のらり 大好評連載中   
 
■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第587回:“虚像的英雄”が成功の秘訣

更新日2018/11/22



アメリカ人にとって、あの時、自分がどこにいて、何をしていたか、はっきりと覚えている事件があります。ケネディー大統領が暗殺された時と、ニール・アームストロングが月に到達し、月面を歩いた時です。中年以上という条件が付きますが、おそらくアメリカ人なら誰でもが、あの時、自分がどこで、何をしていたかを鮮明に覚えていることでしょう。

両方とも、アメリカの家庭にテレビが浸透し、大きな事件をナマで見ることができるようになってからの事件です。これがラジオ放送だけなら、あれほどアメリカ人の心に焼き付くことがなかったと思います。

お母さんが、まだ専業主婦として家事、育児に明け暮れていた時分、流れ出る涙を拭こうともせず、泣き腫らした顔で、「ケネディー大統領が殺されたわ…」と言ったのを覚えています。下の妹、弟たちが騒いでいるのを、震えるような涙声で、「静かにしなさい! 私たちの大統領が殺されたのよ!」と、きつく叱ったのをはっきり覚えています。

もう一つの大事件、人間が初めて月に行き、そこを歩き、月から地球を眺めた事件?です。これは前もって実況中継が組まれていて、1969年7月20日のことですが、多くの職場でもその瞬間をテレビで観るための時間を作っていました。

私の田舎の家に仲良し従妹たちが、夏休み、泊りがけで遊びに来ており、テレビで何やらとても長ったらしい前置き、どのようにアポロ宇宙計画が進められ、キャプテンのアームストロングの人物紹介などが続いていたのに飽きて、外で遊んでいる時、またお母さんが、「早く来て! 宇宙船が月に着くわよ…!」と、私たちを呼び入れました。そして、あの有名な名言(たぶん誰かスクリプトライターが準備したのでしょうけど…)、「この小さな一歩は人類にとっての偉大な一歩である」と、古い短波ラジオで聞くようなアームストロングの声が聞こえてきたのでした。

私たちは、またすぐに外に出て、ほとんど満月に近い月を…、ここの部分の記憶がかなりぼやけてしまっていて、半月だったかもしれませんが、おそらく夕方で丁度月が昇り始めていたのを、「あそこに、人が歩いているのが見えた。アレ、あっちの方よ…」「イヤ、上の方でアメリカの旗を振っている…」と、ふざけて言い合ったのでした。

宇宙へ人工衛星を飛ばすソビエトとアメリカの競争は、当初、ソビエトの方がアメリカを大きく引き離し、人工衛星スプートニク(ロシア語で「衛星」の意)を成功させ、その後、犬、ユーリイ・ガガーリン、ワレンチナ・テレシコワさんと、すでに人間まで宇宙に送り込んでいました。アメリカとしては、何としてでもソビエトより先に月に人間を送り込まなければなりませんでした。ケネディー大統領のお声掛かりで、膨大な予算が組まれ、ニール・アームスロングを月に送り込むことにやっと成功したのですが、それだけに、国民に強くアピールする必要があったのでしょう。

アメリカだけではないでしょうが、宇宙計画のような国家的大事業でプロパンガンの効果を最大限に上げるには、個人的な英雄を表面に押し出すことです。人は英雄像に憧れるものです。たとえそれが作られたイメージであっても…。

冷静に考えれば、いや、それほど真剣に考えなくても、ニール・アームストロングがアポロ宇宙計画をゼロから作り上げたわけでないことは誰でも知っています。宇宙局の職員何万人もが関わり、作り上げた作品の最終ドライバーにアームストロングは選ばれただけなのです。もっとも、何百人もの候補者の中から選ばれたのですから、彼が優秀なパイロットであることは間違いないでしょう。それにしても、アームストロングの個人の意思、企画力、統率力はアポロ計画では全く問題にされず、優れたオペレーター、運転手としての能力だけがすべてだったと言い切って良いでしょう。

