■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
までのバックナンバー


第51回:お国言葉について
第52回:車中の出来事
第53回:テスト・マッチ
第54回:カッコいい! カッワイイ!
第55回:疾走する15歳

■更新予定日:隔週木曜日

第56回:夏休み観察の記

更新日2005/08/11


夏休み、かくも甘美な響き。学校に行っている時分、高校卒業まで全部で12回の夏休みがあったが、一番思い出されるのは、やはり小学校の5年生までいた長野県岡谷市での夏休みのことだ。

今もたいして変わらないとは思うが、長野県の夏休みというのは、たいへんに短かった。7月はもう月末の29日くらいに始まって、8月はお盆を最後に16日には終わってしまった。20日足らずしかない。その頃は、東京では40日以上あると聞いて、とても羨ましかったことを憶えている。

その代わり(こちらは今はどうなっているかわからないが)、あまり寒いために寒中休みというのが、年末年始の冬休みの他に、1月下旬から2月上旬まで10日間ほどあった。

後は中間休み、お手伝い休みと言っていたが、春秋の農繁期に各4日ずつくらいの休みがあった。これは農家の子が多かったからだろう、私たち農家以外の子も近くの田圃仕事を手伝うよう指導された。春は田植え休み、秋は稲刈り休み。のどかなネーミングだが、機械化がまだ進んでいなかった時代、少しでも多くの手が必要だったことからできた学校の「お休み」だ。

さて、夏休み。都会の子と違って20日足らずだったものの、やはり長く楽しい日々だった。虫取りをしたり、プールで泳いだりいろいろな遊びもしたが、どちらかというとアウトドア派ではない私にとって、「夏休みの観察」をしたことが、今もっとも記憶に残っている。実際とても内向的な子だったのだ。

これは多くの人がよく憶えていることと思うが、「アサガオの観察」。最近では朝顔市にも、洋風な艶やかな色のものが出回っているが、当時はやはり濃い青紫や赤紫のものがほとんどだった。朝起きてまだ眠いうちに、「今日あたり咲いているかな」と思いながら表に出て、鮮やかに開いた花に出会えたときの胸の高まりは、とてもすてきな記憶として今でも心の奥に刻まれている。

ある年は「雲の観察」をして、一夏中空を見上げてばかりいた。うろこ雲が高積雲とか、入道雲が積乱雲とか、いろいろと憶えた気がするが、今はっきり思い出されるのはこの二つぐらい。そういえば、いわし雲はなんて言ったっけ。

気温、水温、地温を測ってグラフをつけ続けたことがある。水温は朝早いうちに近くの小川に行って測るのだが、夏とは言えまだとても水が冷たい。小川に跨りながら、棒温度計を差すときの水の流れの手応えと、さざ波が朝日に反射してキラキラと輝いていたことは、夏が来るたびに思い出される。

学校の中庭の一角に水田を作って、稲を植えていた。夏休みの間は当番制を敷いて、ウサギなどの世話とともに登校して観察していた。当番は男の子と女の子がひとりずつ。一緒に組んだ女の子の名前も顔も忘れてしまったけれど、彼女の着ていた鮮やかな黄色のワンピースと帽子の真っ白いつばの色だけは、不思議に憶えている。

「蚕の一生の観察」は、私のいくつかの観察もののハイライトだった。歴史的に養蚕が盛んな土地柄なので蚕はすぐ手に入ったが、小学校の友だちの中で実際に観察した人は、ほとんどいなかったと思う。

毎日桑の葉をあげて(彼らの食欲はかなり旺盛だ)蚕の生態を絵入りで記録し、繭を作れば、それを縦半分に切って蛹の様子を調べる。今は気持ち悪くてちょっと遠慮したいところだが、少年時代の好奇心で、そのときはせっせと観察したものだった。

ある朝目覚めると、数個ある繭のうち3、4匹がしっかり蛾になっているのには驚いた。腹の部分の大きい不格好な蛾がバタバタと動いているのは、観察の締めくくりとしてはあまりおもしろいものではない。しかも、私の母が誤ってお尻で2匹ほどを踏んでしまったので、事態はより悲惨なことになっていた。

そういえば、これはもう中学2年生の夏休みの話だ。すでに名古屋市の学校に転校していて、夏休みを利用して帰省した際、川でフナを釣った。それをきれいに腑分けした後、大きめの瓶の中にエーテル漬けして、休みが終わった後学校に持って行き、担任の女性の教師(かなりの美人の方だった)に提出した。

数日後、夏休みの作品の展示があるということで展示室に見に行ったのだが、私のフナの瓶が見あたらない。不思議に思い担任の先生に聞いてみると、「K君、ごめん。だってあんまりにも気持ち悪いんだもん」と言って、覆いをかぶせて見えなくなっている展示用の机の下に隠したことを告白した。

私がもぐってそれを取り出し、机の上に置いて振り返ったとき、もう先生の姿はなかった。F先生、あの日から私は科学する心を失ってしまったのですよ。

 

 

第57回:菅平の風