■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
までのバックナンバー


第51回:お国言葉について
第52回:車中の出来事
第53回:テスト・マッチ
第54回:カッコいい! カッワイイ!
第55回:疾走する15歳
第56回:夏休み観察の記
第57回:菅平の風
第58回:嗚呼、巨人軍
第59回:年齢のこと
第60回:「ふりかけ」の時代
第61回:「僕のあだ名を知ってるかい?」の頃
第62回:霜月の記
第63回:いつも讃美歌があった
第64回:師かならずしも走らず
第65回:炬燵で、あったか
第66回:50歳になってしまった
第67回:もう一人のジャンプ選手と同級生の女の子のこと
第68回:さて、何を食べようか
~お昼ご飯のこと


■更新予定日:隔週木曜日

第69回:さて、何を飲もうか

更新日2006/03/02


前回、お昼ご飯について書いたので、そのはずみで今度は夕ご飯と考えたが、私の場合は、夜は酒を必ず飲み、おかずはどうしてもその肴と言うことになる。いっそのこと、今までどんな酒を飲んできたかに思いをめぐらせた方が楽なので、そちらを書いてみようと思う。

生まれて最初に酒を飲んだのが、小学校1年生。父親が新宅を構え、そのお披露目をまだ木材のにおいが残る客間で催した時だった。十何人のお客さんが帰るというので、父母がお見送りに行っていた間に、お銚子に残っていた日本酒を、まったくの興味本位で飲んだ。

「渋いな、でも甘いな」という印象だった気がする。おそらく半分近くお銚子に残っていたのを飲んでしまったのだと思う。その後の記憶は、目を覚ますと心配そうに人の顔をずっとのぞき込んでいた母の顔と、回復した後、こっぴどく叱ってくれた父の表情である。

そんな母も、とんでもないことをしている。私が中学2年生くらいの夏のある日、家に帰ると、母が妹とふたり、苦しそうに横になっている。驚いて事情を聞くと、暑いのでのどが渇き、何かを飲もうと冷蔵庫を開けたがジュース類は全くなく、一本だけあったキリンビールの小瓶を一気に飲んでしまったというのだ。

いくら暑いからと言って、小学校の低学年の娘とビールの一気飲みをしてしまう母親がいるだろうか。しかも母は当時から、葡萄酒をお猪口に半分で酩酊してしまう、ほとんど下戸の部類だったのだ。妹もその夏の日で懲りたのか、今でも酒は一滴も口にしない。

私は、上京してからは、あまり好きではないのに日本酒ばかりを飲んでいて、酒の上の失敗談は、まったく自慢にならないが、みんなに引けを取らない方だと思う。日本酒は本当に酔っぱらってしまうのだ。ただ、以前にも書いたかも分からないが、二十歳過ぎの頃、飲み屋のおかみさんの一言で、飲み方を変えたことがある。

目黒区の祐天寺近くにあった「祐天酒場」(最近近くを通ることがあるが見あたらないので、かなり前に店は閉められたのだと思う)。五十絡みのおかみさんが一人で切り盛りされていた居酒屋だった。私が、いくつかのつまみとともに日本酒を注文して飲んでいると、おかみさんが話しかけてきた。

「お客さん、あんたとても不味そうな顔をして酒飲んでるね。そんなんじゃ酒が可哀想だから、飲むの止めた方がいいよ」と、ぴしゃりと言われた。返す言葉がなかった。確かに少しも旨いと思わずに、ただ流し込んでいたのだ。

私は、残りの酒を飲もうかどうしようか一瞬躊躇したが、急にピッチをあげてお猪口に何回か注いでは飲み干し、早々にその店を退散した。「そうか、不味そうな顔で飲んでいたのか。それではいかんな」。

それまでは、旨いと思うこともなく、人の飲まないものを飲むところがあった。焼酎ブームになるはるか前に、酒屋さんでホワイト・リカーのような甲種焼酎を買ってきては、「不味い、不味い」と思っては飲んでいた。

その時も、酒屋さんに、「若いのに、身体をこわさないようにしなさいよ」と忠告を受けた。今考えると、あの頃はみんなの庇護の元に酒を飲んでいたのだと気付き、恥ずかしい思いである。

いわゆるサラリーマン時代は、完全なビール党だった。私は、サッポロ黒ラベル(当初はびん生と言っていた)が1977年(昭和52年)にできてからの大ファンで、今でも愛飲している。また、店の樽もメインの瓶ビールも、わざわざサッポロの「お客様相談室」に電話をかけて(少し偉そうですね)この銘柄を置いている。

一時、サッポロが何を勘違いしたか、このビールの発売を止めてしまったことがあって、その時は心ならずも「スーパー某」「一番某」に浮気心を起こしてしまったが、復帰以来一途にこのビールを飲んでいる。

今ではウイスキー屋を営んでいるので、やはりウイスキーを飲む機会が多い。営業中に「マスター、一杯飲まない?」と勧められることが、ときどきある。キチッとしたバーテンダーの中には仕事中はお断りされる方も多いと聞くが、酒好きの私はつい頂戴してしまうことになる。

この時いただくのが、私の店名と同じ「リズモア」というブレンデッド・ウイスキーであることが圧倒的に多い。ウイスキーはある程度(ダブルのストレートで5杯くらい)飲んでも仕事の気合いが削げないのだ。これが、不思議にビールだといけない。ジョッキ一杯いただくとトロリとしてしまう。仕事から離れれば何杯でも平気なのに、仕事中は一杯でやる気が削げてしまうのだ。

とても動くことが億劫になり、お客さんへのおもてなし(そんなものがあったのかと首を傾げていらっしゃる方も多いのでは)が行き届かなくなってしまうので、ビールは、「あと1時間で閉店」というくらいの時刻にならないと極力いただかないことにしている。考えてみれば、贅沢を言っているバーテンダーだとつくづく思う。

さて、全部の仕事を終え、いろいろなことがあった一日の最後に飲むのは、やはり冬といえども、よく冷えた黒ラベル。しみじみとした思いで一杯を飲み干してから、暖かいふとんにくるまって、ゆっくりおやすみなさい。

 

 

第70回:軍服とカーディガン