■Have a Nice Trip! ~もうひとつの生き方。日本を離れて……

安田 修
(やすだ・おさむ)


1958年、神戸生まれ。ルポライター、JTB 系広告代理店(マーケティング・制作)等を経て、現在はフリーとしてライターや出版企画などのプランナーとして活躍する。世界の辺境が大好きな現役バックパッカーで、ネットサークル「海外に住もう会」を主宰している。世界各国の移住情報や長期旅行の情報をまとめた「海外移住情報」をネットで公開中。
著書『日本脱出マニュアル』


第1回:ベトナム・ホーチミン
第2回:中国・大連
第3回:フィリピン・セブ島
第4回: ネパール・カトマンズ




第2回:中国・大連

更新日2002/03/15 


「こんなはずじゃなかった。中国は麺文化の本家、イタリア・パスタも受け入れられると思ったのに……」

こう話すのは、旧満州の中国・大連(Dalian)の日本人イタリア料理店オーナーのFさん。

グルメな中国南方地域は肌に合わないと、ロシア人街もあってエキゾチックなたたずまいを見せる街並みが気に入って大連初のイタリア料理店を開店したものの、ガラス張りのオシャレなイタリアン・レストランを外から覗くだけで決して入ろうとはしない中国住民。開店以来、店を訪れた中国人は数人を数えるだけ。

同じくコーヒー需要を期待して進出したUCC珈琲も大失敗したとか。UCCは日本企業の事務所が集中する日系の森ビル内にアンテナショップとして喫茶店を出店するものの、訪れるのは日本人が大半。オフイス・コーヒーの進出計画も頓挫してしまった……。

Fさんは進出の際の苦労話についても語ってくれた。「日本人スタッフ3人で出資して会社を作り、査証や許認可の取得にもとても苦労したんです。それよりも痛かったのは、施工の見積もりはもらったものの、約束どおりの金額で工事ができなかったこと。外国人ゆえにカモられたことですね」

それでも大連に出店して後悔はしていないらしい。「今でも南方にすればよかったとは思っていませんし、いずれ大連も日本のように外国の食文化を日常的に楽しむようになると思いますよ。実際に中国に来て、麺に対する奥深さもわかりましたし、パスタ料理人として勉強にもなります。何よりも大連の街が肌に入っているので、ここに住んでいるだけでも満足していますよ」

幸いなことに、この街に住んで、思いもしなかった需要もでてきたという。大連は香港からの中国人商用族が集まる街。上海、北京と並んで近代化を進めているために、商魂たくましい香港ビジネスマンの来訪が多い環境だ。そんなことから、香港人の舌を満足させるためにホテルからイタリア料理の講習会を頼まれたり、実際にパーティー料理の作成などを依頼されるケースも増えているとか。

また一番の需要は、日系企業や日本人駐在員家庭からのケータリング注文。大連湾岸にある産業開発地区には日本の海産物加工工場が集中し、かなりの数の日本人駐在員が勤務している。日本人にはすでに家庭の味となったイタリアンを食べないで我慢はできないらしい。家庭からの注文は、イタリアン以外にバースディケーキの注文から、日本式お弁当の注文にまで発展。日系企業からお弁当の注文まで舞い込んだりしている。

大連にも日本料理店はいくつかあるものの、日本人経営者は撤退し、中国人オーナーに代わってしまった店も多い。「お弁当を頼むなら日本人シェフに」といった心理が働いているのかもしれない。

「日本企業や日本人家庭の台所的存在になることは、日本人として嬉しいことです。パスタを好んで食べる大連の人々の姿を夢見てがんばります」

パスタと大連の街並みに魅了された、日本人のひとつの生き方がここにあった。

 

→ 第3回:フィリピン・セブ島