第667回:コロラド川~帰らざる川
前々回に(第665回「空の青さとコロナ効果」)、コロラドの空と月のことを書きましたから、ここで有名なコロラド川について書かなければ片手落ちというものでしょう。
私が働いていた大学町もコロラド川沿いにあり、コロラド川が育んだ町と言い切ってよいと思います。川の水を使った灌漑用水路が網の目のように広がっています。山の上から谷間の町を見ると、灌漑用水があるところとないところが線を引いたようにくっきりと判ります。水が行き渡ってないところは砂漠のようなベージュで、コロラド川の恩恵を受けているところは真緑なのです。ですから、灌漑用水を使えるか否かは、農家、牧場にとって死活問題になります。複雑に入り組んだ用水の権利は、専門の弁護士が活躍するほどです。
大雑把に言って、1エーカー(約4,000平米)の牧草地にやる水利権を1シェアーと数え、郊外の団地で豪華なところは2分の1エーカーから2エーカーの広さがありますが、そこに灌漑用水の使用権があるかどうかで、芝生を緑に保ち、草花、あらゆる木が育つかが決まります。結果、土地の価格に大きな差が出てきます。こんな乾燥した砂漠の外輪のようなところで、芝生を維持しようということ自体、無理があるのですが…。
この町のある谷間は“グランド・ヴァリー”と呼ばれていて、ちょうどガニソン川がコロラド川に合流するところです。ですから、ふんだんにある川の水を使って古くから果樹園が発展ました。でも、川の水は無尽蔵ではありません。
日本から来るダンナさんのお姉さんたち、友達は、「アレッ? これが有名なコロラド川なの? こんな小さな川がグランド・キャニオンを造ったの?」と驚くほど、小さな川なのです。信濃川や石狩川は言うに及ばず、隅田川、荒川、大井川などとは比較にならないほどチッポケな流れなのです。アメリカのほかの有名な川、ミシシッピー川、ミズーリー川、コロンビア川のように船が遡ることなど想像外のことで、よくてラフティング、カヤッキングなどの水遊びができる程度の川なのです。
コロラド川はロッキー山脈の懐にあるグランビー湖を出発点として、イーグル川、ガニソン川、グリーン川などと合流し、グランド・キャニオンを削り取り、ラスベガスをかすめ、強大なフーバーダムに水を満たし、メキシコのカリフォルニア湾で海へ到達します。
こんなちっぽけな川が、グランド・キャニオンを掘り込んだことがチョット信じられませんでしたが、グランド・キャニオンについての講演会で、パークレンジャーがこの謎を紐解いてくれました。もちろん、何万年、何百万年もかかって侵食されて行ったのですが、10年に一度ほど起こる豪雨の時、ダーンという大音響を伴うような巨大な水鉄砲になり、岩を崩し、削るのだそうです。上流での大豪雨が行き場のないまま、土砂を捲き込み、押し寄せてきて、それが繰り返され、今のように深く、曲がりくねった峡谷を造ったと説明され、なるほどと納得しました。
と言うのは、私たちコロラド川を、ほんの一部ですが、渓流下りラフティングを体験したことがあり、その時一緒に行った私の生徒さんが、コロラド川のラフティングガイドになろうかというほどの川のセミプロでした。彼はラフティングの途中、何箇所かゴム筏を止め、川岸に上陸し、岩を登り、見晴らし台や歴史的洞窟などを見せてくれました。
その時、2、3年前に水位がそこまで上がったという岩に残された痕跡を示してくれましが、それは私たちが遊んでいる川面から25、6メートルも上なのです。そんな高いところまで激流が流れ込むのも驚きですが、削り取られた岩に直径が1.5メートルはあろうかという大木がバッキリと折れて引っかかっていましたから、怒り狂った川の流れの強さは想像を絶するものがあるのでしょう。その時の鉄砲水ならぬ大砲水、激流で、プロのコロラド川のレンジャーが一人亡くなりました。その更に数年前には、やはり豪雨のグランド・キャニオンで10人近くが命を落としています。
忘れた頃に突如荒れ狂う川を手なずけようと、随分たくさんの大きなダムが造られています。現代のピラミッドだと自賛している、巨大なフーバーダム、グレン・キャニオンダム、インペリアダムなどがあり、観光地にもなっています。
ところが、コロラド川がメキシコで海に注ぐところまで行くと、季節によっては、一滴の水も流れていない乾燥した川底が広がっているだけなのです。アメリカがコロラド、ユタ、アリゾナ、ネヴァダの灌漑用水としてコロラド川の水を利用し尽くし、ラスベガスのような大都会の水道水の水源として使い切ってしまい、メキシコに着く頃にはカラカラなのです。メキシコにとって、こんな酷い話はありません。もし同じことをメキシコがアメリカに対してやったら、即戦争、ダムを爆破することでしょう。
世界大恐慌の時代から、モノに憑りつかれたように、アメリカの川にたくさんのダムが建設されました。動脈に人造の弁を付けたようなものです。最近になってやっと、ダムは健全な川のあり方を壊すものだ、必要のないダムは取り除くべきだという運動が広がり、幾つかのダムは実際に取り壊されましたが、これがダムを造る以上に大変な工事で、お金もかかるのです。
ダムを壊す工事で、一度人間が犯した過ちを元の状態に戻すのは、汚してしまった空気、空を取り戻すのが不可能に近いのと同じです。アメリカは、賞味期限が切れた爆弾を膨大に抱えていますから、それを使えばいいという問題ではないらしいのです。大きなダムには、言い出しっぺ、号令をかけた時の大統領とか、政治家の名前が付けられていますが、そのダムを壊し、元の自然に戻そうとした政治家が名を残すことはないし、第一、票に結びつかないのでしょうね。
近年、歳の割には元気過ぎたウチのダンナさんも次第にオトロエてきて、ヨット乗り、それから山男、スキー、今度は渓流下りと足腰に比較的優しい遊びに傾いてきました。まだ本格的な川遊びにノメリ込んではいませんが、私が秘かに探るところでは、どうも往年の映画『帰らざる川』(激流を筏で下る場面が印象的なロバート・ミッチャムとマリリン・モンローの西部劇)の二の舞をやりたがっているようなのです。
先ずは手始めに、水枯れする前にコロラド川をスポットで下りながらキャンプしようとか言い出しています。このようなことに関しては、ヤオラ実行力をみせる方なので、近い内にマリリン・モンローとは似ても似つかない白髪でヤセッポチの私は筏に乗せられることになるのでしょうね。
『帰らざる川』は一度汚し、壊すと、二度と元に戻すことができないのが川だ、という意味に取る時代になったようです。
-…つづく
第668回:田舎暮らしとファッションセンス
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