第30回:カンボジア、この国はいつたい誰の国?
更新日2002/10/10
ポルポト政権が倒れ、復興への道を歩み続けているカンボジア。ポルポト時代には、都市住民は全員が地方の農村に強制移住させられ、首都プノンペンはゴーストタウンと化していた。ポルポト政権が終わると人々は市街に戻り始め、今ではプノンペンのどこに行っても人で溢れ、エネルギッシュな様相を見せている。
しかし街の中心部を歩くと異様な光景が目に飛び込んでくる。街は漢字だらけの看板があふれ、クメール語の看板を目にすることはとても少ない。別にチャイナタウンに紛れ込んだわけでもなく、街の中心に連なるメインストリートの看板のほとんどが中国語なのだ。
「どこでどうなったのかは分からないんだ。気がついたら大きな道路の周辺は全部台湾人が占拠していて、いつの間にか漢字の看板ばかりになっていたよ」
そう話すのは有名なバックパッカー向けレストラン"キャピトル"にたむろするバイクタクシーの運転手。
いろいろ聞いてみると、土地の所有者がはっきりしないなどの背景もあって、台湾とカンボジアの間で何らかの合意のもとにこうなったらしい。カンボジアは外国人の個人名義では土地を登記できないものの、こうした土地は特例措置として台湾人名義になっているとも聞いた。
「この国では、誰も台湾人に好意はもっていないさ。何故って、彼らは自分たちの同胞同士で商売しているからね。俺たちクメール人は物を買わされるだけで、ビジネスには参加できないんだ」
こんな話をしていると、次々と別のバイクタクシー運転手が集まってきて、話の輪に入ってくる。
「この国はいったい誰の国か分からなくなる時があるよ。クメール人はお金がないから、商売したくてもできないんだ。もちろんクメール人でも商売している奴はいるさ。でもほとんどは台湾人や周辺国からやってきた華僑からお金を借りて商売している。だから何も言えないし、彼らの操り人形だよ。君が泊っているゲストハウスやキャピトル・レストランのオーナーも中国系カンボジア人だから、元々の資金は華僑から出ているんだ。インドネシアには行ったことがあるか? インドネシアも華僑が国を牛耳っているだろう。カンボジアも同じなのさ」
周囲を取り巻くクメール人たちが一様に頷いているのが印象的だった。台湾人や中国人たちへのこうした苦言は、どこにいっても耳に入ってくる。そんな話を聞くたびに、いずれクメール人による暴動が起こるのでは……といった危惧も抱かざるを得なかった。
それから数ヶ月、インドネシアのメダンでは中国人狩りの大規模な暴動が起こった。連鎖的にカンボジアでも暴動が起こる可能性はあったものの、目立った動きは特になかった。しかし、クメール人の不満が蓄積すると、いずれ暴動に発展する可能性は否定できない。
国家としてもまだまだ形になっていないカンボジア。国とは…、民族とは…、といったことを考えさせられる旅になった。
→ 第31回:アルゼンチン最南端・フエゴ島の日本人