第639回:家元制の怪 1
“名こそ惜しけれ”と名誉を重んずる感覚、自分の名前を後世に残したい思いは世の東西を問わず人の心を惹きつけやすいモノがあるようです。
父の双子の弟が亡くなった時、彼の苗字を冠した奨学金制度を卒業した小さな私立大学に設けました。基金はお爺さん、お婆さんの農地と叔父さんが残した多少の財産、兄弟から募ったチャリティーでしたが、普段ケチ臭いくらい出し惜しみする父が、こと自分の苗字が頭に付いた奨学金基金に毎年、盛大に寄付をし、その上、子供たち、従兄弟、ハトコ、郎党一族に寄付するよう勧めるのです。彼の場合は、自分の苗字、名前が表に出ないなら、恐らく見向きもしないでしょうね…。
私の家系からゲージュツ家、歴史に名を残す人物、エライ人など誰も出ていません。保守的なアメリカ中西部のお百姓さんです。私には弟が一人いて、彼には息子が二人います。父にとって姓を継ぐ男孫が二人いることになります。そうなると、彼の“お家”の感覚、感情が刺激され、何ともバカバカしい限りなのですが、歴代大統領のレリーフが付いたコインのセット(しかも金貨ですよ…)を孫たちに遺すために、莫大なお金を払ってセットを購入していたのを実家の引越しの際、見つけてしまったのです。もちろん、実際に流通しているコインではなく、営利企業が製造したものですから、イザ売るとなれば、半値の5割引の価値しかないでしょうね…。
名前、家系、血筋を大切にする、遺したいという願望は誰もが持っている感情なのかもしれません。そんな感覚を全く持ち合わせていないウチのダンナさんのような人もいるにはいますが…。
若かりし頃、大阪の吹田市に住んでいたことがあります。その時に偶然、お琴の音色を聴き、この世のものとは思えない響きにまるで体の芯が震えるように感動し、魅せられました。早速、お琴を買い、習い始めました。お琴のイロハから教えてくれたお師匠さんも、初めは物好きな外人の手習いの相手ほどに考えていたようですが、私が真剣に毎日、必ず3、4時間、週末には一日中、7、8時間も練習し、他のお弟子さんたち、花嫁修業として週1回、30分のレッスンだけで、家で全く練習してこない娘さんたちを2、3ヵ月で追い抜いたのです。
比較する対象のレベルが低すぎるのは承知しています。私が学んだのが、西洋の五線譜を使う流派だったのはとても幸運でした。子供の時から、半ば強制的に、途中から楽しみながらピアノを弾いていましたから、結構楽譜を読めたのです。私がお琴に打ち込んでいるのを見たお師匠さんも真剣に教えてくれ、1年も経った頃でしょうか、流派を開いた家元の大先生の自宅に連れて行ってくれたりしました。
それまで、私は「外人に日本の伝統芸術が分かるわけがない」 とか「音の持つ、ワビ、サビは日本人でなければ出せない」とか散々言われ、聞かされてきました。もちろん、そんなことを言う日本人は芸術的センスのない、日本の伝統芸だけでなく、自分自身深くどのような芸術にも関わったことのない低レベルの日本人論だとは分かっていても、若かった私は傷つきました。
ところが、私のお師匠さんも、家元の大先生も、そんな安易な日本人論をツユほども見せず、真摯にお琴を習いたい、もっと上手になりたい私に対応してくれたのです。
ここから、やっと本題に入ります。
しばらくして、私にレッスンを授けてくれたお師匠さんが、私ならお琴のお師匠さん、一番下のモノでしょうけど、教師免許を取るだけの技量があるから、検定試験を受け免許を取らないかと持ち掛けてくれたのです。私は別にお琴の師匠さんになりたいと思ったこともなく、お琴を全世界に広げようという野心なぞこれっぽっちも持っていませんでした。ただ、美しい音で演奏し、自分で楽しみたいだけでした。それでも、せっかくお師匠さんがそう言ってくれるのだから、免許を取ってみようかと思ったのです。
