■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
までのバックナンバー


第51回:お国言葉について
第52回:車中の出来事
第53回:テスト・マッチ
第54回:カッコいい! カッワイイ!
第55回:疾走する15歳
第56回:夏休み観察の記
第57回:菅平の風
第58回:嗚呼、巨人軍

■更新予定日:隔週木曜日

第59回:年齢のこと

更新日2005/09/22


私は、来年が開けるとすぐ五十歳になる。生意気に髭など蓄えているが、生まれついての?童顔なので、実年齢よりかなり若く見られることが多くても、平均寿命で言えばもう人生の3分の2は経過したことになる。今書いていて驚いてしまった「え、もう後3分の1しかないの?」

しかし、うろたえてはいけない。「人間五十年 下天のうちを くらぶれば 夢まぼろしの ごとくなり」と信長が詠じたように、当時の人たちの寿命は五十歳くらいとのこと。彼が本能寺で光秀により生涯を閉ざされたのは、四十九歳と言われている。現在では、もう後その半分おまけがついたと思えば「ラッキー!」という思いになるべきなのだろう。

6年近く今の仕事を続けているが、人の年齢というのはわからない。私とほぼ同じかなと踏んでいた人が、実は私よりひとまわりもお若かったり、私より五つくらいお若いだろうな、と思っていた方が、実は反対に五歳も年長だったりすることが時々ある(特定のだれだれのことを言っているのではないので、どうぞ悪しからず)。

先日、店で聴いていたNHKの「地球ラジオ」の中の聴取者への質問コーナーで「女性の年齢を聞くのは失礼?」というテーマについて放送していた。この番組は、世界中に居住しているリスナーから答えが返ってくるので、それぞれの地域による違いを感じ取ることができてたいへん興味深い。

今回の質問の答えは、大雑把に分けて、欧米の国々では失礼となり、アジアの多くの国では失礼ではない、というものが多かった。予想通りだったが、欧米は個人主義の国がほとんどのため、(男性も含めて)相手の年齢や職業などの話題にむやみに立ち入ることをはっきりと嫌う。

一方アジアでは、相手の年齢が自分より上か下かとでは、言葉遣いが明らかに違うという文化を持つ国が多いため、まずそこのところをはっきりさせようと言う意味で、初対面でも普通に年齢を聞いてくることの方が常識だ、と考えられているようだ。

日本の場合は、やはり失礼とされている。それが、日本に以前からあった文化なのか、あるいは、文化の欧米化により生まれたものなのかは、残念ながら学習不足でわからない。どなたか教えていただけないだろうか。

僕の店では、欧米的でもアジア的でもなく、すべてのお客さんに同じ敬称と敬語を遣っている。若干、年長者に対してはより丁寧になるかも分からないが、基本的には70歳の方でも、20歳の方でも、どんなご職業の方にでも、「何々さん」という敬称と、同じ敬語だ。

お店によっては、自分より年下のお客さんに君付けしたり、なかには呼び捨てにしたりしている人がいるが、私にはとてもできない。「お前ねえ」などと話しかけることは、間違ってそう呼ぶように頼まれたとしても、一生涯できないと思う。

また、医師や教師の方々に「先生」という呼び方も一切しない。その方が、個人的に私や家族の先生であれば別だが、どのような職業の方でも、お客さんを一様に「何々さん」とお呼びしている。

年齢の話しに戻ると、男性のお客さんの中にやたらと人の年齢を聞きたがる方がいらっしゃる。初対面の女性に名前を聞いた後、 「○○ちゃん(これが、いきなり「ちゃん」になるのだ。不思議なことに)っていうんだ。良い名前だよね。○○ちゃん、いくつ?」 と来る。

相手が言いよどんでいると、「ねえ、いいからいくつよ?」と畳みかける。こうなると、欧米かぶれしていないからいい、とも言い難い。相手が困っていても、自分の知りたい情報は何としても仕入れたいという強硬さに、私はすかさず、「お手柔らかに願いますよ」と、口を挟むことにしている。

基本的には、「年齢など、どうでもいいですよ」と考えている私だが、ひとつだけこだわりを持っている。(こだわりという言葉はあまり好きではないので、ここでもつまらない拘泥という意味で遣っている)。

私は1956年(昭和31年)1月、早生まれ。店で年齢の話になり、時々「昭和31年生まれ? 何だ、マスター俺とためじゃない」と言うお客さんがいらっしゃるが、私は間髪を入れず、「何月のお生まれですか?」と聞き返す。いつもはとろい物言いをしているが、その時だけは電光石火の速さで言葉が出る。

答えが、1月1日から4月1日までであれば、「同じ年ですね、同級生に会えるなんて、今日はうれしいですよ」と相好を崩し、一気に打ち解けて話が弾む。一方、4月2日以降であれば、「年齢は同じですけど、学年は1級私の方が上ですね、同級生ではないですよね。私は昭和30年遅生まれと同学年ですから」。さすがに威圧的な態度は見せられないが、笑顔を保ちながらも目はまっすぐに相手を見つめ、はっきりと言う。

中学、高校時代に1級後輩だった連中(失礼、方々)に、ため年呼ばわりされたのでは、私のプライド(そんなものが、まだあったのか)が許さないと思ってしまう、文字通りつまらない拘泥、即ちこだわりが私の中には確かに存在する。しかし、これは早生まれの男性の多くに共通する心理のようだ。

反対にいくつかの場所で聞いた話によると、多くの早生まれの女性方は、遅生まれの女性たちに対して、「同じ年、同じ年」と言って、学年の違いには一切触れないらしい。逆に、学年が同じ前年の遅生まれの女性たちのことを、「あの人たち、私よりおねえさんだから」という言い方をする。

男と女の間には深くて暗い川がある、ということが最近徐々に分かりつつあるのである。

 

 

第60回:「ふりかけ」の時代