第684回:アメリカ大統領選挙の怪
民主党のジョー・バイデンが現職のトランプ大統領を破り、次期大統領に選ばれました。
アメリカの大統領選挙は、選挙管理委員会が不在投票や郵送された投票など、すべての開票が終わる前に(これはえらく時間がかかります)大勢が決定的になった時点で、負けた方が、相手を祝福する電話をかけたり、マスコミに敗北宣言というのでしょうか、公言するという伝統があります。もともと伝統というのは打ち壊すためにあるといえば、確かにそうですが、トランプ大統領は潔く負けを認め、バイデンを祝福するどころか、何があっても俺は大統領を辞めない、選挙は民主党の陰謀で茶番だと言い続けています。
開票し、票を集計する選挙管理委員事務所のある州政庁の前に、武器、機関銃を構え、ピストルを腰にした、トランプ・サポーターが取り巻き、気勢を(むしろ奇声かな…)上げています。トランプはクーデターに発展しかねない彼らの行動を支持する声明を発表しました。まだこれから12月末まで任期が残っている大統領権限で、どこまで無謀を繰り広げ、アメリカがかろうじて保ってきたアメリカ的民主主議を壊すのか心配です。
前々回、アメリカの大統領選挙のやり方が前近代的に割り当てられた選挙人(Electoral Collegeと呼びます)を選び、獲得した選挙人の数で大統領が決まる、という複雑怪奇な遣り方で行われると前に書きました。これは西部開拓時代の遺物的な選挙方法で、地の果てと思われていた西部の州から、選挙人が彼らの州を代表して、駅馬車を乗り継ぎワシントンに駆けつけ、オラが州では誰々を大統領にすることにした…とやった名残です。
問題になるのは、選挙人の数です。例えばカリフォルニア州では55人の選挙人、ワイオミング州では3人の選挙人が割り当てられています。一見、州によってこんなに差があるのはオカシイと思うでしょう。ところが、ワイオミング州では19万人の住人に対し、一人の選挙人の割合になりますが、カリフォルニア州では75万人の住人に一人の選挙人になり、一票の重さが3.9倍も違うのです。州の人口に比例して選挙人を選ぶなら、カリフォルニア州に217人の選挙人がいなければ不公平ということになります。
このように、人口の少ない州からも、その州の代表、意見、選挙人を送り込む意図は分かります。しかし、それは上院議員(Senator)は州から二人ずつ、どんな大きな州からも、東部の極小の州からでも、例えばテキサス、ニューヨーク、カリフォルニアなどの広さも、人口も圧倒的に多い州からも、デラウエア、ロードアイランドのような小さい州からも、同じように二人ですから、地方を守る意味での議会政治はそれでよい、上院議会が決定、拒否の立法処置を取れるのですから、大統領選挙で、極端に不均等な選挙人制度は廃止すべきだ……という運動は昔からあります。選挙は元々、最も多くの投票を獲得した者が代表として選ぶという、一種の方便なのですから。
もう一つこの選挙人制度には、大きな欠陥があります。各州で、一票でも多くを獲得した候補者が選挙人を総取りすることです。例えば、ある候補者がカリフォルニア州でたとえ極小差で勝ったとすると、55人の選挙人をすべて獲得できるのです。この遣り方は膨大な死に票を生みます。こんなやり方を変え、55人の選挙人を獲得した投票によって、比例配分すると死に票が少なくなるのは目に見えているのですが、旧態依然とした、西部開拓時代の大統領選挙のやり方を変えようともしていません。アメリカのスポーツで3位決定戦などは存在せず、2位でも決勝で負けたチームであり、1位にならなければ意味がない、それ以下はバッサリと切り捨てるという思考方式が固定化しているのでしょうね。
考えてみるまでもなく、カリフォルニア州での死に票が、ワイオミング、ノースダコダ、サウスダコダ、アイダホ、モンタナの有効投票数より多くなるのですが……。奇妙な州の独立性、独自性を守るためにという銘文の元に、一票でも多く獲得した候補が選挙人が総取りするのは、州知事のような個人選挙には当てはまりますが、大領選挙の選挙人選びには不合理なのです。
選挙人総取り方式が許されるなら、大統領選挙そのものに適応し、直接大統領候補に投票すべきで、アメリカ全体で最大の得票を獲得した人を大統領にすべきなのです。この選挙人獲得数と全米の投票の獲得数とは必ずしも一致しません。今回はバイデンが圧倒的に全米の票を集め、かつ選挙人の獲得数でも過半数以上を得ましたから問題はありませんが、前にも触れたようにアル・ゴアもヒラリー・クリントンも全米の支持票は多かったにも拘わらず、獲得した選挙人の数で、ブッシュに、そしてトランプに負けてしまいました。
全米の支持票のことをアメリカでは“ポピュラー・ボート(人気票)”と呼んでいます。民主主義というのは、オット、大きく出ましたよ、現時点で他の政治のあり方よりマシであろうという手段の一つに過ぎません。ですから、様々なタイプの民主主義があり、政治体制があって当然です。民主主義自体、多くの矛盾を含んでいますから、その不平等性を少しずつなくして、誰でも参政できる方向に徐々に持っていくべきものだと信じています。
基本になるのがその国に住む人が誰でも、女性も黒人も移民もホームレスも投票でき、彼らの票が政策に生かされることです。現時点での民主主義というのは、“ポピュラー・ボート”のことになります。それはそれなりの弊害があるにしても、まだ、“最大多数の最大幸せ”の基本をないがしろにはできません。その意味でアメリカの大統領選挙のやり方は大きな問題を数多く含んでいる…と思うのです。
アアもう、大統領選挙にまつわる悪口合戦、揚げ足の取り合いにはウンザリしたと言いながらも、私としてはトランプが負けて良かったと一息ついているところです。
でもまだ、アメリカ人の半数近くがトランプ支持者だということは忘れていません。
-…つづく
第685回:あり得ない偶然の出会い
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