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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第649回:ユダヤ人と人道主義のこと

更新日2020/03/12


私の妹が友達を引き連れて、私たちのところへスキー休暇にやってきました。
親、兄弟、従兄弟、ハトコ、親類郎党、その友達のそのまた友達と、コロラドの山に住んでいると、実にバラエティーに富んだ色んな人がやってきます。コロラドと山々、開拓部落のような私たちの暮らしが、都会に住む彼らには興味深く、ソト目に、多少は魅力的に見えるのでしょうね。

少し大人数になると、何分にも家が狭いので、庭と言うより森の中にテントを幾張りか設置し、そこに押し込んだりしています。それでも、皆さん結構満足、幸せそうだから、私の…と言うよりダンナさんのオープン・コンセプト“来るものは拒まず”と、自分流の生活というのか食事、森の散歩、近くの山歩き、穴を掘ってトイレとして使う、などなど、来客を巻き込むのがウケているのかもしれません。

妹が連れてくる友達がユダヤ人だと判り、「オイ、ユダヤ人は豚や貝類を食べないのじゃなかったか?」とコック長たるダンナさん、少しは気を遣っている様子なのです。妹に電話して確認したところ、友達は何でも食べるということなので、まずは安心したことです。

そして、妹とくだんのユダヤ人、マリーナがやってきました。 
デーンと腰が張り、アメフトの選手のように肩幅も広大な、ともかく頑丈一点張りの骨格を筋肉で覆った迫力ある体格のマリーナが、よく響く、明るい笑い声で、私とダンナさんをハグしたのです。それからの4日間、笑いが絶えませんでした。

強いロシア、ヘブライの訛りが残る米語で、彼女が16歳までロシアで赤貧洗う生活、彼女に因れば“ジャガイモとパン、キャベツ”ばかり食べて育ち、ロシアでユダヤ人として将来が真っ暗なのを見越し、イスラエルに移住し、初めてヘブライ語の全寮制の学校に入り、兵役、大学を終え(マリーナは看護婦さんです)、旦那さんのヤコブと一緒にアメリカに移民として移り住み、アメリカ国籍を取得したこと(イスラエルとアメリカは二重国籍を認めています)などなど、大変な苦心談をまったく愚痴を入れずに、楽天的に語ったのです。

ウチのダンナさん、「アリャ、なかなか優秀だな、ヤコブの方も大学の研究所に入るくらいだから、相当なもんじゃないか? 彼らみたいな難民がアメリカを創り、支えているんだろうな…」と、しきりに感心していました。普段、ウチのダンナさん、トランプ大統領をはじめ、アメリカのシステム、官僚を蹴っ飛ばしてばかりいるのですが、移民を受け入れる体制がまだ多少は機能していることを認めているようでした。

日本人でも、4,600人から6,000人のユダヤ人(主にポーランド系です)を救った外交官がいました。杉原千畝(ちうね)さんです。彼は全くの個人プレーで、外務省からの訓令を無視、違反し、手書きで日本へ入国、通過ヴィサを発行しました。もちろん自分の首を賭けてのことです。

第二次世界代戦中、リトアニアのカウナスという街の領事館に詰めていた時(大使館はリガにありました)、と言っても職員は彼一人でしたが、ある朝、領事館兼住宅の外が馬鹿に騒がしいのに、目を覚まされ、ユダヤ人たちが建物を取り囲んでいるのに気が付いたのです。日本のお友達だったナチス・ドイツが、ユダヤ人の強制収用と虐殺を行っていることは広く知られていました。そんな日本人が誰もいないような町、カウナスで、彼の仕事は情報集、主にいつナチス・ドイツがソヴィエトに開戦するかを探るのが主な仕事だったようです。

彼のことは『日本に来たユダヤ人』、『6,000人の命のビザ』などの本で知りました。杉原さんのように、優秀な官僚でありながら人道主義を貫く勇気と決断力を持った人が、軍国主義の日本にいたこと自体に救われたような気になります。 

もう一人、ソヴィエト政権下のウラジオストック総領事代理という役職にあった根井三郎さんは、たくさんのユダヤ人が杉原さん手書きのヴィサを手に携え、続々とシベリアを渡ってやってきたのを、漁業関係者だけに許されていた渡航許可を与え、日本に送っています。杉原さんや根井さんはまさに救世主だったのです。

その当時、リトアニアにいたユダヤ人は20万8,000人とみられ、そのうち19万5,000人が亡くなっています。

杉原さん、“諸国民の中の正義の人”に選ばれ、また、“ポーランド復興勲章”も授与されていますが、それは彼が亡くなってからのことです。

プーチン大統領のイスラエル訪問で、一人のスウェーデン人の名前が浮かび上がってきました。彼の名はパウル・ワレンベルグ(Paoul Wallenberg)と言い、ハンガリー、ブタペストの大使でした。1944年の10週間に44万人ものハンガリーに住むユダヤ人がアウシュヴィッツに送られています。彼はなんと10万人のユダヤ人に外交官用のパスポートを与えたのです。対戦中には中立の立場を取っていたスウェーデンのパスポートは、水戸黄門の御札以上の効力があったのです。

ところが、1945年にソヴィエト軍がハンガリーをナチス・ドイツから解放した時、ワレンベルグさんをスパイ容疑で逮捕し、かの有名なグラーグ(Gulag;収容所総管理局)に送り、誰もが恐れるKGBのルビヤンカ刑務所で1947年に死んで(殺されて)しまったとされていました。彼は1960年代まで生きていた、いや1980年まで…と、混沌とした暗黒のスターリン時代を生き延びた…という証言もあります。

そこで、プーチン大統領は、“人類の英雄”ワレンブルグさんの功績を称え、ソヴィエト時代のドキュメントを公開し、調査するスピーチをしました。

人道主義という政治的にほとんど無力でも、個人の強い意思で、このようにたくさんの人の命を救うことができたのは驚きです。杉原さん、根井さん、そしてワレンブルグさんたちは、戦争という人類の最も愚かな殺し合いの中にあって、か細い希望の光を放っているように思えます。

-…つづく

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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