第29回:ブラジルの日系共同体農場
更新日2002/10/03
日系人が多く住む街サンパウロ。ある日、現地で知り合いになった日系人から「農場に行かないか?」と誘われた。場所はサンパウロから西に600キロ。ミランドポリスという郊外の町の近くにあるという。車で約10時間、朝に到着したいために、夜遅くに出発した。
「今から行く農場は"弓場農場"といって、ブラジルの日系社会ではとても有名な農場。理由は共産方式の共同社会だから。農場では私有財産というものがなくて、農場で働く人全員がひとつの家族のように暮らしている。住居や生活に必要な物資は農場から提供されるし、財布が一つの生活といった方が分かりやすいかも。イスラエルのキブツのようなものだよ…」
サンパウロに住む日系人の中には弓場農場のファンが多いとも聞いた。
当時、日本から移民してきた人々はかなりの苦労を強いられた。そんな中、皆で協力して一つの農場を運営しようというのがその始まり。創始者はすでに他界したものの、息子さんがその意志を引き継いでいる。弓場農場は日系移民の結束の象徴でもあるらしい。
「弓場農場には旅行者も大勢泊っているよ。農場にいる間は、住居や食事など一切が無料で提供されるんだ。そういう噂を聞きつけてやってくる旅行者もいるし、弓場農場の趣旨に賛同して、わざわざ訪ねてくる旅行者もいる。別に仕事を手伝わなくてもいいんだけれど、滞在している旅行者はみんな率先して働いている。きっと農作業や、共同体社会が新鮮に感じるんだと思うよ。特に日本のような住みにくい競争社会からやってくると、オアシスかもしれないね」
農場の人も旅行者を大歓迎しているようだ。共同社会は外の社会との接触が少なくなるためか、旅行者との交流がいい刺激になるのかもしれない。
そんな会話をしているうちに、夜は明けて、弓場農場のある日系移住地アリアンサ村に到着した。車が入っていくと、農場の人が出迎えてくれる。連れて来てくれた日系人の人の用が終わるまでの間、農場を見学することにした。
「弓場農場はどう? 昔の日本のような感じでしょう。ここがブラジルとは思えないって誰もが言うのよ。数日前まで旅行者が二人ほどいたんだけれど、ビザが切れるので出国したの。みんな帰りたくないらしくて、ずっとここにいたいと言うけれど、ビザの期限があるからしょうがないわね。ここの女の子と結婚して住んでいる人もいるわよ。中には外の世界に戻る人もいるけれど、私はここを出たいと思わない。素朴な生活が一番よ」
モノ文化全盛の日本にいると、見えるものも見えなくなり、疑問を抱くことすら忘れてしまうのが現実。人間本来の生き方を考えた場合、シンプルな生き方に共鳴・感動する旅行者が多いのも不思議ではない。
農場ではグァバの収穫を手伝い、農作業が終わるとバレエ劇の練習が始まった。子供から老人まで、居住者が全員参加で取り組むバレエは有名で、ブラジル各地や日本でも公演している。一つの作品を作り上げることは、農場の結束を強めたり居住者同士のコミュニケーションを深めるのに役立っているという。
弓場農場の経営はけっして楽とはいえない。しかし、なんとかしてずっと存続してもらいたい。そんな願いが自然と沸き起こってきた。
→ 第30回:カンボジア、この国はいつたい誰の国?