第682回:手の大きさとピアニストの関係は?
私がまだ文化的文盲だった17歳の時、アイゼンハワー大統領が始めた“人民から人民へ”という企画で、『ヨーロッパ、ホームステイ6週間の旅』をしたことがあります。数日ずつ、フランス、オランダ、ドイツ、イタリア、ギリシャ、チェコスロヴァキアの家庭に分散して泊まりながら、若者に異なった文化、生活を見て貰おうという、まことに結構な意図のもとに企画された滞在型の研修旅行でした。
その時、フィレンツェでミケランジェロのダヴィデ像を見て、彼の手の大きさに呆れてしまいました。大理石に彫られた大きな像ですから、下から見上げる格好になり、若きダヴィデのキリッとした意思の塊のような表情より、足の筋肉、軽く下げられた手の大きさの方にばかり目がいってしまいました。ツアーに参加していた男の子に言われて、初めてダヴィデが包茎だと気づいたほどで、あの手の大きさ、頑丈さに気を取られてしまいました。
ウチのダンナさん、平均的日本人より骨格、肉付きなど大柄な方でしょう。彼に比べ、彼の友人や甥っ子たちは、まるでペンより重いモノを持ったことがないほど細く、グニャリとした手をしているのです。ダンナさんの友人と握手をする時、私の方がしっかりとした手、少なくとも労働をこなしてきた手をしているので、しっかりと握り返すのがためらわれるほどです。
とは言っても、おそらく平均的日本人より頑丈な手を持っているダンナさんでも、とても私の弟、従兄、父親、果てはお爺さんの手、骨太で野球のグローブのような手とは比較になりません。握力検査なんかをやったら、アメリカ人の数値は日本人のヤワな男たちの倍はあり、握手しまま軽く握り潰されてしまうのは確実です。死んだ父方のお爺さんの結婚指輪のサイズたるや、日本女性のブレスレットのような大きさでした。もっとも、お爺さんはお百姓さんでしたから、生涯手を使って仕事をしていた結果だとも言えます。
手相を観るのは、その人がどのような仕事をしてきたか、直接手に表れるからでしょう。白魚のような手を持っているなら、その人は金槌やノコギリを持ったこともなく、大根をタワシで洗ったこともない人生を送ってきたであろうと簡単に想像できます。
毎年、バッハが晩年を過ごした町、ライプチッヒで『バッハ音楽祭』が開かれます。最初は、ダンナさんに引きずられるようにその音楽祭に行ったのですが、その後すっかり病み付きになり、これまで8回も行き、今年もそのつもりでしたが、コロナ禍で開催が中止になってしまいました。
初めての時のしかもオープニング・コンサートで、選んだわけではないのですが、バッハが埋葬されている墓標、床に大きな青銅のレリーフが嵌め込まれています、に足を伸ばせば踏み付けてしまいそうな席についたことがあります。
大バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ;Johann Sebastian Bach;1685~1750年)は、死んで100年も経ってから、こりゃ凄い作曲家だと世間が騒ぎ出すまで、ドイツ、ザクセン地方の片田舎町のほとんど忘れられた教会音楽監督の一人でしたから、彼の遺骨は一体どこへ行ったものか分かりませんでした。今、バッハゆかりの聖トマス教会に埋葬されている遺体も、おそらく大バッハのものであろうと言われてますが、100%確実ではありません。
1895年に解剖学者のウィルヘルム・ヒスが、バッハの遺骨を掘り起こし、発掘した恐竜よろしく骨を並べ、全身といっても骸骨ですが、上から写真を撮っています。残念ながら、右手の骨はわずかしか残っていませんでしたが、左の手は完璧と言ってよいほど見つかり、組み合わされています。
この有名な(好き者の間ではの限定条件付ですが…)骸骨写真を見て、今度は、アンドレアス・オッテ、彼自身解剖学者であり音楽家が、バッハの長大な手が偉大なオルガニスト、ハープシコード奏者ならしめた、親指から広げた小指までのスパンは楽に26cmあり、12の白い鍵盤まで届いた、と言うのです。
アンドレアス・オッテさん、手のサイズだけで、音楽家の能力を計ることはできない、そんなことは偉大な音楽家を冒涜することになるとしていますが、それにしても、バッハのモノとされている手の骨の大きさは異常で、片手で楽々全体重を支えながら木々を渡り歩くオラウータンを思い起こさせます。
リスト(Franz Liszt)の節くれだった大きな手の石膏鋳型も有名です。近代の大ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)も若き頃、指揮者を目指していたところ、お前の手の大きさはむしろピニストに向いていると勧められ、本格的なピアニストとしてデヴューしたのは20代も後半のことだと、いかにも手の大きさが音楽家、とりわけピアニストには不可欠なような伝説があります。
もちろん、そんな伝説は視覚に訴えた、誰でも目にし、どんな音楽音痴にでも分かりやすいというだけのことで、その音楽家が持っていた豊かな創造性、音楽性、そして血のにじむような努力、苦悩が手の大きさにとって変わられてしまうのです。
リストはあんなに大きな手をしていたから、大ピアニストになることができた…と手のサイズがすべてのように捉えられてしまうのです。手のサイズだけなら、さしずめ私のお爺さんなど、彼の巨大な手、太くて頑丈一点張りの指から、超偉大なピアニストと判断されてもおかしくありません。実際には、彼は生涯一度も鍵盤に触れたことがなかったでしょうけど…。
どうにも私たちは、視覚社会に生きているようなのです。しかし、私自身、何時まで経ってもピアノが上達しないのは、私の手が小さいからだ…とは考えませんよ。バン・クライバーン国際ピアノコンクール(Van Cliburn International Piano Competition)で優勝した辻井伸行さんの手は、典型的な日本人の柔らかなポッチャリとした小さいものです。おまけに彼は全盲なのです。私の大学のピアノ科の教授アンドレアも小柄で、手の小さな女性ですが、コンサートツアーで忙しく外国を飛び回るピアニストです。
バッハやリストの手のサイズなど、鼻の大きさと同じくらいの重要性しか彼らの音楽に影響がなかったとまで思うのです。
-…つづく
※前々回、政府の援助金のコラム(第680回:コロナ経済援助金の正しい使い方)で、トランプ大統領が禿隠しのヘアースタイル維持のため、床屋さんに年に7,000ドルの税金を使っていると書きましたが、一桁間違っていました。70,000ドル(730万円相当でしょうか)でした。あまりの高額な床屋代に、つい間違えてしまいました。お詫びして訂正させていただきます。
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