■Have a Nice Trip! ~そしてまた、新たな旅が始まる…

安田 修
(やすだ・おさむ)


1958年、神戸生まれ。ルポライター、JTB 系広告代理店(マーケティング・制作)等を経て、現在はフリーとしてライターや出版企画などのプランナーとして活躍する。世界の辺境が大好きな現役バックパッカーで、ネットサークル「海外に住もう会」を主宰している。世界各国の移住情報や長期旅行の情報をまとめた「海外移住情報」をネットで公開中。
著書『日本脱出マニュアル』


第1回:ベトナム・ホーチミン
第2回:中国・大連
第3回:フィリピン・セブ島
第4回: ネパール・カトマンズ
第5回: メキシコ、オーストラリア
第6回: パキスタン・ギルギット
第7回: 戦争を知りたい女子大生
第8回:悪夢のハンガリー・スロヴェニア徒歩越境
第9回:今時の卒業旅行者たち
第10回:冬の欧州、貧乏旅行者は辛いよ
第11回:天国に一番近い島
第12回:ベトナム、シクロ物語
第13回:バリ島のジゴロたち
第14回:ベトナム、路地裏カフェ物語
第15回:ネパール、チベット難民キャンプの女性たち
第16回:バリ島、労働査証のない日本人店主たち
第17回:ミャンマーは日本の田舎?
第18回:イタリア、トリエステ駅のカナダ人
第19回:カンボジア、身請けした日本人ツーリストたち
第20回:ユーゴスラビアの中国人
第21回:ハンガリー、ブダペストのゲストハウス模様





■更新予定日:毎週木曜日

第22回:アメリカ、ダラスの憂鬱

更新日2002/08/15


「世界を旅して、アメリカ人が嫌いになった。いろいろタテマエを言っても、本音ではアメリカがナンバーワンだと思っているのが許せない…」という日本人ツーリストが結構いたりする。ミニ・アメリカとして、日本はひたすら米国を真似、米国文化を追い求めてきたものの、米国人の実像に触れる機会があったりすると反応もさまざまだ。

そんなアメリカでも最も保守的で国家主義的な土地がダラス。カウボーイの本場だけにロデオ大会も日常的。歴代大統領を数々輩出するなど、政治的にもかなり重要な位置を占め、巨大石油資本の本拠地としても有名だ。

以前仕事でこの土地を訪れた時に、日本人として始めてダラスに住んだ草分けの日本人Aさんと知り合った。Aさんは戦前、カリフォルニアに移民した後に米国各地を転々と移動、30年ほど前にダラスに落ち着いた。現在は引退し、息子さんが日本貿易と翻訳通訳業務を行なっている。

「この街の企業を見れば、ダラスが分かりますよ。米国では人種差別はタブーとされ、表面上はなにも問題ないことになっていますが、ここに住み始めてからずっと、今でも人種偏見の風を感じます」。
Aさんの言葉を胸に押し込めたものの、仕事で米国企業と接すると、その言葉の意味がなんとなく分かってきた。

ロサンゼルスでもニューヨークでも、黒人の管理職は当たり前なものの、ダラスの企業、特に大企業ともなると一人もいない。そんな状況を何かとフレンドリーに接してくれるホテルの黒人ドアマンに聞いてみた。

「そうさ、この街では黒人やスペイン系は差別されているのさ。何かと保守的な街だからね。多分、俺たちにとってはアメリカで一番住みにくい街かもしれない。そんなことより、仕事終わったらバスケットでもしないか…」。

企業の仕事相手のホームパーティに呼ばれた時は、招待されていた老人からパールハーバーについて嫌味を言われ、親戚が死んだと責められた。頭にきたので、「じゃあ、広島、長崎はどうなんだ。何人が死んで、どれだけ多くの人が原爆病で苦しんでいるのか知っているのか?」と、大人気ない言葉もつい吐いてしまった。

企業の女性スタッフに街を車で案内してもらった時も最悪だった。スパニッシュ・ハーレムとよばれる中南米の移民地区があり、そこを通りかかると、おもむろに鼻をつまみ、しきりに臭いというポーズを連発した。

移民だけではなく、先住民であるインディアンに対しても同じらしい。
「ここはロデオ大会が週末になると開かれるんだ。でも、俺たちインディアンが優勝しようものなら大変だ。露骨ないやがらせもあるんだぜ…」。

ちなみにこの街を訪れた仕事とは、日本の大手銀行とダラスが本拠地の米国最大の不動産会社とのプロジェクトの取材だった。しかし、帰国してから約一年でプロジェクトは破局を迎えたようだ。

その理由を調べてみると、現地で話題になっていた日本人銀行マンたちの呆れた醜聞も背景にあるものの、決め手は日本人銀行マンとダラスの米国人スタッフとの感情的軋轢だ。米国人のプライドと日本人エリート銀行マンたちのプライドが、真っ向から衝突したらしい…。

 

→ 第23回:トルコ、黒海沿岸トラブゾンにて…