■Have a Nice Trip! ~そしてまた、新たな旅が始まる…

安田 修
(やすだ・おさむ)


1958年、神戸生まれ。ルポライター、JTB 系広告代理店(マーケティング・制作)等を経て、現在はフリーとしてライターや出版企画などのプランナーとして活躍する。世界の辺境が大好きな現役バックパッカーで、ネットサークル「海外に住もう会」を主宰している。世界各国の移住情報や長期旅行の情報をまとめた「海外移住情報」をネットで公開中。
著書『日本脱出マニュアル』


第1回:ベトナム・ホーチミン
第2回:中国・大連
第3回:フィリピン・セブ島
第4回: ネパール・カトマンズ
第5回: メキシコ、オーストラリア
第6回: パキスタン・ギルギット
第7回: 戦争を知りたい女子大生
第8回:悪夢のハンガリー・スロヴェニア徒歩越境
第9回:今時の卒業旅行者たち
第10回:冬の欧州、貧乏旅行者は辛いよ
第11回:天国に一番近い島
第12回:ベトナム、シクロ物語
第13回:バリ島のジゴロたち
第14回:ベトナム、路地裏カフェ物語




■更新予定日:毎週木曜日

第15回:ネパール、チベット難民キャンプの女性たち

更新日2002/06/27


ヒマラヤを臨む人気観光地ネパールの「ポカラ」は、一年中観光客でいっぱい。トレッキングを目的にやって来た日本人の中高年ツーリストも多いものの、中心は若者のバックパッカーたち。それも世界各地から集まってくるため、いつしかタイのバンコクに代わる「パッカーの聖地」と呼ばれるようにもなっている。

そして、数多いツーリストを相手に商魂を発揮するのが、ポカラ周辺にいくつかある「チベット難民キャンプ」の女性たちだ。日本人は特にお得意様のようで、日本人ツーリストを見かけると、「物々交換」の交渉に忙しい。

物々交換とは、観光客の持っているものと自分の持っているものを交換して、段々といい品物にランクアップ。高く売れそうな品物を手にすると、手放して現金化するといった方法で、おみやげなどを売り歩くよりは、とても効率的な商売らしい。

こんな難民キャンプの女性の多くは、キャンプで生まれ育った人たち。
「私たちはネパールで生まれても、キャンプの人間だから国籍は無国籍、身分は難民のまま。だから海外に出たくてもパスポートなんて作れないし、夢のようなものね。この街には、いろんな国の人が旅行にやってくるでしょ。とてもうらやましい…」。

そんな彼女たちの心情を理解すると、難民キャンプに招待してくれた。ローカルバスに揺られて30分。周辺は石山ばかりといった中にキャンプはあった。近くにはきれいな川が流れ、見晴らしも抜群。ポカラの街よりネパールらしい。

キャンプの中は、2DKほどの家が連なった長屋がびっしり。家の軒先ではおじいちゃん、おばあちゃんが草木の手入れをしている。キャンプ内の広場にはチベット寺院が建てられ、その隣にはゲスト用の宿泊施設もあるものの、あまり人は泊らないとか。

彼女の家に案内されると、母親と妹が迎えてくれた。
「よかったら食事をしていきなさい。泊っていってもいいのよ」。
村の土木仕事に出かけている父親を含め、家族4人で2DKの家で生活。台所は各家庭にあるものの、トイレやシャワーはキャンプの共同施設を使用する。

夕食は、ネパールでは有名な「モモ」とよばれるチベット餃子。街のレストランで食べるより数段おいしいのにはびっくり。日本人がキャンプまでやってくるのは珍しいのか、次から次へと近所の人がやってきては、お菓子などの差し入れを持ってきてくれる。

そんな平和な時間を過ごした次の日の朝、泊めてもらったお礼に彼女たちが売り歩いている石のペンダントを買った。値段を聞くと、途端に商売気たっぷりのチベット人の顔に逆戻り。チベット人は、世界的に有名な商魂たくましい民族であることを改めて実感した。

ペンダントは、物々交換の女性たちの休憩場所になっている食堂の女の子にプレゼント。この13歳の女の子は、とても美人なので結婚話がいっぱいだとか。ネパールでは14歳になると結婚適齢期、親の決めた相手と結婚するのがごく当たり前らしい。

しかし、キャンプの女の子たちは結婚を望まず、一生独身の場合も珍しくない。
「私たちはチベット人。ネパール人とは結婚したくないし、政府もあまりいい顔をしない。キャンプのチベット人同士で結婚しても、自分たちの家をキャンプ内に確保するのも難しいのよ。子供ができればますますキャンプが狭くなるだけで、何もいいことはないわ。独身で通す方が、私たちにとっては幸せなのよ…」。

 

→ 第16回:バリ島、労働査証のない日本人店主たち