第680回:内陸移設区間 - 仙石線 高城町駅~石巻駅 -
ハイブリッド列車は仙石線に進入し高城町に停車した。仙石東北ラインと名乗る列車は快速列車扱いで、ここから先は四つの駅を通過して野蒜に停まる。三つめの陸前大塚駅の先から新しい線路だ。東日本大震災で線路が流され、復旧にあたり内陸部に移設された。それまでのレールも両側に新しい砂利が撒かれている。きっとこのあたりも土砂流入か路盤流出があったかもしれない。それでもレール間は汚れているから、連絡線よりも前に砂利を撒いたようだ。
仙石線に入った。高城町駅
高城町駅は被災前の佇まいのようだった。しかし手樽駅のプラットホームの半分はコンクリートの色が新しい。修復された痕跡がある。海岸からは離れているけれども、津波はここまで押し寄せたのだろう。陸前富山駅と陸前大塚駅は海沿いにある。線路は元のままの位置だ。しかしプラットホームは新しく、線路の海側は真っ白な防波堤が作られている。陸前大塚駅を出たところで線路は左へ少し曲がる。ここからが付け替え区間で、旧線路は右へ曲がって海寄りに進んだ。旧線路跡はそのまま新しい防波堤の建設用地になっているようだ。
陸前大塚駅。進行方向右側の線路に入る
ワンマン運転では運転士がドアの開閉を行うからだ
東日本大震災は2011年3月11日。仙石線の全線再開は2015年5月30日。被災から線路の移設決定、工事完了まで4年2ヵ月あまりかかった。線路だけではなく、町も移転する大プロジェクトだ。新しい線路は真っ直ぐで、ひと目でわかるほどの勾配である。その上りの途中に新しい東名駅がある。東名と書いて「とうな」と読む。もともと闘灘と書いてとうなだと読んだそうだ。東名といえば東名高速道路を連想するし、新しい東名を新東名とすると、新東名高速道路ができているから、さらにややこしい。こちらの東名は線路1本でプラットホーム1面。無人駅だけど、木造風の小さな待合室がある。駅前は新興住宅地のように区画整理され、新築の家が建っている。商店はなさそうだ。
左へ進み付け替え区間へ。旧線は跡形もない
上り勾配は続く。車窓右手に海が見える。その手前は広い土地で、いや、すっかり整地されているけれども、そこはかつて街だったところだ。津波で流された土地、中央の白い建物は旧野蒜駅である。駅舎はきれいに残り、波板のプラットホームの屋根もある。その周囲に新築のような家がある。だから向こうも振興住宅地のように見える。内陸移転しなかった家だろうか。2014年に女川を訪ねたとき、元の場所に元通りが公的補助の条件という話を聞いたことがある。理不尽だと思う。
旧野蒜駅が見えた
野蒜駅は島式プラットホームで列車のすれ違いができる。プラットホームの左側に上り列車がいた。マンガッタンライナーだ。サイボーグ009の顔。新しい線路は新しい路線のようだけど、ああ、君がいるから、ここはやっぱり仙石線だ。新しい野蒜駅は木目調の壁に黒い屋根。東名駅に通じるデザインで、野蒜駅の方が大きい。ここは有人駅で、業務委託された係員がいる。移設された新しい街のシンボルという意味もあるだろう。しかし東名と同様、店舗が見当たらない。どこか寂しさを感じる。
野蒜駅でマンガッタンライナーとすれ違う
田舎なら細々とヨロヅヤがあり、最近の街ならコンビニがある。しかしここは家しかない。食料品はクルマでまとめて買い出しに行き、衣料雑貨は通信販売だろうか。計画された街には最先端の生活習慣が生まれている。しかし、集う場所がない町も味気ない。その役割が駅舎かもしれない。
付け替え区間のほとんどは高架線路
切り通しを抜けると高架線路になった。高架区間のまま畑を超え、住宅の屋根を見下ろしつつ、吉田川と鳴瀬川を渡る。この鳴瀬川鉄橋までが移設区間だ。鉄橋の構造物が津波と瓦礫の激流に耐えたという。川を越えると水田が広がり、線路は築堤になって、緩やかに下っていく。降りたところが陸前小野駅だ。この駅は移設されなかった。しかし津波の被害はあった。周囲は新築の家が目立つ。ハイブリット列車は陸前小野を発車すると水田地帯を走る。新築住宅がまばらに建っている。
鳴瀬川鉄橋はギザ山が特徴。フィンバックという構造で
吊り橋をコンクリートで覆ったような形。強風対策にもなるという
車内の壁にモニターテレビがあって、ハイブリッドシステムの動作状態を表示している。発進するときはエンジンが動いて発電し、モーター電流が進む。加速が終わるとエンジンからバッテリーへ向かって充電。平坦地ではバッテリーから電力が供給され、減速するときは電気の流れが逆向きになって、車輪とモーターからバッテリーへ充電されていく。これだけ見ていてもなぜか飽きない。たき火の炎を見ているような、なにか人の興味を引く要素があるらしい。
陸前小野駅。移設区間の線路は鉄橋まで。駅単位だとここまで
鹿妻駅を通過して国道と並び、建物が増えて矢本駅に到着。ああ、懐かしい。2014年4月、仙石線のこの区間が不通だったとき、松島海岸駅から矢本駅まで代行バスに乗った。それは三陸鉄道が全線再開した翌々日であった。今日は2017年の1月だから、約3年ぶりの訪問になる。ここから石巻は電化設備が復旧していなかったから、ディーゼルカーに乗った。移設区間を乗り通して、記憶の中の仙石線と現在の仙石線がつながった。
矢本駅。代行バスの終点だった
-…つづく
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