第75回:雨が降ります、雨が降る 更新日2006/05/25
今年は、この季節からやたらと雨の日が多い。私たちの商売としては、大変に由々しき状態ではある。殊に、日中曇り空が続き、午後5時頃になって雨になってしまう場合が最悪で、今年はこのパターンがかなりある。「一杯飲んでいこうと思ったけど、降り出しちゃったし、今日はおとなしく帰ろうか」。
商売の話を抜きにすれば、私は雨がどちらかと言えば好きな方だと思う。雨が降り続く外の景色を、窓からボーッと眺める。いろいろなことが思い出されたり、あるいは頭の中から思考の意識がなくなっていったり。五月雨、梅雨、時雨、驟雨、俄雨など、日本語は雨を表す言葉が豊富にあるけれど、それは先人が雨と付き合っていくことを楽しんでいたからではないかと思う。
春の雨。今年は少し例外だが、梅雨の季節に入る前に降る雨は、弱く優しく降る雨が多い。若葉の緑が湿気を帯びて、より鮮やかに映える。近くの小学校の帰り道、新1年生が真新しくかわいらしい小さな傘をくるくる回し、ピカピカに光る長靴をキュッキュッと音を立てて歩いていく。
私の小学生の頃は、春には田圃から雨蛙の声がよく聞こえてきた。長い冬をようやく終えて、これから日々暖かくなっていくというそのことを思う気持ちだけで、心が満たされていく気がしていた。
夏の雨。入道雲がいきなり元気に動き出したと思うと、あたりがにわかに暗くなり、勢いある雨足があちら側からスピードを伴ってやってくる。熱く乾いたアスファルトを冷やしていくときのあの匂いは好きな人が多いだろうと思う。
それほど悠長なことも言っていられないこともあった。去年だったか、一昨年だったか、通勤途中、夕立の予報が出ていたので降る前から雨合羽を着込んで自転車を漕いでいた。用賀中町通りを走行中、中町小学校のあたりか、いきなりあちら側から雨が“やって”来たのだ。恐ろしいまでの勢いだった。
あらかじめ合羽を着ていなければ、一瞬で惨めな濡れネズミになっていただろう。どこかの軒先に逃げ込む余裕さえなかったと思う。道路の排水が追いつかなく1分経つか経たないうちに、川のような状態になってしまった。私は漸くの思いで自転車を走らせた。それが続いていたらどうなっていただろう、雨を“怖い”と思った。
秋の雨。これには少し屈折した思い出がある。こちらの小中学校は春に運動会をすることが多いが、私たちの頃は、運動会は秋に行なうものだと決まっていた。私は運動会が大嫌いだった。高校に入ってスポーツを始めてからは少しはましになったが、小中学校では足がとても遅かったのだ。
リレーの選手に選ばれるような花形にとっては運動会の日が待ち遠しくてならないのだろうが、常に最下位争いしかしたことのない子どもにとっては、この日は最悪の日なのである。だから、いつも雨であることを祈っていた。たとえ雨が降ったにせよそれが単なる時間稼ぎに終わり、現実的には何日かして、またあの屈辱的な拍手の中でドベ争いを演じなければならないことは重々分かってはいても。
冬の雨。雪になってしまえばいっそまだ暖かいのだけれど、手がかじかむような冷たい雨が降ることがある。18歳の時、新聞配達をしていた頃そんなことがあった。冷たい雨の中を新聞が濡れないように気を配りながら夕刊を配った。
当時は防水の手袋を持っていなかったから、軍手を取り替えながら配り続けたのだと思う。寒くて寒くて、途中で新聞を放り出して帰ろうかと思うほどの冷たい雨だった。やっとの思いで配り終わり、新聞専売所への帰り道、何かの予感がして私は自分のアパートの郵便受けを開いた。
そこには、当時片想いだった彼女からの手紙が入っていた。きれいな字で宛名書きされた初めて受け取った手紙だった。現金なものである。今までうんざりするほど嫌だった冷たい雨が、一瞬にしてまったく気にならなくなる。小躍りして「雨に歌えば」などを口ずさみたくなる。若かったのだと思う。
今日、このコラムを書き始めたときは青い空が一面に広がっていたが、途中から曇りだし、今では真っ暗になって大きな雷の音とともに、雨が降っている。これから雨合羽を着て店に向かうのが少し億劫な気分である。
「夕立で、間もなく上がってくれればいいんだけど、このまま降り続くと、お給料の前だし、お客さんは少ないだろうな。でも来てくださる方のためにもそろそろ出かけなくては」
と重い腰を上げようとすると、光と音がほとんど同時の雷とともに、今までより数倍も強く降り出した雨。
第76回:来年はワールド・カップ、そのために…