第614回:“恥の文化” は死滅した?
何十年も前になりますが、私が初めて日本に住み、電車で通勤した時に驚いたのは、車内での居眠りと、足を広げて座る酔っ払い、そして人前で平気で化粧をする若い女性でした。日本的恥の文化はどこへ行ったのだろうかと思ったものです。
そして、短い時間の通勤でも、スキあらば即寝るべしというのが、まるで至上命令のように、運よく座ることができようものなら、まさに芸術的な素早さでスーッと寝るのです。あれにはビックリしました。タダ寝るだけならまだいいのですが、意識的にか無意識なのか、隣に座った私の方に寄りかかってくるのです。終いには、頭を完全に私の肩に預けてくる人まで(大半は男性サラリーマンですが…)いるのです。マア~、当時は私も若く、男の人をそれなりに引きつけていたのかもしれませんが、あれは疲れます。
働いている現場を見ていないのに、電車の中だけで判断するのは公平でないのは承知の上ですが、他の人の迷惑を顧みずに、股を大きく広げてお酒臭い息をしながら電車の中で酔っ払って寝ているサラリーマンは、“恥も外見もない”という表現で呼ぶのがピッタリです。
そして、若い女性です。彼女らが当然のように堂々と電車の中で化粧をするのには本当に驚いてしまいました。化粧はプライベートなことで、髪をとかすことですら人前でするべきことではないと信じ込んでいましたから、人目を憚らず小さな手鏡を覗きながら、口紅を引き、アイシャドーを入れて自分の世界に没頭しているのを見るのは、異文化を体験させられたような気がしたものです。
南洋のトロブリアンド島では、人前でモノを食べるのは道徳から外れた許されない行為ですが、逆にセックスは大っぴらに人前で行う…と、文化人類学者のマリノフスキーが書いています。私にとって、日本はトロブリアンド島とまでは言いませんが、別の道徳、文化を持った東洋の島国のように思えました。
文化人類学者のルース・ベネディクトが、アメリカ政府、軍の要請で書いた本『菊と刀』以来、日本の文化は“恥”を基調としている…と言われ続けています。彼女は日本に住んだことがないどころか、行ったこともないのに、あのような本を書けるのは凄いことです。もっとも、彼女は戦時中の日本人収容所で日本人を観察しましたが…。戦前、アメリカに移住した日本人は明治の魂を持っていたのでしょうね。
ルース・ベネディクトが言う、“恥”の文化とは、一面的な見方だとは言え、上手く日本人の心理を掴んでいるように思えます。
行動の規範といえば大げさで、堅苦しく聞こえますが、私のような余所モノから観れば、日本人は異常なくらい他人の目、他人がどう自分を見ているかを気にしているように見受けられます。子供にも、「人前で、そんなことしてはいけません!」とか「みんなが見ていますよ、チャンとしなさい!」と、母親が叱っている光景をよく見かけます。大人になっても「恥を知れ!」と罵倒するのは、罵詈悪言の少ない日本では最高の(最悪かな)侮辱語になっているようです。
個人主義的なエゴが強い西欧では、他人がどう思おうと、自分は自分という考えが強いのでしょうか、そんなエゴをどうにか少し規制しているのは神様はいつも貴方を見ているという、現在では薄れてしまった感覚です。ハイウェイに数あるアダルトショップの看板のすぐ脇にキリストの大きな顔を張り出し“神は貴方を見つめています”と書かれたビルボードがあったりします。
と、日本の恥を感じる心がなくなったことばかり書いてしまいましたが、どうもこれは世代の相違でもあるようなのです。私の生徒さんも、さすがに授業中にはしませんが、休憩時間とか授業が始まる前にお化粧をしたり、これ見よがしに豊かな髪に櫛を入れている姿が、当たり前になってきたのです。もちろん、まわりに男子生徒もいますが、そんなことはお構いなく、女生徒が二人向き合って互いの化粧を直し合っている光景も珍しくありません。
ファッションと恥とは結び付きにくいものです。ある時代には、とても恥ずかしくて、そんなもの着て外を歩けたモンじゃなかったファッションが、次の時代には当たり前の普段着になっていたりします。ミニスカートが初めて世に出た時、ファッションに敏感な若い女性だけの特権のように、まるで25歳以上、60キロ以上の女性がミニスカートを着るのが禁止されているかのようでした。
ツイッギー(Twiggy Lawson;彼女の名前を覚えているのは、超高齢の人でしょうね…)のように、ガリガリに痩せた人、鑑賞に堪えるスラリとした脚の持ち主に限定されているかのようだったのです。それが、数年と経たずに、猫も杓子もミニスカートを穿くようになりました。ウチのダンナさん、横で、「美空ヒバリ(これ誰ですか?)のミニスカートはイタダケナカッタな~」と言っています。
今はレギングと呼ぶモモヒキ、タイツが全盛です。腰から下はピッタリとお尻、太もも、脚に張り付いているタイツです。その上にスカートや短パンを穿かず、ムキダシで闊歩している学生さんが大半です。どこか街娼ファッションのように見えます。それでも、痩せ型の人ならまだしも、巨大なお尻、太もも丸出しなのはどうにも見苦しいものです。デブにも権利があるのは承知の上ですが…。
おまけに、そんな太目の彼女らが歩く時、階段を上り下りする時に脂肉がダブダブ揺れるのは決して良い眺めではありません。「あんたがた、少しは自分の体形をわきまえて、恥ずかしくない服装をしたら…」と余計な忠告をしたくもなるというものです。
ところが、流行の力というのは恐ろしいもので、決して若くはなく、スマートならざる女性の教授陣にもレギングが浸透してきて、相当数の先生がレギングを愛用するようになったのです。もう、恥ずかしいという感覚は死んでしまったとしか思えません。
ルース・ベネディクトさんが、今、日本に住み、観察したら、“恥の文化は死滅した”と書くかもしれませんね。元々、恥を知らないアメリカ人を何と呼ぶのでしょうか?
-…つづく
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