第551回:山の異変と狼回復運動
今年、私たちが住むロッキー山脈の西側は異常に暖かく、雪も少なく、いつもの年ですと、1メートル以上の積雪があるはずなのに、雪は木陰や北の斜面に薄っすらと残っているだけです。3月末まで顔を出すはずのない地面が、あたり一面、茶色い土と岩のままなのです。ここに限って言えば、地球温暖化はすぐ近くまで来ていると言えそうです。
気候の変化に一番敏感なのは野生の動物でしょう。2月、冬真っ盛りなのに、野生の七面鳥は群れを成して歩き回っていますし、鹿も子連れですでに谷から上がってきています。しかも、数頭ではなく何十頭という大群と呼んでよいほど大きな群れで徘徊しています。
今日、いつもの散歩道の登り口にかかったところで、近くに住んでいる叔父さんが運転していたピックアップトラックを寄せ、彼の家から60~80メートルのとこで、マウンテンライオンが子鹿を殺し、晩餐をしているから注意しろと知らせてくれました。
自分が仕留めた獲物、ご馳走を取られるのは、どんな動物でも喜びませんから、私たちもマウンテンライオンの食事の邪魔をしないように、すぐに引き返すことにしました。そこは私たちの家から直線距離にして2キロくらいのところでしょうか、マウンテンライオンの足なら一足跳びの距離です。
そして、その日の午後、国有林管理局の叔父さんが猟銃を抱えた姿で、私たちのところへ来て、「マウンテンライオンが徘徊してるから、気をつけろ!」と警告して行ったのです。気をつけると言ったって、どうやってマウンテンライオンのご機嫌を伺ったらいいのでしょうか。森林管理局の人は、銃に弾を篭めておき、身近に置くようにと忠告してくれましたが、第一、私たちは猟銃もピストルも持っていないのです。
野生の草食動物が冬場にこの界隈にいること自体、狂っているのです。そうなると、それを狙う肉食動物もうろつき始めます。何とか自然の中でマウンテンライオンを見たいと思っているのですが、足跡やマウンテンライオンに殺され、内臓ともも肉を食べられた鹿の残骸しか見たことがありません。向こうさんは木の上、岩陰からこちらを見張っているのかもしれませんが…。
もう一つの肉食動物はコヨーテです。コヨーテは何度も見たことがあります。顔の尖った薄茶色の中型犬のように見えます。胸からお腹にかけては真っ白で、シッポは長く大きくて先太りです。超大型の狐に見えないこともありません。飼い犬と圧倒的に違うのはその動き、歩き方です。ほとんど肩、身体を上下に揺らすことなく地面と平行に体をスーッと移動させるのです。全く足音を立てない…もっとも足音なんか人間には聞こえないでしょうけど、そんな歩き方なのです。イヌ科ですから、頭も良く、何頭かの集団で獲物を狙うと言われています。
コヨーテの被害は牧羊業の人にとっては深刻な問題で、2014年の統計になりますが、アメリカで33,479頭のもの羊がコヨーテに食べられてしまいました(U.S. Department of Agriculture 調べ)。道理で、アメリカでラム、マトンが高くなるはずです。
コヨーテは子牛、豚、ヤギ、鶏、終いには放し飼いにしている犬、猫などを襲います。コロラド・コミュニティ・ライフのデニス・スミスさんの報告によると、ロッキーの東側、デンヴァーやボルダーという大きな都市が連なる一帯にもコヨーテが出没し、チョットした問題になっていると書いてます。
コロラド・スプリングで2歳の女の子が齧られ重態、14歳の男の子も足や腕に噛みつかれ、 ニューワットというハイテク関連の会社が集まる町の公園で、出勤途中の男性が襲われ、彼は持っていた金属性のフラッシュライト(マグライト)で反撃しましたが、足や腕だけでなく、顔まで傷を負ったと報告しています。
コヨーテはとても臆病で、人間には近づかないと思っていましたが、いつの頃からかイメージチェンジして、人間を恐れなくなり、攻撃さえしてくるようになった…と言うのです。
私も通勤の途中で、何頭かのコヨーテが鹿の群れを追い込んでいるのを見たことがあります。イヤ、その時、実際のコヨーテたちは高い牧草に隠れて見えなかったのですが、鹿が狂ったようなスピードで跳びはね、必死の逃走をしていたのです。
ナンダ、ナンダと車を止めたところ、一頭の鹿が私の止まっている車にぶつかってきたのです。その鹿、余程ドジなのか、あせっていたのか、相当酷い衝撃でした。が、鹿は何事もなかったように走り続け、私のホンダ・シビックにも大過ありませんでした。鹿の逃げ方を観ていると、何頭かのコヨーテが一頭の子鹿を親グループから引き離す作戦のようでした。
番犬として飼っている中型、大型の犬などは野生の動物にとっては敵ではなく、あっさり粉砕され、コヨーテが家の中にまで侵入した事件が数多く報告されています。言ってみれば、郊外に団地が続々と進出し、コヨーテがもっぱら食べていたウサギやリス、プレーリードックが生息する餌場がなくなってきたから、身近にある、人間様のゴミやペットを襲うようになったと解説されています。
そこへ持ってきて、“ロッキー山脈狼プロジェクト”という団体が、ロッキー山系にもう一度狼を復活させよう…という運動を始めたのです。コロラド・ロッキーで最後に狼が目撃されたのは2004年のことです。増え過ぎた鹿をコントロールし、生態系を守るために、狼は重要な役割を果たしているから、狼のいる森や山をもう一度…というのがこの団体の趣旨です。
他の州、例えばモンタナ州では狼を移住させ、成功させています。モンタナ州の場合は超大金持ちのテッド・ターナーが狼回復運動の資金源になり、狼の被害を補償する形で進められました。イエローストーン国立公園、それにモンタナの山岳地帯でリサイクル狼が生息しています。人間が国立公園、国有林、モンタナ州といくら言ったところで、狼の方はそんな境界があることを知らず、したがって平気でどこにでも行きます。
ジャック・ロンドンの著作『荒野の呼び声』は野生に返っていく犬の感動的な物語です。でも、野生と隣り合わせに牧場を構える農夫たちは、“狼をもう一度、森や山に放てだと、何をたわけたことを、まずお前たちが住む団地の中に放すんだな”と憤り、猛反対しています。お前の牛や羊が毎日殺されてみろ…というわけです。
コロラド・ロッキーに狼を呼ぼうという団体は、モンタナ州で狼は年間、牛100頭、羊130頭を殺している、これは非常に小さな数で、狼がもたらす自然界のバランスからみると無視できる程度だと言うのです。おまけに、狼は増えすぎた鹿を食べてくれるので、鹿の数をコントロールするのに役立つと言っています。
狼に殺される牛や羊の被害を少ないと見る野生動物愛好家と、生活がかかっている牧場主の間のミゾは埋まりそうもありません。
山や森を本来のあるべき姿に戻そうという理想は共感を呼びますが、もうすでに野生、自然を壊すように山や森に侵入し、団地を造成し棲み始めた人間を押し戻し、そこに野生を呼び戻すことは、時計の針を逆に戻すことができないのと同じように、とても難しいでしょうね。
こんなことを言ってる私たちにしても、山裾の森に住んでいるのですから、野生の動物の生活圏にちょっとお邪魔していることになるのですが…。
ところ構わず森や丘、山をうろつく傾向のあるウチのダンナさん、「オレみたいな老骨は食っても美味しくないから、襲われる心配なんかいらん…」と、森をほっつき歩いています。
-…つづく
第552回:雪崩れの恐怖
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