第387回:紋切型の会話と失語症?
今回の日本滞在で、大好きなお相撲を堪能しました。
少しばかりですが、失望させられたのは、引き技が多くなり、四つ相撲が少なくなったことです。すべての取り組みに熱戦を期待するのは無理だと知ってはいるのですが、大一番で引いたり、叩いたりは頂けません。ドンとぶつかり、ガップリ四つに組んでこそ大相撲だと…思うのですが、お相撲さんにしてみれば、15日間全エネルギーを燃やし尽くすような相撲を取るのがとてもシンドイことなのでしょうね。
それと、もう一つ失望させられるのは、お相撲さんのインタヴューです。相撲取りはあまりしゃべらず、不言実行を身上としているのは分かりますが、質問も紋切型なら、答えも、これ以上短縮できないくらい短い紋切文句なのです。
昔、闘牛士のインタヴューをスペインのテレビで見て、とてもがっかりしたことがあります。引き締まった凛々しい顔、黒く輝く瞳、男性的な太い眉、どこをとっても草食系のナヨナヨした男とはかけ離れた、隅から隅までマッチョなのです。ところが、一旦口を開き、しゃべり出した途端にガックリきました。南部弁、スペインではアンダルシア弁に偏見を持っているつもりはありませんが、丸出しのカッペ言葉で、おそらく小学校もロクに通っていなかったような、文法全く無視の話し方をするのです。アナウンサーは闘牛士にしゃべらせないで、勇壮な姿だけを映すべきだ…と思いました。
ところが、日本のお相撲さんは闘牛士といい勝負なのです。闘牛士の方はともかく自分の言葉でしゃべるだけ、しかも沢山しゃべるだけマシです。典型的な相撲インタヴューは、「見事な勝利を収めました○○関です。○○関、今日の取り組みはいかがでしたか?」「ハイ、そうですね、勝ってよかったです」(勝って、喜ばないスポーツマン、ウーマンがどこにいますか)、「これからの抱負は?」「ハイ、そうですね、やっぱし自分の相撲を一番、一番取っていくだけです」(一度に二番取れないから、当たり前でしょう)、「勝ち星、おめでとうございます。○○関でした」「ハイ、ありがとうございました」と、インタヴュアーも面白味のない質問を繰り返すし、お相撲さんも教則本に書いてあるとしか思えないような答え方です。
相撲だけでなく、すべてのスポーツの選手が、「はい、そうですね」と「やっぱり」の連発です。私の日本語の生徒さんたちを中心にしたグループが日本旅行に出かける前に、日本語を全く知らない他の学部の生徒さんにインスタント日本語を教えます。さようなら、こんにちは、こんばんは、ありがとう、と言いたいときに、ただ一言、「どうも、どうも」とはっきり言うように、この「どうも、どうも」だけで乗り切るように教えます。帰ってきた学生に、「旅行中、困ったことはなかったですか?」とたずねたところ、「どうも、どうも」と答えてきました。
日本に住む日本人は当たり前のことですが、日本語で生活しているのですから、日本語を全く知らないアメリカの学生のように、「どうも、どうも」だけで会話を成り立たせているわけではないでしょうけど、「そうですねー」、「やっぱり」が受け答えの中に入らないことはまずありません。
一つに、相手に一応の賛成する姿勢を示すために、「そうですね」で受け、しかし、そうは言っても自分はこう思うという意思表示で、「やっぱり」と続くのでしょうけど、それにしても、どうしてああまで判で押したような同じ受け答えをするのでしょう。多くの日本人が自分の言葉を持たなくなったとは思いたくありませんが、未だにハビコッテいるサラリーマン敬語の「させて頂きます」と同じように、紋切型さえ使っていれば安心できるという心理がチラホラ覗いているようにも見えます。
「そうですねー」、「やっぱり」と聞くと、それに続く意見も、感想もまたありきたりの紋切型だ…と思い込んでしまいます。
日本人は豊かな表現を忘れ、一時的な失語症になってしまったのでしょうか…。
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