■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第31回:子供はいつ大人になるのか? ~その3

更新日2002/03/05 


アメリカでは極めて一般的だが、日本ではなかなか見ない社会制度として「ベビーシッター」がある。これは、早ければ小学校の高学年から始められる、子供のお小遣い稼ぎのもっとも一般的な手段だ。

渡米してすぐ住んだ家のお隣に、小学校6年生のジェフと4年生のケイシーという兄妹がいた。引っ越しの挨拶に言った時、母親のジョアンは私にこう言った。「ケイシーをベビーシッターに使ってやってね。この子は市が主催する講習会にも行ったので大丈夫よ」。アメリカの事情にまだ疎かった私は、ベビーシッターという言葉は聞いたことはあるものの、実際にそれがどのようなものなのか、よくわかっていなかった。

その後、お隣ということもあって何度かジェフとケイシーと顔を合わせ、当時一人っ子だった環はお隣のお兄ちゃん、お姉ちゃんに遊んでもらうことを心待ちにするようになった。そこで、私が夕食を作る間なにかと邪魔をしにくる環と一緒に遊んでもらえたらいいな、と思ってケイシーにベビーシッターを頼むことにした。

ケイシーにしてもはじめてのベビーシッターらしく、とても嬉しそうに「ぜひ、やらせて!!」と言う。とはいえ、そのアルバイト料の相場もわからない私はジョアンに率直に聞いてみた。「今までベビーシッターをお願いしたことはないの。だからいくらお礼をしたらいいか教えて」。すると、ジョアンは遠慮がちに「ケイシーも初めてだから、1時間2ドルでどうかしら?」 私にしてみればその金額の安さにビックリし、「ええ???」と声を上げてしまった。すると、ケイシーは「1ドルでも、いいの」とすかさず訂正する。私もあわてて「違うの。本当に2ドルでいいの?」と尋ねると、「2ドルくれるの?」と、とても嬉しそうなのだ。当時のレートでは、1ドル100円。1時間200円で環と遊んでくれるのだったら、こちらとしては毎日でも来てほしいくらいだ。

早速、翌日に来てもらった。興味津々で観察しているとすぐ、あることに気がついた。ケイシーは環と一緒に遊ぶために来ているのではない、ということだ。実際にしているのは一緒に遊ぶということだが、環にかける言葉の端々に「環が何をしたいと思っているか」を常に考えていることが見て取れる。それは、小学校4年生の女の子が1歳の子供に対し「面倒を見ている」という責任感を感じていることが、端から見ていても明らかな態度だった。

そこで、ケイシーに市が主催したベビーシッター講習について聞いてみると、そこで教えられる内容にはなかなか感心するのだった。

まず、「安全」について常に気を配ること。そのために、あらかじめ母親に言われていた人以外の訪問者を家に入れないこと。ベビーシッターしている子供への注意が散漫にならないよう、自分の楽しみのためにテレビを見たり、ゲームをしたりしないこと。なにかあった時のために、警察や消防への連絡の仕方を覚えておくこと。小さい子供がおやつを咽につまらせたりしないよう、食べているものに気をつけること──などなど、きめ細かに網羅されている。その他にも、おむつの替え方、離乳食の食べさせ方など、ハッキリ言って日本では「母親教室」で教えられるようなことまで講習を受けていた。市の講習を受けた子供は市の「ベビーシッター登録簿」に登録できる。ベビーシッターが必要な親は市民センターに置いてあるその登録簿を見ることで、ベビーシッターを獲得することができるのだ。

アメリカには、家庭のしつけだけでなく、社会制度として子供に責任を持たせることを当然のこととして教育する制度が整っていることに改めて驚いた。子供は勝手に大人になれるわけではない。年齢を重ねただけで大人になれるものでもない。家庭と社会が子供をより早く自立させるために、またそれが当然という姿勢があって初めて子供は大人になれるのだ。

社会そのものとしては、アメリカは日本では考えられないような深刻な病理を抱えている。しかしその一方で、実に健全な成熟した社会の一面があるのも事実だ。そして、そこから私達が学ぶべきことは数多くある。

 

→ 第32回:Point of No Return