■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第23回:ニューヨークの惨事について私たちができること
第24回:相手の立場に…

第25回:「罪」から子供を守る

第26回:子供に伝える愛の言葉
第27回:子供の自立。親の工夫

第28回:ふりかかる危険と自らの責任

第29回:子供はいつ大人になるのか? ~その1

第30回:子供はいつ大人になるのか? ~その2

第31回:子供はいつ大人になるのか? ~その3

第32回:Point of No Return
第33回:かみさまは見えない
第34回:ああ、反抗期!
第35回:日本のおじさんは子供に優しい??
第36回:子供にわいろを贈る
第37回:面罵された時の対処法
第38回:子供を叱るのは難しい!
第39回:トイレへの長き道のり
第40回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その1
第41回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その2
第42回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その3

 
第43回:私はアメリカの病院が好きだ! ~その4

更新日2002/08/22 


産まれたばかりの次女は、みの虫にされたまま、でもそのぴっちり加減が心地よいらしく眠り続けている。出産したベッドはビニールクロスがはずされ、シーツになっている。その上で次女を抱きながらトランスレーターを待った。すると偶然か、分娩室に運んでくれた同じおばさんがやってきた。ラテン系の明るいおばさんは、「まあ、うまれたのね。おめでとう! 女の子なのね!!」とニコニコしながら私を乗せた車椅子を押しながら歩き始める。日本で一人目を出産した時日本の病院で貰ったマニュアルにしたがってボストンバッグに2個という大荷物を持って来たので、夫は急いでそれを抱えてついて来る。結局宿泊日数も少ないので、そのほとんどは使うことはなかった。

まず最初に新生児室に連れて行ってもらう。そこで、看護婦に「病院にいる間赤ちゃんはここにおきますか? それとも、あなたの病室に一緒にいますか?」と聞かれる。そんなことを急に聞かれても、困る。日本で出産した時は自動的に母子別室だったのだ。私の知る限りでは、日本では産婦の希望で母子同室か別室かを選べる、という話は聞いたことがなかった。でも、一人目が別室だったので「赤ちゃんと一緒に過ごしたい」と言うと、次に、「赤ちゃんは母乳で育てるのか」と聞かれた。「もちろん」と答える。「そう、わかったわ。じゃあ、こちらでは何も与えなくて良いのね」と言われた。日本の病院では母乳を推進してはいたけれど、時間ごとに新生児にはブドウ糖液などを与えていたので、「何も与えないって、どういうこと?」と聞くと、看護婦は「え? だって、母乳で育てるんでしょ?」と言う。混乱した短い会話をかわして分かったことは、この病院では「母乳」の赤ちゃんには病院としては一切何も人工物は与えない、ということらしい。「母乳」の赤ちゃんがすべてそういう風に扱うのなら、それでいいのだろう、と思って「母乳です」と念のためにもう一度言う。そこで、基本的なチェックを受ける次女を託して、私はこれから2泊する病室棟に向かう。

産科病棟の受付で部屋を聞く。名前を告げると「個室で」と予約しておいたはずなのに2人部屋をあてがわれる。「個室で、とお願いしたはずなんだけど」と言うと、書類をチェックした看護婦が「そうは書いてないわねえ」と言う。個室は空いていないのか、と聞くと空いてる、と言う。「じゃあ、個室で」と言うと「一晩で200ドルよけいにかかるのよ」と思案顔で看護婦は答える。そのやり取りを横で聞いていただんなが「いいよ。200ドルよけいにかかっても。会社が払うから」と言うと「まあ、なんていい会社なの!!」と吃驚する。そう、ほんと、いい会社なんです。そういうところは。

そして、やっと個室に案内して貰った。その部屋は10畳くらいで、おおむね分娩室と同じ設備が整っていた。受付にいたのとは別の看護婦がやって来ていろいろ説明してくれる。「角のキッチンに行けば、暖かいものはカウンターの上、冷たいものは冷蔵庫に入っているからなんでも好きなものを飲んでね。明日の朝食には間に合わないけれど、明日の昼食からはこのメニューから好きなものを選んで頼んでね。今日はもう食事は持って来てあげられないから下のカフェテリアから買って来て。これが、テレビのリモコン。こっちはエアコンのリモコン。電話はあそこね。それから、何かあったら、どんなに些細なことでもいいからこのベルを押して私を呼んでね」それから、夫に向かって「あなたは今日はここに泊まるの?」と聞いて、「泊まる」と答えると「それじゃあ、シーツを持って来るからね」とにこやかに去って行った。とにかく疲れていたので甘いものが欲しかった。あ~、やっぱり持って来て良かった、とグラノラバーを出してかじる。夫に温かいハーブティーを頼む。外では雷鳴が轟いている。

