第70回:軍服とカーディガン 更新日2006/03/16
久世光彦さんの訃報を聞いたとき、あの世に23年近く前に逝っていた向田邦子さんが、さっそく腕を振るって肴を作り、歓迎会をしてくれるだろうと考えていたら、翌朝の新聞や各メディアで同じようなコメントを散見して、みんな一緒のことを考えるのだと思った。
久世さんは演出家として実に多くの向田作品を手掛けているが、私はTBSの新春ドラマとしてシリーズになったものが最も印象深い。昭和十年代の東京、母と娘三人の慎ましやかな生活に、ある男性の出現によって少しずつその家族が変容していくという内容のものが多かった。
母親役と長女役は加藤治子と田中裕子が演じていて、後の二人の妹役はその度に代わっていった気がする。出現する男性役は小林薫とだいたい決まっていた。時代背景によるのだろうが、小林薫はよく軍服を着て登場した。これが、本当によく似合っているのである。
実は久世さんは軍服そのものが大好きで、そのことを書いている文章を読んだことがあるが、「軍服好き」をはじめて世間に話したとき、かなり多くの人たちから眉をひそめられ、非難をされたとのことだった。
それでも、彼はドラマの中で俳優たちに軍服を着せ続けた。小林薫のことを「軍服のもっと似合う男」として大いに起用したのだということも書いている。
これは、直接書いたものを読んでいないので私の憶測に過ぎないが、男に軍服を着せたくてしようがなかった久世さんは、女性にはカーディガンを着せたかったのではないかと思う。新春ドラマでも、田中裕子を始め娘役はとても可愛らしいカーディガンを着て登場することが多い。
「カーディガンが似合う女」が、久世さんがこの一連のドラマで女優を起用したことの基準ではなかったか、と想像するのは考え過ぎなのだろうか。
TBSを退社してからは、彼は積極的に執筆活動も行なっている。1994年(平成6年)第7回山本周五郎賞を受賞した「一九三四年冬-乱歩」は、緻密な取材と、しっかりした文章構成力に裏打ちされた力作だと思う。幻想的で官能的(ステレオタイプで申し訳ありません)な世界観を、彼の最も得意とする昭和初期に舞台を借りて描いている。
確かにこの作品は、奔放な想像力の世界で、映画やテレビでは描ききれないものかも知れず、だから彼は小説という表現方法をとったのかも知れない。「できる人はなんでもできちゃうんだなあ」と、この小説を読み終わった後、半ばやけ気味にそう思ったのを憶えている。
そうかと思うと、この人に意外な親近感を覚えたことがある。「マイ・ラスト・ソング-あなたは最後に何を聴きたいか」という彼の著作がある。死んでいく前にどんな歌が聴きたいかという話を、一曲一曲とても興味深いエピソードとともに紹介しているのである。
『同棲時代』の作者上村一夫が大好きだった「港が見える丘」、晩年若山富三郎が歌っているのを聴いたという「時の過ぎゆくままに」、田中裕子がそれは上手に歌う「十九の春」など、おもしろい話が尽きない。
その中で「いつ聴いても、どんな人が歌っていても、必ず泣いてしまう歌」として、「おもいでのアルバム」「何日君再来」(ホーリーテンツァイライ)「讃美歌312番」(いくつしみ深き友なるイエスは)の三つをあげている。
「何日君再来」は、昭和14、5年頃、李香蘭と渡辺はま子の競作でヒットしていたということで、今までに聴いた記憶は微かにあるのだがあまりよく憶えていない。きっと今度じっくり聴くと虜になってしまうという予感がある。私は、この辺りの昭和歌謡がとても好きなのだ。
他の2曲、「おもいでのアルバム」と「讃美歌312番」は、先の「いつ聴いても、どんな人云々」がそのまま私にあてはまってしまう。
「おもいでのアルバム」は“いつのことだか 思い出してごらん あんなこと こんなこと あったでしょう”という歌い出しの、幼稚園や保育園の卒園式でよく歌われる歌である。私は最後の“桃のお花も きれいに咲いて もうすぐみんなは 一年生”という歌詞の“もうすぐみんなは”あたりで、鼻の中がツーンとしてしまってもういけない。
「讃美歌312番」も人の歌声を聞いても、教会で自分が歌っていても、口笛でメロディーを吹いてさえ、グッときてしまう。その後お腹の底にだるい痛みを覚え、放っておくと涙腺がもろくなる。堪え性が必要なのだ。
久世さんは、この三曲で泣いてしまう理由として「きっと私の中のいちばん弱い部分に訴える何かがあるのだろう。弱いところとは、恥ずかしいところなのかもしれない。捨てるに捨てきれないから、この年齢(とし)まで持ち歩いてきたのだろう」と気持ちを正直に吐露している。
マルチの才能を持ち、常に第一線で活躍されてきた氏の中にも、私と同じようなグジュグジュしたものがあることが分かって、とても近さを覚えた。
ただ、なにびともそういったものは持っているけれど、それを踏まえた上でのその人の表現力にこそ真価が問われるのだと思う。「まだまだ君、僕に近さを覚えるのは百年早いよ」。私の気持ちが万が一聞き届けられたとしても、間違いなく軽く一蹴されるだろう。これから私がする仕事の中で、氏のサングラスの奥の眼が一瞬でも本気になるようなことがあれば、これはかなりうれしいことだと思っている。
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