ところが、その受験料、そして免許交付料金を聞いて、ビックリしてしまいました。具体的に総計いくらかかるのかもう覚えていませんが、当時の私にとって大金だったことは確かです。それらのお金は上納金とでもいうのでしょうか、お師匠さん、さらにその上のお師匠さん、と何段階か経て、大先生へ、流派の協会へ行くことのようです。私はお師匠さんに申し訳ないと思いながらも断ってしまいました。
そして、その流派のリサイタルというのでしょうか、発表会が大きな大ホールでありました。私もその他大勢として出演しました。その時、私のお師匠さんが、出演するお弟子さんたちは全員、一人10枚の入場券を個人の責任で売らなければならない…と言ったのには心底驚いてしまいました。後になってから、そうでもしなければ誰も聴きにこないだろうし、そのくらいのお金を払っても自分の娘が晴れ着姿で、舞台に立つのを見ることができるなら安いものかもしれません。また、流派を維持し、宣伝するのに必要なことだったのかもしれません。
後で、このようなリサイタル、コンサートを『義理コン』と呼んでいることを知りました。実に本質を突いたウマイ言い方だと感心しました。そして『義理コン』がお琴や日本舞踊のような日本の伝統芸だけでなく、ありとあらゆる習い事、ピアノ、ヴァイオリンなどの西洋の楽器、フラメンコ、バレー、合唱、ボールルームダンスなどなどまでに及んでいるのにショックを受けるほど驚いてしまいました。その流派の『義理コン』は、お弟子さん、生徒さんの父兄同士がお喋りをし、子供たちが走り回るざわついた中で行われ、音楽を聴くには程遠い雰囲気でした。
今では、娘さんの花嫁修業として、お茶、活け花、そして他に一つ、二つ、お琴、手芸、日本舞踊、お料理などなどをする女性は少なくなってきているでしょうけど、日本的な習いモノ、お稽古事に、そのような免許を段階的に取らせ、お金を集めるのが当たり前だと知りました。家元制というのはそんな風に成り立っているのでしょうか。
また、習う方も一旦結婚してしまうと、それを続けるのは例外で、あっさり忘れてしまうのが当たり前のようなのです。元々、本当に興味があって始めたことではないのですから、当然といえば当然ですが…。
茶道、活け花にも興味がありました。私の収入では、月謝を払うのが重荷でしたから、教室には通いませんでした。もう一つ大きな理由は、草月流の勅使河原蒼風が脱税で告発されたのを耳にしたからです。何でも彼は、芸能、スポーツ界でいつも長者番付のトップ、日本全国の長者番付でも16位と、どうして活け花の家元がこんなにモウカル仕事なのか納得がいかなかったからです。勅使河原蒼風の脱税額は当時の3億円と言われていましたから、今の15億円くらいに相当するのではないかしら。その当時、1970年の大卒の初任給は5、6万円でした。
活け花を教えるだけで、どうして長者番付に載るほど稼ぐことができるのか、日本人なら当たり前のこととして受け入れている、月謝、免許料の一部が(草月流では70%は実際に教えている先生、30%は家元に行くそうですが…)上納金、看板料として家元に流れるからです。それが100万人と言われている草月流の会員がいますから、ピラミッド型に上へ、上へと流れるお金が莫大な額になるのでしょうね。
どうにも、私に分からないのは、そんな莫大な脱税で告発されたにも拘わらず、勅使河原蒼風が死ぬ1979年まで、お弟子さん、会員も減らず、毎年長者番付の上の方に名前があったことです。田中角栄が金脈事件で総理を辞めさせられてからも、地元の新潟で選挙で大勝していたのと同じ現象なのかしら…。
日本語を少しはアヤツリ、日本人のダンナさんと半世紀近く暮らしていて、ある程度日本のことを知っているつもりになっていましたが、大金にまみれた家元制をサポートし続ける心理は私の理解を超えるものです。
季節の花の美しさを引き出すように活け、時間的に永続しない小宇宙を創るという素晴らしい芸術をお金で汚しているように思えるのです。
-…つづく
第640回:家元制の怪 2
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