■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第23回:ニューヨークの惨事について私たちができること
第24回:相手の立場に…

第25回:「罪」から子供を守る

第26回:子供に伝える愛の言葉
第27回:子供の自立。親の工夫

第28回:ふりかかる危険と自らの責任

第29回:子供はいつ大人になるのか? ~その1

第30回:子供はいつ大人になるのか? ~その2

第31回:子供はいつ大人になるのか? ~その3

第32回:Point of No Return
第33回:かみさまは見えない
第34回:ああ、反抗期!
第35回:日本のおじさんは子供に優しい??
第36回:子供にわいろを贈る
第37回:面罵された時の対処法
第38回:子供を叱るのは難しい!
第39回:トイレへの長き道のり
第40回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その1
第41回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その2

 
第42回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その3

更新日2002/08/09 


「助産婦コース」を選んだので、妊娠7ヶ月までには6人すべての助産婦に顔をあわせたのだが、その中でも白人の年は30台後半というクリスという助産婦に検診を受けることが多かった。

初産の時に陣痛が始まってから出産までの時間が比較的短かったので、陣痛の間隔が普通は10分で病院に来るように指示されるところ、私は15分になったら来るように言われた。1人目の時も予定日から1週間目に出産したのだが、2人目も予定日を過ぎても徴候はなかった。ちょうど予定日の検診では、羊水の量が少ないので、超音波をかける、という。日本で通っていた産婦人科は、毎回超音波を使って診療していたのだが、今回アメリカでは「現段階では超音波の胎児に与える影響がはっきりしない」ので、なるべく使用しない、と説明された。実際に普通は5ヶ月の時に一度使用するだけだ。

アメリカの、それも最先端の病院なので、ハイテクを駆使した診療を期待していたのだが、案外慎重だ。超音波に関しては私が助産婦に診て貰っているからではなく、医師の診察を受けていても同じだと言う。

そして、いよいよ予定日より1週間遅い日の午後4時ごろ本格的な陣痛がやって来た。会社にいる夫に電話をかけ、迎えに来てくれるように言う。病院には行ったら、産み終わるまで何も食べさせてもらえない、と聞いていたので母が作ってくれたシチューとおにぎりをおなかにおさめる。上の娘にも説明する。「赤ちゃんが出て来ますよって言っているから病院に行って来るね。今日の夜はママは病院にお泊まりだから、おばあちゃんと一緒に待っていてね」

3歳の娘は私が陣痛に顔をしかめるので、「まま、大丈夫? 痛いの?」と心配してくれるが、そこはまだ3歳で「今日、ねんねの時にママはご本を読んでくれないんでしょ」と言って、お気に入りの本を持って来て「読んで」と言う。陣痛が来ると、「ちょっと、ま、待って」と私は苦しむのだが、娘はその間は待っていてくれる。ふと、以前読んだイングリット バーグマンの自伝の中の一説を思い出す。その中で彼女は2回目の出産の時陣痛の合間に、留守中に必要な上の子供のベビーシッターへの指示を書いたり、電話をかけたりした、と書いていて、「2回目の出産の時はそんなに冷静になれるものか」と感心したが、それは、したいからしたのではなく、せざるを得なかったのだ、ということがやっとわかった。

夫が帰って来て病院に向かう。時刻はすでに5時を過ぎていて、一般外来はしまっているので、救急の入り口に向かう。そこでは、一般外来入り口にはなかった、空港の金属探知機のようなゲートがあり、警備員はそこを「ひとりずつくぐれ」と言う。ちょうどその時陣痛が来ていたのだが、おかまい無しだ。体を2つに折ながらそこをくぐる。すると、「あっちのデスクに行って書類に記入するように」と言われた。「私はここの患者で出産に来たのだ」というと、「じゃあそれを確かめるからあっちのベンチに座って待て」という。確認が済むと、「トランスレーターが来るから、そこで待ってろ」と言う。悠長なことだ。トランスレーターとは、患者を医者の所まで(私の場合は助産婦)連れて行ってくれる人のことだ。

陣痛の間隔はすでに5分間隔だ。けれども、待てど暮らせど誰もやってこない。近くにそれらしいおばさんが2~3人いて、ぺちゃくちゃおしゃべりをしているが、彼女たちに動きは全く見られない。「ここで、産めって言うの!!」とだんなが3回催促して、私が怒りはじめた頃に、指示の電話が来たらしくおもむろにそのおばさんの一人がゆっくりゆっくり、車椅子を押し来た。こういう時にアメリカのセクショナリズムを痛感する。

