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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第603回:難民の黒人が市長になったお話

更新日2019/04/04



アフリカ各地で人口の氾濫が相次ぎ、住民を悲惨な状態に陥れています。ヨーロッパの国々が投げ出すように、アフリカの植民地から引き上げ、一つの国として育てることをしなかった結果だと言い切ってしまうのは簡単なことです。また、ヨーロッパの国々は自国の利益につながるキリスト教だけを教育の基本にしてきた結果だとも言われています。

ウィルモット・コリンズ(Wilmot Collins)さんと、当時、恋人で後に結婚したマディー・サーブ(Maddie Saab)さんが、反乱軍が虐殺を重ねていたリベリア共和国を脱出できたのは奇跡中の奇跡でした。コリンズさんの母親が、子供たちに5ドルづつ渡し、お前たちは生き延びろ、私のことは心配するな…と、首都のモンロヴィア(Monrovia)から脱出させました。

リベリアから脱出する方法は、当時、船しかありませんでした。コリンズさんとサーブさんは3日間呑まず食わずの状態で、炎天下で船を待っていたところ、縁戚の軍人と偶然出会い、サーブさんとコリンズさんの脱出が許され乗船できたのです。このような脱出談は幾千という難民が体験していることなのでしょう。

彼らはどこに行くのか知らされていませんでした。船は3日後にガーナに到着しました。それが1990年10月のことです。サーブさんは高校時代に、アメリカ、モンタナ州の州都ヘレーナ(Helena)で交換留学生として過ごしたことがあり、止むに止まれず6年前に彼女を受け入れてくれたホストファミリーにコレクトコールで電話し、助けを請ったのでした。ガーナでの過酷な難民生活で、その時、サーブさんは40キロに痩せ細っており、しかも妊娠していました。

アメリカ人の人道的な行動は、個人的なレベルのボランティア精神だけで、社会性に欠けているとヨソから言うのは簡単です。でも、サーブさんのホストファミリー、ブルースとジョイス(Bruce & Joyce Nachtsheim)さんの心の広さ、寛大なサポートがなければ、サーブさんとコリンズさん、そして赤ちゃんはガーナで餓死していたことでしょう。

ブルースとジョイスさんがスポンサーになり、アメリカで看護婦さんになるための学生ヴィザがサーブさんに下りて、大きなお腹を抱えて、一人でアメリカへ旅立ったのは、10ヵ月間ガーナで難民生活をした後の1991年の8月のことです。一人残されたコリンズさんは、ガーナでホームレスとして1994年2月まで過ごさなければなりませんでした。

と言うのは、アメリカ政府が彼に入国を許さなかったからです。コリンズさんは2年4ヵ月間、ガーナで難民キャンプを点々とし、UNHCR(The UN Refugee Agency;国連難民高等弁務官事務所)に掛け合い、アメリカの領事館にお百度を踏み、移民帰化サービス事務所、そしてFBIに何通もの手紙を送った末、やっとアメリカへの入国が許され、彼の奥さんに再会し、2歳になっていた赤ちゃん、ジェイミー(Jaymie)を初めて見ることができたのでした。

一旦、モンタナ州、ヘレーナの町に着いてからも、まず仕事探しで、黒人で、しかも難民という壁があり、それはそれは大変な時を過ごしています。彼の家に脅迫の手紙や電話が相次ぎ、“お前の国に帰れ、ここはお前のいるところではない”と言われ続け、終いには家にペンキで“KKK”とまで書かれ、ナチスドイツがユダヤ人の家にダビデの星マークを描いたように、脅しをかけられたりしてきました。

ところが、そのような嫌がらせの落書きを見た、彼をよく知る近所の人たちが、彼や家族に嫌な思いをさせないように、落書きを消して歩いていたのです。モンタナ州は非常に保守的なところです。それにもかかわらず、黒人の難民家族を守らなければならないと信じている人たちもたくさんいたのです。

コリンズさんとサーブさんに起こった様々な事件を通して見えてくるのは、この若い難民カップルの未来と人間性を信ずる楽観的とも言える肯定的な面です。常に良い面を見ようとする態度と、私欲を離れた生活、奉仕活動に、ヘレーナの住民の方が感化を受けて行ったようにすら見えるのです。

彼らには優れた個性があり、それを認める住人が徐々に増えていったと言えば当たっているかしら…。白人が圧倒的に多いヘレーナの住人(93.3%が白人;2010年の国政調査)も、「あいつらは、俺たちと変わらない人間だ、それどころか、偏らない、ブレない意見を持っているではないか。ヒョッとすると、俺たちよりデキが良いかも知れんぞ…」というところでしょうか…。

コリンズさんは、市の雑役夫から始め、徐々に市役所の役人になりました。元々、コリンズさんはリベリアの大学を出ていましたから、アメリカ人より英語能力が高かったのかもしれません。市の職員も彼の能力を認めざるを得なかったのでしょうね。その間も、彼は社会奉仕活動を続け、コミュニティーになくてはならない存在になって行きました。

彼の活躍を見ていると、一体、どこにそんなエネルギーと時間があるのだろうと言いたくなるほどです。メソジスト教会の合唱団、『ユナイテッド・ウエイ』(United Way;避難民や貧しい子供たちのための歴史あるNPO)、果ては少年サッカーチームの監督まで買って出ています。

2017年、コリンズさんが保守的なモンタナ州の田舎町とはいえ、州都であるヘレーナの市長選に出馬した時、ただでさえ選挙に出ること自体が大変ショックなことでした。ヘレーナの人口は2万8,000人ですが、一応ワシントンにある壮大な議事堂の孫みたいな小ぶりの州議会議事堂があり、ゴールドラッシュ時代の遺物のような二つの塔を持つカテドラルもあり、贅を尽くしたヴィクトリアンハウスがたくさんある都市なのです。

もちろん、今までヘレーナに黒人の市長はいませんでしたし、ましてや、彼は突然リベリアからやってきた難民の黒人なのです。しかも、この町は州都とはいえ、政庁や教会関係者らは、町で生まれ育ち、お互いによく知っているムラ的な地域なのです。

ところが、蓋を開けてみたら、コリンズさんが、現職で4選続けてて市長の座を守っていたジェイムス・E・スミスさんを、344票の僅差で破り当選したのです。アメリカで初めての難民でしかも黒人の市長が、州のキャピタルで誕生したのです。

はじめは、住民も、雪を見たこともないアフリカ人が豪雪地帯、しかもの数ヵ月零下40度まで下がる町の除雪問題をどうやって解決できるのだ、と懐疑的でしたが、そんなことは効果的に除雪車を動かすロジスティック(機能的な移動)と道路幅の問題だと、コリンズさんは見極め、あっさり解決したのでした。

除雪を終えた道路、通行可能な道路をインターネットにルーティング・マップとして常時掲載したりしています。道路幅を広げることは、冬季間の消防車を通すことにも繋がり、防火対策としても役立っています。

まだまだ、反対派の嫌がらせや脅しはありますが、コリンズさんは、「私がここに来るまで、何度もくぐってきた絶命の危機に比べたら、そんな嫌がらせは何ほどのこともない…」と、至って楽観的です。そして、「私が今の地位にあるのは、アメリカ人、この町の住人のおかげだ、彼らの助けなくして今の自分はあり得ない。少しでも彼らにお返しをしなくてはならない…」とあくまで、住民のために身を粉にして働くつもりなのです。

コリンズさん、サーブさんは、初めから高い教育を受けた難民ですから、一種の例外とも言えますが、彼らのような移民がたくさんやってきて、新しいアメリカを築いてくれることを望まずにはいられません。

-…つづく

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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