第653回:スキーの悲劇~エリーズさんの死
私たちが2ヵ月、スキー三昧で過ごすと言うと、ワーッ羨ましいという人が半分、後の半分は骨折らないで、怪我しないで、と私たちの老齢を思い起こさせるような注意をしてくれます。スキーでの事故、怪我率は、他のスポーツ、幾つになってもできる運動、ゲーム、ゴルフやテニス、ハイキング、ゲートボールに比べ高いのは事実です。旅行保険をかける時に、危険なスポーツはしないという条項があり、スキーはロッククライミングなどと同様に危険スポーツに分類されています。
私たちがべースにしていたスキー場『モナーク』を去ったのは3月1日です。その3日後の3月4日に、我々モナーク老体スキーグループ“雪ヤギ会”を揺るがす事件が起こりました。大ベテランのエリーズさんが木に激突して亡くなったのです。
“雪ヤギ会”といっても正式のメンバー登録があるわけでなし、朝ロッジでスノーブーツを脱いで、重くて硬いスキー靴に履き替えるため(これが結構な一仕事なのです)、ピクニックルームで顔を合わせる面々のことで、総勢20人ほどです。大半が70代、80代が数人、60代の私はほとんど若輩者というグループです。そして皆さん大変なスキーヤーで、元スキーのレーサーもいれば、スキー教師協会を組織したり、デモンストレーターとして伝説的なスキーヤーもいて、スキーの技術レベルが高い人ばかりです。その中では、私とウチのダンナさんは初心者です。
彼らは、スキー場のスロープやゲレンデなどを滑りません。もっぱら急斜面のモーグル(大小のバンプがある整備されていないところ)や木の間を縫うように降りてきます。日本のようにゲレンデ以外は立ち入り禁止、赤いテープ、ロープを張り巡らせている…なんてことはありません。一度スキー場の山に入ったら、自分の技量に合わせて、どこでも自由に滑って下さいというスタンスです。
彼らがスピードに乗り、しかし十分にコントロールを効かせ深い雪を掻き分けるように滑っている様は、本当に気持ち良さそうで、ついつい見とれてしまいます。
スキー場ですが、峰が5つ、6つあり、なにせ広いので、山スキー、バックカントリースキー(リフトに乗らず、幅の広い深雪用のスキーに、昔ですとアザラシの皮を張り、逆滑りをしないようして、エッチラ、オッチラ歩いて深い雪を漕いで登る人、スキーを担ぎスノーシュー=カンジキで登る人たち)の人も相当数います。
エリーズさんは、リフトに乗ってただ滑り降りるスキーもしますが、どちらかといえばバックカントリースキー派かもしれません。旦那さんと二人で登ってくるのに何度か出くわしています。その都度、やさしく、明るく、ただ「ハーイ、今日の雪は最高ね…」とか、「チョット、視界が悪いから、もう降りるわ…」とか、簡単な挨拶を交わす程度の知り合いでした。
それが1月にサライダの町の小さな公会堂で、モナークスキー場80周年記念の公演とスライド、映画があった時、モナークスキー場のオーナーのランディさんが、簡単にスキー場の歴史を披露しました。その中で、エリーズさんと旦那さんのことに触れ、彼らが引退と同時にニューメキシコ州からこのスキー場の麓の町、ポンチャ・スプリングに越してきてから12年になること、旦那さん共々、大変なアウトドア派であること、この山系で旦那さんが一度雪崩に遭って遭難し、厳寒の下で50時間後に救助されたことなどを知りました。彼らはほとんどモナークスキー場の名誉スキーヤーのようでした。
エリーズさんは、中肉中背、どちらかといえば丸顔で、白髪が勝ってしまったオカッパ頭の表情のとても豊かなお婆さん?(75歳ですから、お婆さんと呼んでいいと思いますが…)です。旦那さん共々、山とスキーの大ベテランです。麓の町、ポンチャ・スプリングにどこか他の州から越してきたということ自体、このスキー場モナーク連山が目当てで、我らが“雪ヤギ”グループのメンバーの半数はそこに居を移しています。
彼女が木に衝突したのは、ブリーズウェイ・リフトの終点からさらに200メートルほど登った、峰から降りるシャグナスティーというコースで、森林限界の上で始まり、大きな松が覆う森に入るブラック・ダイヤモンド(上級者用)のスロープでした。2個のブラック・ダイヤモンドがついたスロープもありますから、最難関というわけではありません。
森林限界の上は広々とした急な斜面のどこを滑ってもよく、他のスキーヤーを見かけることもまずないので、山を独り占めした気分になります。と書くと、私が気持ちよくスイスイと滑り降りたように聞こえますが、実際は深い雪の中、大斜滑降でハスに滑り、そこでほとんどUターンをするように方向転換し、また斜めに滑るという必死の下降で、しかも何度か転んで降りてきました。それでも二度挑戦しましたが…。
森林限界の上はすり鉢状になっていて、そこを過ぎると森に入ります。なんとなく皆が滑る広めのところもありますが、ベテランたちはそんなところを滑らず、雪を漕ぐようにして大木の間を降りてきます。
エリーズさんはこのコースを何度も、おそらく何十回となく降りたことがあるでしょう。ですから、彼女が無謀でバックカントリースキーの経験が浅いという非難は全く当を得ていません。装備もヘルメットは当然ですが、雪崩用のフローティングバッグ(車のエアーバッグのように衝撃で膨らみ、雪崩に遭っても、雪の下に埋もれることなく、常に雪の表面に浮いていられます)を背負っていました。
3月4日は曇っていましたが視界も良く、事故が起こる要素がありませんでした。
私の技術レベルでエリーズさんの事故を判断できないのは承知の上ですが、少し荒れた雪の時、吹き溜まりで急に深い雪に突っ込むなど、予想していなかった事態に出会うことがママあります。それでなくても、予定通り次のコブでターンできず、腰を取られることはよくあります。もっと怖いのは、自分がコントロールできるスピードを大幅に上回ってしまうことです。
コロラドで伝説的なスキー、スノーボードの開祖とでも言うべき、アートとリンダが、私に最初に教えてくれたことは、常にスピードを自分でコントロールできる範囲に抑えることでした。それでいても、オオオッ、アレッ、ということが再三あります。偉大なスキーヤーのアートでさえ、「今日、二度も自分が曲がろうとしたところで、曲がれなかった…」と嘆いていたことがあります。
エリーズさんの事故も、大ベテランならではの1秒の何分の一かの判断と対応が遅れ、バランスを崩したのでしょう。すぐにスキーパトロールがスノーモービルで駆け付け、山から降ろし、近くの町サライダのクリニックに運ばれ、そこで対処できず、大きな町コロラドスプリングに運ばれましたが、あらゆる応急処置に対応できる軍の病院に着いた時には、そこで死亡確認がされただけでした。
モナークスキー場で働く人たち、彼女を知る私たちのようなスキーヤーの誰もが、エリーズさんの冥福を祈っています。
-…つづく
第654回:アウトドア・スポーツの安全と責任
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