■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
までのバックナンバー


第51回:お国言葉について
第52回:車中の出来事
第53回:テスト・マッチ
第54回:カッコいい! カッワイイ!
第55回:疾走する15歳
第56回:夏休み観察の記
第57回:菅平の風
第58回:嗚呼、巨人軍
第59回:年齢のこと

■更新予定日:隔週木曜日

第60回:「ふりかけ」の時代

更新日2005/10/06


私の店では食通の方々が多くいらして、寿司はどこそこがいい、フレンチはどこそこが、という話をときどきされている。残念なことに、私はまったくそちらの方面は疎いので(正確に言えばそういう店に行く経済的な余裕がないので)、ただ羨ましくニコニコと聞いている。

ところが、「最強の袋麺(袋入りラーメン)」とは何か、などという話しになると、俄然勢いづき、一家言も二家言?ももの申すことが出てくる。お客さんの中にはチャルメラ派あり、サッポロ一番系(これは、しょうゆ派、みそ派、塩派それぞれあり)、そして出前一丁派もあって、各派相譲らない。

確かに、これらは明星、サンヨー、日清の各食品会社入魂の力作なので甲乙つけがたく、議論が尽きないところなので、今回は少年時代の食事時のもう一方の雄、「ふりかけ」について言及したいと思う。(言い回しが偉そうだが)

「ふりかけ」と言えば、故三代目志ん朝師匠がCMに出ていた「錦松梅」というものもあるが、これはちょっと私などには高級過ぎる。何せ有田焼の容器に入っているのだから。それに、あの値段にしては旨いのかそうでもないのか、正直なところよくわからない気がする。

また、最近は「大人のふりかけ」「~さまさま」など、好調にヒット商品を出している永谷園も、私のイメージでは「お茶漬け海苔」屋さんであって、「ふりかけ屋」とは少し違うのだ。

私の中で「ふりかけ」と言えば、何と言っても丸美屋食品の製品を思い出す。そして、ここが何より肝心なところなのだが、私の少年時代(1960年代)は、今のように何種類かのおかず(副食)があって、ごはんだけでは少し寂しいからふりかけをかける、という時代ではなかった。ふりかけそのものが、とても大切な副食だったのだ。

そう言った意味では、「のりたま」「すきやき」「チズハム」の丸美屋三部作が、私の究極のふりかけたちだった。「のりたま」は、みなさんよくご存じだろう。たまごが、まだ高級品だった昭和35年(1960年)に「旅館の美味しい朝食を、気軽に家庭の食卓に」という主旨で作られたものだそうで、現在でもよく見かける。

「すきやき」は、当時大好物だった。すきやきが、まだまだ高級品だった…頃の作品。オリジナルのパッケージには、富士山らしき山を背景に数頭の牛が牧場でのんびりしているという写実的な絵に大きく「すきやき」の文字があった。今でもパッケージは変わってしまったが、販売されている。

「のりたま」の「たま」の部分の黄色い小さな粒々が、「すきやき」では牛肉味の赤茶色い粒々になっていて、ご飯にかけて頬張ると、得も言われぬ幸せな気分になったものだ。

10年ほど前「復刻版」パッケージのこのふりかけを、何と原子力発電所内の現場の売店で見つけ、大喜びで購入して早速その日の弁当にかけて食べた。残念なことに、私の舌が少し贅沢になってしまったのだろうか、少年の日の感激は甦らなかった。

「チズハム」は名前の通りチーズとハムを入れた「洋風」ふりかけだった。洋食が、まだまだ高級品だった…頃のものだが、ちょっと設定に無理があったのかもしれない。私も初めは物珍しく食べていたが、どうもチーズの臭いが…。今ではこの商品は姿を消している。

「すきやき」も「チズハム」も、白木みのる氏がCMに出ていた記憶がある。「すきやき」は白木氏が高級レストランでおもむろに「ライス!」と注文し、それにふりかけをかけて食べてしまうという設定だった。「チズハム」の方は、氏が目と耳に順に手を添え「見た?聞いた?チズハムふりかけ!」というコピーだった。

「のりたま」は確か故桂小金治師匠だった。「面舵一杯、のりたまで三杯!!」師匠が船長の役回りで舵を握りながら、大声でそう叫んでいた。いずれも40年前のCMである。

丸美屋のふりかけのもう一つの楽しみは、何といってもエイトマンシール。平井和正・原作、桑田次郎・作画の人気TVアニメ「エイトマン」を丸美屋が提供していたことから、ふりかけの袋に1枚ずつエイトマンシールが入っていた。

初期の長方形のものから、涙方のもの、そう言えば国旗シリーズというのもあった。クラスの少年たちは競って集め、自分のシールが重複して入手されたときは友だちのものと交換したりしていた。私もかなりの枚数を集めていた記憶がある。今どこに行ったかわからないが。

最近、このエイトマンシールの復刻版を丸美屋が出して、一部の(本当に一部の)マニアの間では話題になっているという話を聞いた。 もう五十路を数えるおじさんたちが躍起になっているのかも知れない。

そう言えば、丸美屋の社長のお兄さんかどなたかが、同じ「まるみや」ながら商標の違う会社で「プロ野球ふりかけ」というのを出していた気がする。ぬける空のような青地に王、長島などの写真がプリントされていた憶えがあるのだが、お客さんに伺っても分からないとおっしゃるし、今回ネットで検索しても見あたらなかった。もしご存知の方は、ぜひ教えていただきたいと思う。

大事な副食としてのふりかけをパラパラとご飯に振りかけて食べていた時代、貧しかったけれど、何か満たされていたと思うのは、あまりに「三丁目の夕日」的でノスタルジックな感傷だろうか。

 

 

第61回:「僕のあだ名を知ってるかい?」の頃ー