■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
までのバックナンバー


第51回:お国言葉について
第52回:車中の出来事
第53回:テスト・マッチ
第54回:カッコいい! カッワイイ!
第55回:疾走する15歳
第56回:夏休み観察の記
第57回:菅平の風

■更新予定日:隔週木曜日

第58回:嗚呼、巨人軍

更新日2005/09/08


9月2日のプロ野球、広島・巨人戦のナイター、フジテレビは生放送で中継はせず、深夜の時間帯に中継録画で放映をした。物心ついてから野球放送を見てきたが、シーズン最終盤、優勝チームが決まった後のいわゆる消化試合以外で、巨人戦の生中継がなかったことは記憶にない。

フジテレビは、その日試合が行なわれていたオン・タイムには細木数子の番組を放映していた。薄暗い広島球場で、最下位争いを演じているジャイアンツの選手たちを映すより、カリスマ占い師の方が視聴率を間違いなく稼げると踏んだのだろう。

私は、最近はもう何年もテレビで巨人戦を観ていないので強いことは言えないけれど、今回のこの事実は、プロ野球を長い間観戦し続けてきた人間にとって、やはりとても寂しいことだ。批判はある中でも、どう見ても巨人人気が支えてきたと思われるプロ野球の凋落ぶりを、目の前にはっきりと見せつけられた感じがする。

私が子どもの頃、フランチャイズを持たない田舎(ことに日本の東側)の少年たちの大半は巨人ファンだった。ジャイアンツのV9が始まったのが小学4年生の年で、終わったのが高校3年生の年。私は、かつて巨人の最もいい時期に、最も夢多い時期を過ごしたバリバリの巨人ファン。

ピッチャーは、V9前半はエースのジョーこと城之内、後半のエースは堀内。左腕・高橋一三、8時半の男・宮田、そして金田。キャッチャーは森。内野は、ファースト王、セカンド土井、サード長島、ショート黒江。外野は、レフト高田、センター柴田、ライト末次(V9前半の国松も忘れがたい)。

ほとんど不動のメンバーで戦い、9連続ペナント・レースを制し、その後の日本シリーズもことごとく勝った。時はまさに高度経済成長期。我が家は貧しかったが、それでも父親が懸命に働けば働くほど給料は上がっていき、扇風機、冷蔵庫、掃除機と欲しいものが少しずつ手に入っていった。そして、ジャイアンツは応援すれば応援するほど、それに確かに応えて勝ち星を増やしていく、少年にとっては幸せな時代だった。

学校の中でも、左打ちに構え、一本足になっては「王だぞ、王だぞ」と言ってみたり、思い切り振りかぶってから投げ終え、帽子が脱げかかって頭上に曲がって乗っているのを指差しては「わかるか?オレ堀内」などと言ってみたりして、みんなが好きな選手の真似をしていた。

やはり、一番人気は王と長島で、クラスのみんながそれぞれどちらのファンかを知っているほどだった。長島ファンの方が数は多かったが、私は何と言っても王のファン。「頼む、ここでホームランを打って!」とテレビに向かって念じ、それが成就したときの瞬間は、その後の人生ではまだ味わったことのないほどの至福の時だった。

(何回か書いたが)私は小学校の5年生の3学期のとき名古屋に転校になった。初登校日にジャイアンツ帽を被っていって、いきなり初対面の同級生に殴られた。

(当時の名古屋は、まさにドラゴンズ一色で、中日球場に応援に行ってもジャイアンツ・ファンは本当に小さくなっていた。大声で応援などしていると怒鳴られ、下手をすれば拳が飛んできた。今、名古屋ドームで「名古屋巨人会」などの幟を立てて応援しているのを見るとずいぶん様変わりしたなあという印象を強く持つ)

とにかく軟弱な子どもだったが、そんなことがあっても不思議とジャイアンツ帽は脱がずに次の日から登校したので、ある連中にはかなりいじめられたが、そのうちに飽きたのかいろいろ言って来なくなった。不思議なもので、そうなってくると「実は俺もジャイアンツ・ファン」という隠れファンが、ボソッと名乗りを上げてくるものである。

それから8年目、私が上京した年、ジャイアンツのV10の夢は潰えた。ドラゴンズと激しいペナント・レースを戦った末、10年ぶりに優勝を逸した。私は、あの長島引退の瞬間を、自分のアパート近くの食堂で、アジフライ定食を食べながら観た。ひとつの華やかな時代の終焉を、確かに感じていた。

上京してからは、何度か後楽園球場にも足を運んだ。王選手のホームランも球場で見ることができた。ただ、当たり前のことだがまわりはほとんどジャイアンツ・ファン。名古屋時代、圧倒的な主流派と対峙して巨人を応援していたのとは勝手が違った。こうなってくると、私の根っこにある天の邪鬼が騒ぎ出してくるのである。

V9が終わったという喪失感もあったのかも知れない。急に熱がさめ始め、4年後の江川入団を巡る一連の出来事が決定打となり、私は「生まれたときからの」巨人ファンを止めてしまった。

そして少し時を置いて、こともあろうに、あのいじめ連中と同じドラゴンズ・ファンになった。私は、生まれた日から数えてもジャイアンツ・ファン歴22年、ドラゴンズ・ファン歴23年、ついにはドラ党の方が長くなってしまった転びバテレンである。

そんな転向主義者が何を言っても聞き入れてもらえないことは分かっているが、やはり今の巨人には魅力がない。付け焼き刃で、既成の長距離バッターばかりを高い金で呼んできてはすぐに宝の持ち腐れ。V9時代も王、長島がいただけでなく、土井、高田がいたから優勝できたのだ。

松井がいなくなった後、スター不在になったのも痛い。現に松井がいた頃は毎晩かかさずナイターを観ていた愚息も、今ではWebとスポーツ・ニュースで松井の動向をいち早く確認するだけで、巨人戦には興味を示さない。私の店でも、松井は巨人最後のスターだったのではないかという話しも聞く。

今は次期監督のことが話題になっているが、どうなのだろう。私はかつて「私ほどドラゴンズ・ファンに愛されたものはいない」と涙声で引退会見し、その後1週間で阪神監督に収まった某氏に関しては、それ以来あまり関心がない。但し、彼が就任し老害である巨人のドンを追い出してくれれば、少しは彼の評価を変えてもいいと思っている。

かつてゴールデン・タイムの視聴率を、他の追従を許さずダントツで稼ぎまくっていた巨人戦が、だんだんと消えていってしまうのだろうか。夏の夜、巨人戦ナイターとビールと枝豆の「正しい」オヤジの過ごし方だけは、いつまでも残っていてもらいたいものなのだが。

 

 

第59回:年齢のこと