第20回:ユーゴスラビアの中国人
更新日2002/08/01
NATOによるユーゴスラビア空爆開始まで、首都ベオグラードには中華料理店が数えるほどしかなかった。しかもとってもまずくて高い店ばかり。列車の時間待ちのためにふらりと入った店は特に最悪だった。豪華な内装、いかにも高級中華料理店という雰囲気にたじろぎながら、一番安いチャーハンを注文した。
しかし出てきたのは、茶碗にもられたミックスベジタブル入りのご飯…、とてもチャーハンと呼べるものではなかった。これに7ドルは払えないと、文句を言ってお金を払わずに店を出た。金髪のユーゴスラビア人ウエィトレスの驚いた表情、厨房から出てきて怒っている中国人コックの表情が今も記憶に残っている。
あれから何年かの月日が経ち、今ではベオグラードに中華料理店が急増している。理由はユーゴスラビア政府の親中国政策によって、中国人移民が大量になだれ込んでいるからだ。ユーゴスラビア連邦という国名も連邦崩壊によって形骸化し、セルビア・モンテネグロという国名に変更を予定。中国との連携によって国の経済を再建するらしい。
もともとユーゴスラビアは査証規定が緩い国として有名だった。基本的に来るものは拒まずといった環境だっただけに、さらに中国人移民を優遇するとなれば、中国から大挙なだれ込む光景は容易に想像できる。
しかしどこの国に行っても嫌われる中国人は、この国でも例外ではなかった。増え続ける中国人に対して、国家政策とは裏腹に"反中国人"の市民感情が爆発。街のいたるところで"中国人狩り"が横行している。
2002年3月、ベオグラードにて中国人と間違えられて襲われた日本人卒業旅行者と東欧滞在中に出会った。
「それはいきなりでしたよ。何も言わずに後ろから殴られて、はがいじめにされました。腹を殴られ、バッグも取られてしまいました。大学でユーゴスラビアの歴史を勉強しているものの、中国人狩りのことは警察に行って初めて知りました。幸い貴重品の一部は服の中に隠しておいたので、こうして旅を続けていられるんですが……」。
また、ロシアのトランジットホテルでは、ユーゴスラビアに向かう途中の中国人グループと遭遇。早朝のロビーには30人ぐらいの中国人が空港へ向かうバスを待っていた。
「私たちは全員ファミリー、親戚なんです。2001年にベオグラードに移民した親戚から呼び寄せられて、これから移民するんですよ。中国人は血のつながりが一番重要と考えます。だから、一人が移民すると一族全部が移民する場合も珍しくありませんし、私たち一族もあと20人位いますので、いずれは全員移民するでしょう」。
こう話すのは、ロビーにいる中国人の中で唯一笑顔をふりまく30代の女性。世界のどこにでも根を張る中国人の状況についても聞いてみた。
「中国人は次々と同胞を招いては、その土地に中国人社会を作ります。そのためのネットワークや組織も全世界にあります。商売を始めるための資金なども同胞がお金を出し合って助け合いますし、自立できた人は新しくやってきた人を助ける立場になります。もちろん、いろいろ批判もあるのを知っています。しかし私たちにとっては、異国で生き抜いていくための防衛手段であり、生活の知恵でもあるのです。中国政府も海外への影響力を強めたいために、黙認というよりは陰で奨励していますしね……」。
→ 第21回:ハンガリー、ブダペストのゲストハウス模様