上にあがると、クリスがニコニコしながら待っていた。「やっときたわね!予定日を過ぎてから、毎日誰が貴女のあかちゃんを取り上げるか賭けていたのよ。今日の日勤はリンダで彼女は私を変わる時に悔しがっていたわよ」などと冗談を言う。それから、出産室に案内されるがその部屋は日本のそれとはくらべようもないくらい、居心地のよい部屋だった。12畳くらいの部屋のまん中にきちんとシーツのかかった普通のベッドがおいてある。そこに寝転んだらちょうどの所の天井からはテレビが下がっている。窓際にはベッドとしても使えそうな大きなソファ。奥には、トイレとシャワーブースまである。患者が院内はもちろん、院外にもかけられる電話の乗っているテーブルには花も飾ってある。

実際にうまれるまではもう少しかかりそうなので、クリスも看護婦ものんびりしている。いざという時の血管確保ために、5cmくらいの管をつける、と言う。シャーロットという看護婦が、「初めてなの? へえ、2回目なんだ。上の子は女の子? いくつ?」と気軽に話しながら針を私の腕に刺す。その瞬間、なんだか生温いものが腕をつたって流れた。シャーロットは舌打ちをして、「んっもう。たった今着替えたばっかりなのに」と悪態をつくので、何かと腕に目を向けるとたった今針を刺したであろうところから血が流れ落ちている。「!?」という顔を私がしたのだろう。シャーロットはほんの少しだけ極まり悪そうに笑って「ごめんね」と言う。おいおい、自分の服の心配をする前に私の流れる血を拭いてくれよ。良く言えば、おおらか。しかし、悪く言えば無神経な話だ。でも、シャーロットはまた鼻歌まじりに針を刺そうとしているので、まあいっか、とこちらも思ってしまう。

しかるべき準備も全て済んだらしく、看護婦は部屋からいなくなった。残されたのは私達夫婦とクリスの3人。2リットルは入りそうな水指しにストローがささっている。氷水が入っているのだ。出産ではからだの水分が奪われるから、出産が始まるまでに全部飲め、という。「これを全部彼女に飲ませるのがあなたの仕事よ」と夫に言う。時々私の脈をとったり、おなかを触ったりしながら、クリスは私の横たわっているベッドの横に座って世間話をする。陣痛がほとんど途切れなくなった時、クリスが「シャワーを浴びたら?」と言う。暖かいお湯はからだの緊張をほぐして、痛みも和らぐから、という。そこで、シャワーブースに入り、中の椅子に腰掛けて肩からシャワーを浴びる。確かにじいっとベッドで待つよりかは気持ちがいい。その間も2リットルの水指しを抱えた夫は10分置きに律儀に私に水を飲ませる。

15分くらいそこにいただろうか。クリスに「多分、もう出て来ると思う」と告げる。クリスもあっさり、「そうね。そろそろね」という。先ほどのベッドに戻って横になる。「破水を待つより、させた方がよさそうね」ということで、細いプラスティックの棒を持って来る。夫に持たせて、「こういう柔らかいもので赤ちゃんにはさわらないから」と説明している。そして、ベッドのシーツの上にビニールシートをかぶせて破水。「いきんでいいわよ」出産の間中クリスは私に励ましの言葉をかけてくれる。「そう、上手よ。もう少しよ。頭が見えたわ!今度はながーくいきんでね」そう言われても普通のベッドの上なので足を支えるものがなくてうまくできない。するとクリスは私の足を自分の腰にあてて、反対側にいる看護婦に反対の足を支えるように指示している。「大丈夫私が支えてあげるからがんばって!」別の看護婦が電話をどこかにかけている。それを見た私に気付いたクリスは「赤ちゃんが生まれたらすぐに小児科の医者に診てもらうためよ」と説明してくれる。「あなたは本当に我慢強いわね! 痛いんだから声を出して叫んでもいいのよ」と言う。普通はアメリカ人は出産の時に減痛の為にエピデュラルという薬を使う。私はそれを使わない、と言っていたのでさぞ痛いだろうと察してくれたようだ。それにしても、アメリカ人の出産は賑やからしい。そして、やっと産まれた! クリスは、「まあ、なんて立派な髪の毛!」と嬉しそうに叫ぶ。

産まれた赤ちゃんは即座に6人くらいの小児科チームに引き渡された。全身脱力して起き上がる気力もない私に彼女は実況中継してくれる。「いま、気管にある異物をストローで吸い出しているところよ! すごいわ! あなたのベイビーははっきりとした意志の持ち主ね! こんな気持ち悪いものを入れないでって言うように管を取ろうとしているわ!」

処置の済んだ赤ちゃんが私の所にやって来た。みの虫のように、ぴっちりと布にくるまれて黄色い帽子をかぶっている。そして、体重を計ってすべての手続きが終わったようだった。「トランスレーターが来るから待っていてね。とっても良いお産だったわよ。あなたのことを誇りに思うわ」と私にハグして夫と握手して去って行った。病院にきてから、4時間彼女は文字どおり私に片時も離れずに世話をしてくれた。私にとってもとても良いお産だった。

(その4へ続く)

 

→ 第43回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その4