第676回:地下鉄道(Underground Railroad)と不法密入国
元日産自動車の社長さん、カルロス・ゴーンさんが、スパイミステリーもどきの鮮やかさで日本を脱出し母国のレバノンに逃亡しましたが、あの時はとても驚きました。どうにも日本の検察、税関、出入国管理事務所は、性善説の上に成り立っているのでしょうか、まさかゴーンさんがそんなことをするとは夢にも思っていなかったのでしょうね。
ゴーンさんの日本脱出を請け負った、その種の仕事のプロ、アメリカ人の元軍人で、軍のシークレット・サービス請負会社を経営していたマイケル・テイラー(Michael Taylor)がアメリカで逮捕されました。マサチューセッツの裁判所での公聴記録によれば、日本の自宅監禁システム、逮捕者の管理は実に杜撰(ズサン)というのか、抜け穴だらけで、しかも空港の監視などないに等しいことになります。
アメリカで“家庭の女神”と言われていた料理、ファッション、インテリア、何でも来いのマーサ・スチュアート(Martha Stewart)が、インサイダー取引で経済犯として逮捕された後、巨額の保釈金を払って、保釈になりましたが、その期間中、ドラッグの小売りなどの小者犯罪者と同様、足首にGPSのロケーターを付けなければなりませんでした。彼女がどこにいるか、裁判所の命令どおり、他の州や国へ逃げずに、所定の街にいるか、すぐに分かるようにしていたのです。
ハイテックの国日本にそんなGPSロケーターを足首に付けるシステムすらなく、ゴーンさんの家に三つ監視カメラが設置されていただけで、家の中での盗聴も、電話(携帯を含めた)の盗聴もなく、ゴーンさんとマイケルの何度もの脱出打ち合わせも全く官憲に漏れなかったというのですから、日本は犯罪者にとっては天国ですね。
あとは、トルコの飛行機をチャーターし、大きなスピーカーボックスにゴーンさんを入れ、検疫や検査のない航空貨物として積み込み、トルコに飛んだのです。ゴーンさん、トルコで飛行機を乗り換え、レバノンに着いた時には、英雄の帰還のように大歓迎で迎えられ、日本は北朝鮮より酷い警察国家だ、日産にハメラレタとバッシングを開始したのです。
こんな記録を見ると、日本はこと外事に関することには、全く幼児のように甘っちょろく、毅然とした態度を外国にとることが得意ではないように見えます。マー、これは今回のテーマとは別のことですが…。
マイケル・テーラーが不法脱出、入国業で逃がした人は、二十数件に及び、料金の方は、簡単なところで2万ドル、チト面倒なルートで200万ドルで、アフリカ、中近東のアラブ諸国から欧米へ、秘密裏に人を運ぶのを身上とし、一応先進国であるはずの日本からアラブの一端であるレバノンへの逆方向への移動は初めてのことだと、記録にあります。
このような冷戦時代のスパイ小説もどきの脱出は、共産圏の勢力が強かった時代に、必死の覚悟で東ドイツや共産国から西側に逃亡することがよくありました。ゴーンさんは秘密裏の日本脱出行を語っていませんが、映画権、小説権を3億円相当で売る…とか言っているようです。
このように、人間を密入国させたり、密出国させたり、こっそりと移動させることを、『地下鉄道(Underground Railroad)』と呼んでいます。有名なのは、1840~60年代に南部の黒人が自由を求めて北部に逃げるのを積極的に助ける組織、ルートで、中でもハリエット・タブマン(Harriet Tubman)は20回以上南部に潜り込み、300人以上の黒人奴隷を、北の自由州やカナダへ逃がしています。
この小さな黒人女性ハリエットは、自分の命を賭けて、南部の黒人奴隷仲間を救おうとしました。彼女は“女性のモーゼ”“黒人のモーゼ“(モーゼはユダヤ人をエジプトから脱出させた)と呼ばれました。『地下鉄道』はどちらかと言えばよい意味、人道的救済で使い、アメリカの国や社会にとって良くない方は『トラフィキング(Human Trafficking)』と呼ばれています。国境を不法に越えて人間を運ぶ、移動させることには変わりありません。
ゴーンさんのように巨万の富を(資産総額120ミリオンドル、131億円になるかしら、といわれています)を持っている人は、お金に糸目をつけず脱出を図ることができますが(今回の日本脱出のお値段は3億3,000万円ほどで、飛行機のチャーター料、エージェントに払った給料総計1億5,000万円相当になります)、マイケル・テイラーはゴーンさんから現時点で一銭も受け取っていないと言明しています。
たくさんあるギャングがらみの密入国請負業者は、普通は前金が建前で、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラスなど、中南米からの難民ですら200万円から1,000万円相当を払わなければなりません。それでいながら、途中で殺されるか、死ぬ人も多く、うまくアメリカに到達でき、アメリカの国境警備隊に見つからずに密入国できるのは50%に満たないと言われています。未だに、中国人がコンテナに詰め込まれて配達されて来たりしています。
逆に、アメリカから逃げる人もいます。ベトナム戦争時代には、兵役拒否の若者が盛んにカナダを通り、スウェーデンに逃げました。今は家庭内暴力でダンナさんを撃ち殺してしまった奥さんが、裁判によって収監されて親権を奪われるため、判決前に子供を連れてカナダに逃げるケースがママあります。黒人逃亡奴隷を受け入れてきたカダナには、そういった人たちを受け入れる組織があり、手助けをしています。
もちろん、このような人、主に女性は、ゴーンさんのような大金持ちではありません。逆にほとんど一文無しですから、カナダへ越境するには『地下鉄道』の組織に頼らなければなりません。クエーカー(Quaker)教徒やモルモン教徒らが、自宅に匿い、次の隠れ家まで移動させ、リレーをしてカナダまで旅させています。こんな時、一緒に移動する引率者を車掌さん(Conductor)と呼んでいます。
昔から、国境のない世界が理想でした。自由にどこにでも行ける、暮らせる社会です。ECはその一歩を目指したと言って良いかと思います。ところが、人間の自由と政治、経済は必ずしも一致せず、それに民族、国民性、さらに愛国心などが絡まってくると、大人の国々であるはずのヨーロッパでも相当難しく、案の定イギリスが抜けてしまいました。今、ヨーロッパの市民権さえ持っていれば、スペイン人がチェコやドイツ、フランスで働き、暮らすことができます。例えば、ゴーンさんがスペインで脱税し、イタリアへ逃げることなど意味がなくなります。
でも、実際には何百という国があり、それぞれに国境を設けていますから、『地下鉄道』などの不法密入国はなくなりません。アメリカもお隣のカナダ、メキシコとの国境をなくせば、もっと棲みやすい国なると思うのですが、逆にメキシコとの間に醜い鉄のフェンス、塀を建設し、大勢の国境警備隊を配置したりすることで越境が厳しくなれば、それだけ不法密入国請負業が盛んになり、密入国料金も跳ね上がる傾向が見えています。
もし、アメリカがメキシコとの国境に立てた高い鉄の塀や監視カメラ、国境警備隊に費やしたお金を、そっくりそのままメキシコ国内での産業に投資し、仕事を作り、社会福祉に回したら、それだけでギャング絡みの不法越境業者は失業すると思うのです。でも、人道を優先して政治が動いたことなどありませんから、こんなことは実際に起こり得ませんし、国際政治を知らない人間の夢想なんでしょうね…。
-…つづく
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