第86回:通った店 出会った人々(2) 更新日2006/11/30
その次によく通った店は、私が二十歳過ぎの頃、住んでいた中目黒のアパートの近くにあった居酒屋『一斗樽』。この店も行き始めて間もなく店の代が変わり、そのまま新しい方の店に継続して通った口だ。
私は3年くらい、3日と空けずに通っていた。今までで一番足を運んだ店だったように思う。行き始めた当時、マスターは36歳くらいで、ママさんが32歳くらいだったと記憶している。2階建ての家屋の1階をお店にして、2階に家族5人で生活していた。
子どもさんは、小学校5年生を頭に女の子ばかりの3姉妹で、学校帰りにランドセル姿で店にチョコっと顔を見せたりして、とても賑やかな子らだった。ふと考えると、一番上のお嬢さんは、今はもう40歳を越えているはずだ。
当時、私は生意気にもずっと「つけ」で飲んでいた。定連のお客さんの大半はそういう飲み方をしていたが、最近ではカードの普及もあって少なくなっているようだ。考えてみると、かなりリスクの多い商売を強いていたわけで、申し訳ない気がする。今の私の店ではとてもできるスタイルではない。
私は、この店で実に多くの人と出会っている。年齢も生業も多岐にわたっていて、今の私の考え方の中には、この頃見聞きしたり、話をしたりして形づけられたものがかなりあるように思う。
店の若いお客さんから「詩人さん」と呼ばれていたTさんという人がいた。彼は山形県の出身で、中学を卒業してから集団就職で上京し、旋盤工として25年近く働いているベテランの工員で、独り者だった。
何のきっかけか忘れたが、ある時から私と懇意になってくださり、彼のアパートにも何回かお邪魔したことがある。古い木造2階建ての1階にあったその部屋は、トイレと隣り合っていたので、いつも消毒液の強い匂いが立ち込めていた。
Tさんはいつも、「きたねえ部屋だけど、まあ勘弁してゆっくりしてってくれや」と言って、私を部屋に通してくれた。彼は草野心平の愛読者で、自らもコツコツと詩作を続けていた。作った詩を朗読してくれることも時々あったが、私の印象は、「男らしい詩」だなというものだった。骨太でどっしりとして、少し暴力的な詩だった。
田舎で僧侶をしているお兄さんをたいへん尊敬していて、その息子が駒沢大学の仏教学部に通っていることをとても自慢していた。「K君、甥っ子はなかなかに優秀な奴なんだよ、これが」と話すTさんの眼は、本当に嬉しそうに輝いていた。
いっとき一斗樽でアルバイトとして働いていた美幸ちゃんという女の子がいた。ママさんの姪っ子にあたるお嬢さんで、当時大学2年生くらいの気立てがよくて愛嬌のある可愛い子だった。
ある時、開店間もなくの早い時間帯、どんなタイミングだったのか美幸ちゃんがひとりで店番をしていたが、疲れていたのだろう、店のカウンターで居眠りをしてしまったようだ。そこにたまたま入ってきたTさんが、美幸ちゃんの寝顔があまりに可愛かったので、思わず頬にキスをしてしまった。幸いその瞬間、美幸ちゃんは目覚めることはなかった。
その話は何日かして、Tさんのアパートで彼の口から聞いた。「だって美幸、あまりかわいかったんだもの。悪いことをしたかなあ、K君どう思うよ、許されてもいいよなあ」と、はにかみながら訴えるようにして私に話した。
「そして、やがて死んでいくのであった」。いつも話をしていて話が途切れると、寂しそうに笑いながら、口癖のようにそう唱えていたTさん。何回か病気をされ、身体のあまり強い方ではなかったが、今は65歳ぐらいになられるはずだ。決して「死んでいく」ことなく、どこかで生きていていただきたい。
Iさんという女性がいた。知的で穏やかな方だった。時々“一斗樽”のカウンターで隣同士で飲むことがあった。ある時私が、「西田佐知子のファンです」と話をしたら、「確か私と同じ年よ」と話していたので、その当時40歳だったのだと思う。私は22歳、年齢はかなり離れていたが、少々乱暴な恋に傷ついていた時期だったこともあり、いつも少し寂しげな表情を見せるIさんに、いつからか気持ちが惹かれていった。
けれども、あっけなく別れの時が来た。実家の母の面倒を見るために、彼女は北海道に帰らなくてはならなくなったのだ。私は何冊かの本を渡して餞別にした。彼女は、「こんなに若い方にプレゼントをもらうなんて、ありがたくてもったいないくらいだわ」と言って喜んでくれた。
私は、引っ越しの日彼女を羽田まで送っていった。前から、「とんでもない、そんなの悪いわよ」と何回も固辞されたが、「ぜひ行かせてください。こんな時でないと飛行場などめったに行けないのですから」と言ってお願いした。私は上京してから一度も羽田空港に行ったことがなかったのは事実だったが。
空港のロビーで、「半年前までは国際線が全部こっちだったから、それは賑やかだったわよ。今はほんと、さびしくなっちゃって」。彼女はそう言った後、「今日はありがとう、東京での最後の思い出になったわ」と深く頭を下げた。
私はその時、生まれて初めて、機体が上空に消えて見えなくなるまで、飛行機を見送り続けたのだった。
第87回:通った店 出会った人々(3)