アムンゼン、ナンセン、スコット、マジェラン、コロンブス、リヴィングストンなど、彼らの個性、意思がそのまま航跡になっている先駆的な冒険者とは全く次元が違うのです。宇宙計画はすでにそのような個人の意思で動かせるモノゴトではなくなっており、お金と組織力がすべての冒険なのです。

極言すれば、ニール・アームストロングは何万人といるアメリカ航空宇宙局の職員の一人というだけのことです。それをテレビ時代に乗っ取ったマスコミが、国の後押しを受けて英雄としてのイメージを作り上げたのです。彼が如何に家庭的な父親であったとか、良き夫であった、良きキリスト教徒であったかなどは、英雄を飾るための枝葉のことです。

月面歩行で有名になり、素晴らしい年金を貰い、自伝を書き、それで儲け、その上、1979年にはシャキッとしたスーツに身を固め、車のCMでクライスラーのコルドバ、ル・バロンに乗り、いかにこの車が素晴らしいものであるか、宇宙のイメージをチラつかせながら宣伝に努めているのです。

このテレビ時代に、虚像的英雄を作り上げることの滑稽さと危険性があります。アメリカの選挙、州知事から大統領まで、テレビでイメージをいかに作り上げるかが、成功の鍵になってしまったのです。それを、ニール・アームストロングは、半世紀以上前に示していたのです。

-…つづく

 

 

第588回:個人が戦争を始めた話 “Good Time Charlie”

このコラムの感想を書く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Grace Joy
(グレース・ジョイ)
著者にメールを送る

中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

■連載完了コラム■
■グレートプレーンズのそよ風■
~アメリカ中西部今昔物語
[全28回]


バックナンバー

第1回~第50回まで
第51回~第100回まで
第100回~第150回まで
第151回~第200回まで
第201回~第250回まで
第251回~第300回まで
第301回~第350回まで
第351回~第400回まで
第401回~第450回まで
第451回~第500回まで

第501回~第550回まで

第551回:山の異変と狼回復運動
第552回:雪崩れの恐怖
第553回:ウィッチハント(魔女狩り)ならぬウィッチ水脈探し
第554回:フリント市の毒入り水道水
第555回:無料で行ける公立大学
第556回:“偏見のない思想はスパイスを入れ忘れた料理”
第557回:新鮮な卵と屠畜の現状について
第558回:ベティーとマイクのマクドナルド・ファーム
第559回:時計を読めない、正しい英語が書けない世代
第560回:日本の英語教育に必要なこと
第561回:スクールバスと幼児誘拐事件
第562回:アメリカではあり得ない“掃除当番”
第563回:プライバシー問題と日本の表札
第564回:再犯防止のための『性犯罪者地図』
第565回:“風が吹けば桶屋が儲かる”_ Kids for Cash
第566回:卒業と就職の季節
第567回:歯並びは人の品格を表す
第568回:アメリカ異人種間結婚事情
第569回:アメリカのマリファナ解禁事情
第570回:一番幸せな国、町はどこですか?
第571回:日本人は“絵好み(エコノミー)アニマル”
第572回:お墓はいりませんか?
第573回:火気厳禁~異常乾燥の夏
第574回:AIの進化はどこまで行くの?
第575回:暑中御見舞いとゾッと涼しくなる話
第576回:落雷か? 熊か? ハルマゲドンか?
第577回:山の中のミニ音楽祭
第578回:たかがラーメン、されどラーメン…
第579回:由々しきアメリカの教育問題
第580回:不幸はまとめてやってくる
第581回:オーティズム(自閉症)と人生相談室
第582回:報道の自由、言論の自由
第583回:Homo currere;走る人、90Kmウルトラマラソン
第584回:自分で性別を選べる時代
第585回:二人のノーベル平和賞
第586回:パラサイト学生と苦学生

■更新予定日:毎週木曜日