第683回:男性にとっての理想の人生は?
コロナ禍で好きな旅行にも出られず、音楽会にも行けないとなると、今できる範囲で何を一番やりたいか、どうやってこれから、いつ終わるとも分からないコロナ終焉までを過ごすか問題になってきました。いかに今まで自由気ままに動き回っていたか、一旦それが制限されると、一挙に生きがいと言うのか、楽しみが半減、激減してしまい、自分の内面生活の貧しさを思い知らされました。
コロナ禍が終わるまでではなく、一体理想的な人生、生き方とは何なのでしょう? もちろん個人個人、人によって理想は違うし、同じ人でも青年期、壮年期、老年期によって理想は異なってくることでしょう。
おそらく、ではなく、まず確実に男性が言い出したことだと確信していますが、“西洋の家に住み、中華料理を食べ、日本人の奥さんを持つことが理想だ”という諺があります。確かに、一昔前の日本の家屋は換気が良すぎる? 隙間風があらゆる方向から入り込み、吹き抜けますから、綿をフンダンに入れたチャンチャンコを着て、背中を丸めてコタツに入るのが冬の過ごし方でした。暖房なぞ薬にしたくもなく、家全体を暖めるなんて想像外のことでした。
そうなると、やはり家は西洋式の方が過ごし易いといえます。地中海に面した国以外の北欧、ドイツなどでは、部屋全体、家全体を暖かくしなければとても冬を越せません。
日本の本州、四国、九州の冬は、我慢が効く程度の寒さ、凍死せずにコタツで間に合わせることができる寒さなのかもしれません。それにしても、半世紀前に大阪で過ごした冬の寒さ、凍った家での生活は、私にとって異常な体験でした。皆、こんな風に冬を過ごしていることに呆れ果ててしまいました。
重い布団に入っても、朝には私のトビ出た大きな鼻、それに耳が凍傷になるのではないかと心配したほどです。南国、長崎の出島に閉じ込められていたオランダ人も日本人大工が建てた暖房のない家に住み、冬の寒さに参っていたと記録にあります。
そこへいくと、明治の初めのお雇い外人、ホーレス・ケプロンが、北海道開拓の顧問役として、技術団を引き連れて北海道に乗り込んで来た時、北海道の家、小屋があまりに粗末なのに驚いています。イロリに細々と火を灯し、そのわずかな熱気を逃がさないために窓がなく、室内の空気が非常に悪い、と書き残しています。
ケプロン自身はアメリカから鉄板のストーブを何個か持参してきました。それを一般に普及させようとしたようですが、ストーブを炊くには煙突を立て、燃え易い茅葺葺きの屋根をせめてマサ葺きにし(トタン、鉄板は値が張りとても普通の住宅向きではなかったのです)、メガネ石を入れたりで、建物そのものから変えなければなりません。厳寒の北海道ですら、竪穴住居に毛が生えたような家で冬越していたのです。
次に中華料理ですが、確かに広い中国にはバラエティーに富んだ美味しいものがたくさんあり、およそ食材として利用しないものはこの世に存在しないかのように、どんなモノでも工夫し、美味しい料理法を編み出しています。中華料理の対象にならず、食べないのは、お皿とドンブリ、お箸だけだとさえ言われています。“食”は中華料理と言い切っているあたり、理想の生き方の三大条件を言い出したのは、どうも中国人男性のような気もします。
この“食”の項、フランス人なら絶対にフランス料理、イタリア人ならイタリア料理を挙げるでしょう。でも、何にもまして“食”が大切、家の造りや、連れ合う女性の良し悪しより、何をおいても”食“が一番だという考え方は、確かに北欧、イギリスにはないでしょうね。食べるものを切り詰めても、住居にお金を使うのがイギリス人、北ヨーロッパの人たちです。
そして、妻をめとらば“大和ナデシコ”というのは、どこの誰が言い出したのでしょうか。こちら第3の条件、奥さん選びの方は、大いに疑問とするところです。家は様々な国に旅し、多少は生活感覚を掴むことができるし、あちらこちらの家を覗き見る機会を持つことが可能です。そして食べものも、日本にいてさえ、世界中の美味しいモノを食べ歩きできますから、その中から中華料理を筆頭に挙げるのは嗜好の問題とはいえ、選択の結果として納得できます。
