第84回:悲願達成はいつ 我がドラゴンズ 更新日2006/11/02
今年も日本一になれなかった我がドラゴンズ。日本ハムとしては、地元札幌ドームで組まれた3試合が3連勝と、もう理想的なシリーズ制覇。当コラムの編集者の方は、きっと喜んでいらっしゃることでしょう。球団としては44年ぶりとは言っても、北海道に来て2年目で日本一になってしまうのだから。悔しいけれど(ここは日頃お世話になっていることもあり)おめでとうございます、と言いたい。
翻って我がドラゴンズ。前回日本一になったのは昭和29年(1954年)のことなので、私が生まれてからはまだ一度も日本一にはなっていない。記録を見ると、その年は天知俊一監督が率いたチームで、ドラゴンズはセ・リーグ優勝も初、日本シリーズで西鉄ライオンズを敗っている。
その後、6回のチャレンジでことごとく敗れているので、日本シリーズの歴代成績は1勝6敗だ。こうなると、私の生きているうちにせめて一度は達成してもらいたいものだ、とヤキモキした気持ちになる。
昭和29年の日本一から、ドラゴンズがセ・リーグ優勝を果たすのに20年かかった。私が上京した昭和49年(1974年)、長島が引退した年だ。当時巨人ファンだった予備校生の私は、後楽園球場でミスターが「我が読売巨人軍は永久に不滅です」と絶叫したのを、アパート近くの食堂のテレビで観ていた。
与那嶺要監督のもと、20年ぶりにリーグ優勝を果たしたドラゴンズだが、日本シリーズでは金やんロッテに勝てなかった。私には「巨人が出ていけば楽勝だったのに」という思いがあった。
その後、江川問題などでいろいろとこじれて、私が長年続けていた巨人ファンを止めて、シーズン始めに「ぼくは、これからドラゴンズファンになる!」と宣言した年、ドラゴンズは8年ぶりのリーグ優勝を果たした。昭和57年(1982年)近藤貞雄監督の時代だ。この時、私は社会福祉の団体の職員だった。
やはり、もっとも力を入れて応援していた時だったのだろう。私は歴代の監督の中で、この近藤さんが一番好きだ。ピッチャーには小松、三沢、都、そして大好きな鈴木孝政などがいて、確か星野仙一が現役最後の年だった。
野手は、キャッチャーが中尾、ファースト谷沢、セカンド上川、サードモッカ、ショート宇野、レフト大島、センター平野、ライト田尾の布陣。野武士軍団などと言われ、よく打ち、よく守った。けれどもダントツに楽勝したのではなく、リーグ優勝も、巨人と0.5ゲームの僅差だったという記憶がある。
セ・リーグで競り勝ったこのチームなら日本一になれるだろう、と大いに期待したのだが、広岡監督の西武ライオンズに敗れてしまう。次の年は、セ・リーグは巨人が優勝しパの覇者西武と対戦したが、ここでも西武が勝った。
その時の広岡監督のコメントが、「去年は、何か地方区の優勝だったけれど、今年は全国区で優勝できたので、とてもうれしい」この日以来、この監督が大嫌いになった。
その後、昭和63年(1988年)、4月終了時点では首位広島に8ゲーム差をつけられて最下位だったチームが、中盤から猛然と勝ち続け、星野監督でセ・リーグ優勝。築地でサラリーマンをしていた私は、優勝の瞬間を銀座のラーメン屋さんのテレビで観ていた。その時は、時節柄「自粛」ということで、ビールかけのない祝勝会だった。
落合選手も大活躍したが、残念ながらこの年も西武に勝てなかった。あまり好きな人ではないが、シリーズが終わった時の星野さんの表情は印象的だった。あの燃える男が滲ませた悔しそうな笑顔だった。
次のセ・リーグ優勝まで、私たちドラゴンズファンは11年待たなくてはならなかった。星野監督の後は、地味な印象の高木守道監督が務めたが2位が最高位であまりパッとしない時代が続いた。そして、再び星野さんに託されて4年目の平成11年(1999年)、開幕からのスタートダッシュ10連勝。
このニュースを、私はスコットランドでテレビを観ていて知った。この年の11月に今の店を開店したので、その準備をしながら日本シリーズを観た。王監督率いる福岡ダイエーとの初勝負だったが、また勝てなかった。
一昨年には落合博満監督の就任。私はロッテ時代からの彼のファンだったから、彼がドラゴンズの監督になってくれたことはとてもうれしかった。そして、素晴らしい采配を見せ初監督で初優勝をする。けれども、こちらも初監督、伊東さんのまたあのにっくき西武ライオンズに敗れてしまう。ドラゴンズとしては、50年ぶりに最初に王手をかけておきながらである。
そして、今年も札幌に行ってからはいいところが一つもなく、ついに日本シリーズ6連敗である。何がいけないのかなあ、どうして勝てないのだろうと思いつつシーズンを終えてしまった。
ただ、希望はあるのだ。今まではリーグ優勝からリーグ優勝までの間隔が、最長で20年とかなり長かったが、ここ2回は5年ぶり、2年ぶりと短くなってきている。少なくとも4、5年に一度はリーグ優勝できるチームであれば、私の生きているうちに日本シリーズ優勝も夢ではない。
そのためにも、私は名監督落合の長期政権を切に望むものである。
第84回:通った店 出会った人々(1)