第65回:炬燵で、あったか 更新日2005/12/15
ここ2、3日東京はかなり寒い。強い寒気団が上空に来ているということだが、まだ年の明ける前にこれだけ寒くなるのは、この地では珍しいのではないか。微かながら、雪も降ったらしい。
1年のうちで最も日が短い季節だから、通勤が行き帰りとも真っ暗な中を自転車で走るのは致し方ないが、それに寒風が伴うと五十路を迎える身体にはちょっと厳しいものがある。
寒冷地の出身なので、「東京の寒さなんてたいしたことはない」と、最初は高をくくっていたが、人間の身体は順応性があるのだろう、上京後、ふた冬目からは、「寒い、寒い」が口癖になった。今でも冬の時期帰省をしてから、東京に戻って一日二日は「暖かいところだなあ」と寸時思うのだが、すぐに寒がりに戻ってしまう。
日本の東側の出身の人たちは、寒さ自慢をする人が少なくない。実際の外気温で言えば、北海道の寒さは格別で、他の地と比べようもない。けれども、北海道の人は、ほとんどの家がしっかり造られていて、部屋の中でずっと寒い思いをしたことは経験がないらしい。我々や東北の人たちが競って話したがるのは、部屋の中がいかに寒かったかという話だ。
「とにかく、すきま風がうす障子を震わせながらピューピュー吹いてきて、眠っていても足がカタカタ言っていた」
「とにかく蒲団が重かったな。子ども心に、蒲団に潰されて窒息するんじゃないかっていつも怯えてた。だけど、寒いからはねのけるわけにもいかないんだよね」
「私、毛糸の帽子を耳まで被って、靴下を二枚履いて寝ていたの」
こんな「自慢」話が、延々と続く。多くは寝るときの話が多いが、定番として必ず登場するのが炬燵の話だ。
「ストーブなんて代物はここ30年くらいの話し、当時家で暖房といえば掘り炬燵ひとつだけだよ。トイレに行きたくなったときでも、行こうかどうかいつも炬燵の中で15分は迷っていた」
まさに炬燵は、私たちの家での生活にとって、冬の生活の基盤であり、唯一の暖房施設だった。太宰治は作品『千代女』のなかで、「炬燵は眠り箱」という可愛らしいながらも、実感のこもった表現をしている。
私たちは、冬の日学校から家に帰ってくると、まずは炬燵に「あたった」。但し、ここで勉強を始めるのはあまり得策ではない。初めは両手を出し教科書を押さえながらノートに鉛筆を走らせているが、そのうち、まず教科書を押さえている左手が炬燵に入り、次に鉛筆を持っている右手の方も炬燵に入っていって黙読状態になり、ついには教科書の上に顔を乗せながら寝入ってしまう。本当に「眠り箱」なのだ。
いつの頃までが掘り炬燵で、いつ頃から赤外線の電気炬燵に変わったのかよく憶えていない。昔の私の田舎の家屋は、居間の中央が正方形に掘られており、寒い季節はそこに掘り炬燵が備えられ、その他の季節はちょうどその大きさの畳が埋められるようになっていた。
炬燵布団に潜り込んで、中の炭が燃えているのをずっと見ているのが好きだった。いつもはオレンジ色をして静かに燃えている炭が、時折爆ぜてパチッと火花が散るときには、小さく心が躍った。あまり長い間潜り込んでいると一酸化炭素中毒になるというので、よく注意されたものだ。
生活の中で、掘り炬燵はいろいろと重宝に使われた。まだ一般的にはジャーがなかった時代なので、保温のためにお櫃が入っていた。また、冬場は表に干していてもなかなか乾かない、半乾きの衣類も炬燵の櫓に掛かったりしていた。炬燵に手を入れていると、ゴワゴワした感触がするので、そのものを引っ張り出してみると父親のズボン下だったりした。
掘り炬燵から、赤外線炬燵に変わる過渡期に光らない電気炬燵があったような気がするのだが、あまりはっきりした記憶がない。ご存知の方に教えていただきたいと思う。
赤外線炬燵といえば、最初はあの赤い光が不思議だった。妹と向かい合わせに炬燵布団の中に潜り込んで、お互いの顔を「赤い、赤い」と言ってふざけて笑い合っていたのを思い出す。
炬燵の中で遊ぶと、柔らかい網の部分にぶつかり、凹んでしまうから止めなさいと、これまたよく注意されたが、あの幻想的な光の中でおもちゃを入れて遊ぶと、いつもと違った世界観になるのでよく遊んだものだ。後で見ると、やはり網の部分が何ヵ所か凹んでおり、補修しようと無理に引っ張ってより不格好になってしまい、新たに叱られるネタをつくることになった。
上京して最初のアパートでは、ホリエの安い赤外線炬燵を使っていたが、2回目のアパートからは使わなくなり、私の住居としては「炬燵ない歴30年」を数える。田舎に帰っても、ソファーのある部屋にいることが多く、炬燵には滅多にあたらなくなった。
今では、エアコンやストーブ、ファンヒーターが主流になり、炬燵のように入ったきり行動が制限されるようなこともない。けれども、寒い日の午後、炬燵にあたり暖まりながら、いつのまにか眠りに誘われ、気がついてみると外は暗くなっていたというような時間の過ごし方を、時にはしてみたい思いもある。
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