ところが、奥さんの方はイロイロ、とっかえひっかえ試してみるわけにはいきません。少なくとも現在、フツーの一般男性にそんなに広い試行錯誤の道はありません。せいぜい5、6回離婚と結婚を繰り返し、うまく当たりと出たのが大和ナデシコなのか、お隣さんや友人が日本女性と結婚し、人も羨む夫婦生活を営んでいるのを見聞きする程度のことです。
いずれにしても、大和ナデシコのイメージは世の男どもが期待し、抱く、従順で、淑やか、貞淑、夫に良く仕えるというものでしょう。そうなると、日本男性の99%はナデシコと結婚してますから、彼女たちに中華料理を仕込み、郊外に西洋的な家を建てて住めば、それ以上の至福はないことになります。
長崎の観光名所になったグラバー邸のトマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover)はスコットランド人です。彼はツルという日本人現地妻(生涯連れ添ったから本妻かな)がおり、貞淑、良妻賢母のような人だったといいます。小泉八雲(ラフガディオ・ハーン;Patrick Lafcadio Hearn)も日本人の奥さんを持っていましたし、ポルトガル人で徳島に住み『極東遊記』や『大日本』を書いたモラエス(Wenceslau José de Sousa de Morais)の奥さんも日本人で、世界を股にかけてきた西欧人が、大和ナデシコのこれぞ至宝とばかりゾッコンだったのですから、これ以上のお墨付きはない、とも言えます。
第二次世界大戦の後に乗り込んできたG.I.(アメリカ兵)が日本女性と結婚した例がたくさんあり、彼女たちがナデシコの定評を築いていったのかな…とも想像できます。
私が住んでいるこの町で、日本の新年会が毎年のように催されます。ポットラックパーティー(Potluck Party)ですから、自慢の料理を持ち寄っての宴会で、60~70人も集まります。その中に“戦争花嫁”と呼んでも差し支えないと思いますが、相当お歳の日本女性とアメリカ人の旦那さんカップルの十数組ほどに出会い、観察する機会がありました。
共通していえることは、元ナデシコのお婆さんたちの元気の良さ、それに比べ、元マッチョであったはずの旧アメリカ軍人の影の薄さです。旦那さんはもうヨレヨレで、完全に元ナデシコ軍団の尻に敷かれているのです。“日本女性”を理想の妻として挙げた御仁、こんな現実が分かっていなかったのでしょうね。
こんな文章を捻っていたら、横から覗いた私のダンナさん、なにやら難しそうな事典を引っ張り出し、「あった、あった、中国でその三大条件、“洋楼”、“中菜”、“日本老婆”と書くのだ」と教えてくれました。“洋楼”は西欧の家屋、“中菜”は中華料理なのはすぐに分かりますが、“老婆”とは…シナビタお婆さんのイメージで、どうにも大和ナデシコとは結びつきません。漢語で自分の妻のことを謙遜して“老婆”と呼ぶ慣わしがあったそうです。愛妻とは決して言わず、荊妻、愚妻と呼んでいたのと同じ感覚でしょうか。
こうしてみると、理想的な生活のための三大条件は中国人の男性が言い出したのかなと思えてきます。中国人観光客が群れをなして日本を訪れる前まで、中国人にとって日本女性は我の強い中国人女性とは違い、常に夫を立て、妻たる者は一歩、二歩引き下がり、従順、しとやか、それでいて大そうな美形揃いだという幻想を抱いていた…と、どこかで読んだことがあります。
ヨーロッパでは、愛人を持つならフランスかポーランドの女性に限ると言われています。逆にヨーロッパの女性、奥さんが浮気をするなら、ラテン系のイタリア、スペインの男性と相場が決まっているようです。
「日本男児は諺、金言に出てこないのか…」と、ダンナさんが口を出していますが、残念ながら、日本男児サムライは黒澤明の映画の中だけでしか世界的人気がありません。出る幕などあろうはずもないのです。
-…つづく
第684回:アメリカ大統領選挙の怪
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