新生児室で「異状がなければ午前1時位に赤ちゃんをあなたの所に連れて行くわね」と言われたのに1時半になっても赤ちゃんはやってこない。心配になって夫が聞きに行くと「もうすぐ」と言われたという。それなのに、2時近くなってもこない。夫が二度目の催促に向かおうとした時に赤ちゃんはやって来た。給食のステンレスの台の用なものに乗せられてがらがらとやって来た。その台には引き出しがついていて、紙おむつやら体温計やらが入っている。相変わらず新生児のわが子はみの虫のようにぴっちり身動きができない程くるまれて、さらに固定するように上がけの端もベッドの下に押し込まれている。ちょっと窮屈なんじゃないかと心配するが、赤ちゃんはすやすやと眠っている。まあ、そういうことなら、と私達もぐったりと眠る。看護婦は大体二時間置きに様子を見に来る。

明け方にはじめて次女が泣いた。あわてておっぱいを含ませるがたぶんあまり母乳は出ていない。しばらく格闘していたが力つきたようにまた眠った。一人目の時も母乳が出るまでしばらくかかったので心配になる。9時頃。クリスがやって来た。「気分はどう?」夜勤あけのはずなのに相変わらず彼女ははつらつとしている。「母乳がね、あまり出ていないようなの。ミルクを与えてもいいかしら」と言うと、「大丈夫。あかちゃんはね、産まれてから2~3日は全く何も飲まないでも大丈夫なくらい栄養も水分も貯えて産まれてくるの。心配しないで。水分を沢山取って。一人目も母乳だったんでしょ。大丈夫でるわよ」と太鼓判を押してくれる。へえ、そんな話、日本で聞いたことなかった。

翌日、助産婦のキャシーがやってきて、1時間程「新生児と産後の母体について」説明してくれる。あとで貰った薄い冊子にも同じことが書いてあったが、驚く程「自分の体を信じなさい。赤ちゃんに備わっている本能を信じなさい」ということを強調している。曰く「動物は母乳だけで赤ちゃんを育てている。人間も同じだ」「新生児は何時間眠るとか、おっぱいは何時間おき、とかマニュアルを信じ過ぎてはいけない。それぞれの赤ちゃんにはそれぞれのテンポがある。それにあわせてやればいい。眠っているなら、好きなだけ眠らせればいい。3分しかおっぱいを吸っていなくても赤ちゃんが満足したら、それでいい」要は、赤ちゃんが欲しい時に欲しいだけ吸わせてやればいい、ということらしい。一人目の時はおっぱいを含ませる前に清浄綿で拭いたりしていたが、それも必要無い、という。極めて原始的だ。でも、それぞれの赤ちゃんのテンポがある、という説には深くうなずいた。

日本にはなかったサービスで一番よかったのは、マッサージが頼めたことだ。病院にはフィジカルセラピストという人がいて、有料だがその人にマッサージを頼めるのだ。出産後は、体中の筋肉が凝り固まっていて、すぐに電話して頼む。40分のセッションで、肩と腰を重点的にマッサージして貰った。

産前、出産、産後をアメリカの病院で過ごして痛感したことは、アメリカの病院では産婦が(患者が、と置き換えても問題ないと思う)どうしたいか、を一番尊重してくれる、ということだ。病院の方針を押し付けられるのではなく、「あなたはどうしたいのか」ということを聞いてくれるのだ。いわば、決まったコース料理しかないのではなく、ひと皿ずつ自分の好みでフルコースを決められるようなものだ。私は全くの自然分娩で母子同室を選んだその同じ病院で、陣痛促進剤を使って、無痛分娩で母子別室という出産も可能だったわけだから。

出産は病気ではない。でも、経験者ならわかるようにあの痛みは尋常ではない。陣痛のまっただ中で、陣痛室から分娩室まで歩け、と言われるより、車椅子で運んでもらった方が産婦にとってはどれだけありがたいか。産後を考えると、体力のない人にとっては無痛分娩の方が母子共にとって、最良の選択であることも考えられる。産婦の数だけお産の形がある、ということは至極当然のことだ。

私はアメリカの病院で自分が思う通りの出産をし、最初から最後まで付き添った夫にとっても出産がいかに大変か、ということがよ~~く分かったようで、とても良い経験だったようだ。

アメリカの病院で不満だったこと? そうだな、シャーロット、自分の服についた血を心配する前に私の流れる血を止めてよね。それだけ、かな。

 

→ 第44回:駐車することさえ考えるな