■Have a Nice Trip! ~そしてまた、新たな旅が始まる…

安田 修
(やすだ・おさむ)


1958年、神戸生まれ。ルポライター、JTB 系広告代理店(マーケティング・制作)等を経て、現在はフリーとしてライターや出版企画などのプランナーとして活躍する。世界の辺境が大好きな現役バックパッカーで、ネットサークル「海外に住もう会」を主宰している。世界各国の移住情報や長期旅行の情報をまとめた「海外移住情報」をネットで公開中。
著書『日本脱出マニュアル』


第1回:ベトナム・ホーチミン
第2回:中国・大連
第3回:フィリピン・セブ島
第4回: ネパール・カトマンズ
第5回: メキシコ、オーストラリア
第6回: パキスタン・ギルギット
第7回: 戦争を知りたい女子大生
第8回:悪夢のハンガリー・スロヴェニア徒歩越境
第9回:今時の卒業旅行者たち
第10回:冬の欧州、貧乏旅行者は辛いよ
第11回:天国に一番近い島
第12回:ベトナム、シクロ物語
第13回:バリ島のジゴロたち
第14回:ベトナム、路地裏カフェ物語
第15回:ネパール、チベット難民キャンプの女性たち
第16回:バリ島、労働査証のない日本人店主たち





■更新予定日:毎週木曜日

第17回:ミャンマーは日本の田舎?

更新日2002/07/11


ミャンマーで一番ややこしいのは両替の二重レート。かなりの差がある公定レートと市場レートの二つが存在し、市場レートは公設両替所でもバラバラ。一番レートがいいのは闇両替。しかし客引きが見つからずに高レートでの両替に苦労する場合もある。

また、ミャンマーというと軍事政権の国。アウンサン・スーチー女史の軟禁は解除されたものの、欧米人が泊るバンコクの安宿などには、「軍事政権の国に行くのは止めよう。ミャンマー政府を潤すだけ・・・」といったポスターが貼ってあったりする。

しかし、日本人にとってミャンマーはびっくりするほど評判がいい。軍事政権を意識するツーリストなどはほとんど皆無。アジアを廻る日本人パッカーに「どこの国が一番良かった?」と聞くと、必ずミャンマーという答えがもどってくる。

人気の理由を聞くと、「何よりも人がいい」というのが共通の意見。観光客にしつこくまとわりつくアジアを知る旅行者にとっては、その素朴さがよけいに印象深いものになってしまうらしい。入国時には悪名高い「強制両替」があるものの、拒んでいると、申し訳なさそうに哀願する官憲の姿はどこか憎めない。

街に出るとインド系ミャンマー人がやたらと多いが、日本人と同じ顔をした人もまた多い。車はボディに「・・・商店、・・・株式会社」と書かれた日本の業務用中古車が元気に走り回っていて、タクシーにも使用されている。

観光の拠点である山岳地帯に行く長距離バスも「西武観光、・・・観光」の払い下げ。中古車両は日本のODA関連でミャンマーに入ってくるらしいが、日本との距離が一気に縮まるような気分になってくる。

そんな日本を感じる光景は、片足でボートを漕ぐことで有名なインレー湖に行くとさらに加速する。拠点の小さな村、「ニャウンシエ」はどこから見ても日本の田舎のような景色が続き、まるで日本にいるように錯覚することも。そしてこの村には、何故か日本人OLのリピーターが多い。

2軒しかない中華料理店で美味しそうに焼きそばを食べている女性もOLだった。彼女は3回目の滞在、4日間の休みを取りはるばるやってきた。

「ここにやってくるとホッとするんですよね。インレー湖の観光は数時間で終わってしまっても、この村には体に根が生えてしまうんです。特別に何があるわけでもないし、日本の田舎のような景色だから、日本を旅行すれば・・・と言われればそれまでなんですけれど。何故かこの村が恋しくなって、足が向いてしまうのです・・・」

村の中をぶらぶらと散歩すると、飾らない日常生活にも出会える。空気の抜けたボールでサッカーの練習をしているのを眺めていると、恥ずかしそうに微笑み、「一緒に遊ぼうよ」と誘う少年たち。

外国人の男性が通り過ぎる度に、「あなたが声をかけなさいよ」とキャッキャッいいながら盛り上がる女の子たち。目が合うと「お茶でも飲んでいきなさい」と家の前で手招きするおばあちゃん。

広場では子供が大きな声で合唱。美味しそうなマンゴーを露天で買えば、一つひとつ丁寧に剥いてビニール袋に入れてくれる。簡素な茶店でインド風ミルクティを飲むと、次々と話しかけられて退屈しない。

昔の日本にいるような不思議な感覚。何気ない時間がやさしく流れる村だから、日本人が集まるのかもしれない・・・。

 

→ 第18回:イタリア、トリエステ駅のカナダ人