うものだと実感させられました。お箸で小骨を取るのに苦労しながらも半分くらいの生徒さんはおいしい、おいしいを連発していました。東京にいる間、私はホテルの夕食をキャンセルして、この焼き魚屋さんに通いつめたのです。
コロラドの田舎町に帰り、チョット化石化した元日本人らしい私のだんなさんに、日本旅行のこと、広島の原爆平和記念館、能、歌舞伎のことを話してきかせました。ところがこの元日本人は広島に行ったこともなければ、能 狂言、歌舞伎などテレビでも見たことがないと言うのです。ところが話が『白浪五人男』に及ぶと突然、「知らざ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ガ浜……」と唸り始めたのです。
なーんだ、よく知っているじゃないのと半ば感心したところ、何でも彼の同級生で酔っ払うとこのくだりをがなりたてる人がいて、嫌でも記憶に残ってしまったというのです。
日本文化は酔っ払い文化に飲み込まれてしまったのかしら?
第67回:日本赤毛布旅行 その3