第46回:本当のアメリカの個人主義
更新日2002/10/17
今までにも、何度かコラムに書いたことではあるが、私を含めた多くの日本人の持つ、アメリカに対する先入観の中に、「アメリカは個人主義の国である」という命題がある。これは、大雑把に言うと、「アメリカでは個人が尊重されていて、年齢に関係なく自由に発言でき、また個人がしたいことを我慢せずにできる」ということではないだろうか。
しかし、本当にそうだろうか。私の印象では、答えは否である。もし、本当にこのような「個人主義」が徹底しているとすれば、それはかなり殺伐とした社会ではないだろうか。本当の「個人主義」とは、「個人を尊重する」という意味ではないだろうか。そして、その意味においてはアメリカは個人主義の社会であると言える。
一方現在の日本では、「アメリカの個人主義」をただの「傍若無人」とを勘違いしているように思えるのだ。
例えば、アメリカ人の母親が友だちとけんかをした自分の子供を諌める時によく使う言葉は、そして私自身も自分の子供によく言う言葉は、「もし、あなたがしたのと同じことを(あるいは言ったことと同じことを)、お友達にあなたがされたらどんな気持ちがするの?」と言うことだ。小さな子供でさえ、自分の言動に責任を持つことは当たり前だ、ということが、あるいはそれが当たり前のことであるということを大人が教えることが当たり前だ、という認識があるのだ。
ある日、公園でケイトが友だちを突き飛ばしたことがあった。母親のミッシーは、ケイトに「お友達を突き飛ばしてはいけない!」ときつく叱ったら、ケイトは「だって、他の子もするじゃない」と口答えした。そうすると、ミッシーは毅然と「他の子の話をしているのではないわ。今ママはあなたとお話をしているの。あなたはお友達に突き飛ばされたらどんな気持ちがするの?」と言った。そして、ケイトはしぶしぶながらも友だちに謝りに行ったのだ。
また、ある日トーリーが憤然と「ちょっと聞いてくれる?」と切り出した。彼女の長男のジョンが教会の日曜学校で友だちと一緒にふざけて、その日のクラフトに使う予定だった素材を床にまき散らして、先生に友だちと共にこっぴどく叱られたそうだ。その友だちの母親はそれを知らなかったので、電話でこういうことがあったので気をつけた方がいいよ、ということをその母親に言うと、「うちの息子を非難するの!!」と激高されたという。
「彼のしたことは、明らかに他のみんなに迷惑をかけることでしょ。そのために先生もよけいな時間を取られたわけだし。私は電話をしたことを感謝されても良いと思ったのよ。別に彼とかその母親を非難したわけじゃないわ。だって、ジョンも同じことをしたんだから。あの人は自分の息子がみんなに迷惑をかけたというのに、平気なのね!!」と激怒していた。
個人を尊重する、ということは自分ではない他の「個人」も尊重する、ということだ。個人が好き勝手をしても良い、ということでは断じてない。あるいは、他のみんなはどうであれ、自分の行いが恥ずかしくないように言動を慎め、という「個人」主義だ。
私達はそういう意味で本当に個人主義を理解しているだろうか。ひとくくりに、「日本は全体主義。アメリカは個人主義」というが、その中で、個人に求められていることは実は同じことではないか。そう私は思うのだ。
→ 第47回:人の目を気にしよう