第385回:日本の食文化と食べ方
日本で暮らしていて驚くのは、食べ物の情報量の多さです。新聞、雑誌でもどこだか産の農産物とか、何屋のお菓子、どこどこで漁れた海産物とか、いちいち産地を、しまいには生産者や農園の名前にまで及んでいます。レストラン、食堂の情報も溢れています。
先日の夕方、ウチの地デジで入る5チャンネルのすべてが食べ物番組を放映していました。お料理教室、食べ歩き、レストラン紹介、グルメ食材探索など、この地球上で全人口の3分の1が飢えている現実はきれいさっぱり忘れられています。
当たり前のことですが、テレビは視覚と聴覚のメディアですから臭いと味は直接伝わりません。そこで、どのテレビ局もお笑いタレントや女優さんに登場してもらい、飲み食いする現場、もぐもぐ食べる映像を写します。
一体、動物が食べ物を漁るところは、決して美しいものではありえません。サメが弱ったイルカやクジラを食いちぎるところ、あれほど優雅なサバンナの動物たち、ライオンやヒョウが顔中血だらけになって草食動物を食いちぎるところは言うに及ばず、平和的な牛でさえ、一日中草を食み、ゲップをし続けるのは見苦しい光景とさえ言えます。 見ていて心和むのはおっぱいを無心に吸う動物(人間も含む)の姿だけでしょうか。
文化人類学者のマリノフスキーがトロブリアンド島に住み込み、そこの住人の食と性が、私たちが知る文明とは逆のモラルを持っていることを報告し、衝撃を与えたのはもう何十年も前のことです。トロブリアンド島ではセックスは人前で大っぴらに行うけど、他の人に食べるところを見られるのはとても恥ずかしいことで、決して人前でモノを食べないというのです。
排泄行為の方は世の東西、どこに行ってもあまり人前で行うことではなさそうですが、初めて日本に来たとき(花も恥じらう21歳でした)、主に酔っ払いですが、電信柱や小路で立小便姿を目にすることは珍しくありませんでした。さすがに、英語で言うナンバー2(大の方の意味です。ナンバーワンは小)を大っぴらに垂れ流している光景は見ませんでしたが。ダンナさんに言わせれば、日本が電信柱ダラケなのは立小便のためであり、立小便は日本の伝統だということになりますが、そんな伝統があるものですか。アメリカでも日本の伝統をひけらかしているウチのダンナさん、今に警察に捕まるのではないかと心配です。
確かに摂食行為は排泄行為ほど醜悪ではありませんし、ましてやトロブリアンド島に住んでいるわけではありませんから、モノを食べる様子を一般公開しても構わないのですが、元々口にモノを入れながらしゃべるのは悪いマナーです。醜いです。それをテレビでは営々と放映しているのです。優雅においしそうに食べるには、それ相応の鍛錬とテーブルマナーに則っていなければなりません。それなのに、女性のタレントが頬張るように口にモノを入れたまましゃべるのです。美貌も何もあったものではありません。
しかも、コメントは決まり切った紋切り型で、さっぱりとした口当たり、サクサクまたはシコシコ、コリコリした歯ごたえ、香りは常に芳醇であり、甘さは抑えた控え目、口いっぱいに広がる豊かな風味、お酒やワインは静謐であり、などなど、写真を撮られるときに揃いも揃って指でVサインをするように、ワンパターンなコメントばかりです。
丸谷才一さんや檀一雄さん、吉田精一さん、開高健さんたちが味わうことをいかに表現したか、2、3ページでも読んでからテレビに出てもらいたいものです。もっとも、これらの文豪たちには食文化をマスコミの表面にさらけ出した罪はあるのですが。
「食文化」が転じて「飽食文化」というのは、恥ずかしいことだと思いませんか?
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