■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第23回:ニューヨークの惨事について私たちができること

更新日2001/09/18 


本当に信じられないことが起きた。最初、見ていたテレビ番組で「ニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)に航空機が衝突」というテロップを見たとき、「ああ、観光用の飛行機がぶつかったのかな。大変だな」と思ってNHKに変えたら、なんとビルが燃えている。そして、その映像にもう一機飛行機が映ったと思ったら、それがもう一方のビルに衝突し炎上するのが見えた。すぐに、「テロだ!」と思った。1993年にWTCの駐車場で爆発事故があり、それがイスラム過激派によるテロ行為だったからだ。殆ど反射的に「イスラム過激派によるテロ行為」だと思った。

その後、炎上を続けるビルを見ながら「消火されたとしても、復旧が大変だろうな」などと、今思うと相当に呑気なことを考えていたら、あっという間にビルは2本とも崩れ落ちてしまった。息が止まった。

誰によって行われたことにせよ、絶対に許せない。どんな大義名分も、なんの罪もない関わりのない人々が、筆舌に尽くしがたい恐怖を味わった末に死ななければならないことの理由にはならない。どんな宗教や信条も、無差別の殺人行為の正当な理由にはならない。

けれども、私たちがこの大惨事から学び、そして今日からでもできることは一つある。それは、「正当な理由もなく他者を憎んではならない」と言うことである。もっと簡単に言うと、「自分とは違うところのある人を、『違う』というだけの理由で疎外してはならない」ということだ。

悲しいことに、すでにアメリカ国内ではなんの罪もない、今回の大惨事に他の人々と同じように憤りを感じ、深く悲しんでいるイスラム教徒が迫害を受けている。そのような人々に直接の暴力を振るうこと、言葉の暴力を振るうことは、今回のテロ事件の犯人達の行為を何ら変わることのない卑劣な行為である。

歴史が教えてくれるように、私たちは自分とは違うものに対して時には迫害し、時には疎外してきた。これは、日本人には実感として理解しにくい民族や宗教の問題だけではなく、もっと身近な「いじめ」の問題と同根の問題である。人に肉体的な、あるいは言葉の暴力を振るうことは、自分の人格をおとしめることであり、卑劣なことである、と言うことを子ども達に教えなければならない。

今回の惨事についても、決して「だから、イスラム教徒とは怖い人たちなのよ」と子ども達に教えてはならない。このような卑劣な行為を行ったごく一部の人間を非難すべきだと、きちんと説明してやるのが大人の務めだ。

世界の三大宗教と呼ばれる、イスラム教、キリスト教、仏教の基本的な理念はこのような卑劣な行為を正当化するものではない。いずれの宗教でもこのような行為は教えに反するものだ。

たまたまイスラムの過激派であっただけで、あるいはキリスト教過激派であったかも知れないし、日本人の過激派であったかもしれない。

「だから、ああいう人はこわい」という短絡的なことを考える、またそれを当然とする心が、このような卑劣な行為の温床となることをしっかりと心に刻んでおこう。

 

→ 第24回:相手の立場に…