■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第23回:ニューヨークの惨事について私たちができること
第24回:相手の立場に…

第25回:「罪」から子供を守る

第26回:子供に伝える愛の言葉
第27回:子供の自立。親の工夫

第28回:ふりかかる危険と自らの責任

第29回:子供はいつ大人になるのか? ~その1

第30回:子供はいつ大人になるのか? ~その2

第31回:子供はいつ大人になるのか? ~その3

第32回:Point of No Return
第33回:かみさまは見えない
第34回:ああ、反抗期!
第35回:日本のおじさんは子供に優しい??
第36回:子供にわいろを贈る
第37回:面罵された時の対処法

 
第38回:子供を叱るのは難しい!

更新日2002/06/13 


週に一度、下の娘のためにPlay Group for English Speakersという集まりに行く。アメリカで生まれた彼女はアメリカの国籍も持っている。英語を使えるということは将来役にたつだろうと思うからだ。

そこには、在日外国人、夫が外国人、家族の中に外国人がいる人、あるいは私のように海外に在住していて帰国した人などが集まる。子供達に英語を「教える」のではなく、日常生活の中の英語に触れる時間を持たせたい、というのが主眼である。午前中の2時間程の集まりの中で、歌を歌ったり、手遊びをしたり、簡単なクラフトをしたりする。使う言語は全て英語だ。

ある日の集まりで、子供が全部で7人いる中で男の子は一人だけだった。ふと、その男の子のお母さん(アメリカ人)が「今日は女の子が多いからうちの子も穏やかだわ。男の子が多いと結構激しい喧嘩があったりして疲れちゃうのよ」と言った。すると、イギリス人の夫を持つ日本人の女性が「そうね。うちは上の子が男の子でしょ。イギリスから帰って来てすぐは、日本人の男の子が荒っぽいなあ、と思ったわ。イギリスだと友だちを叩くなんてことがあったら母親はすごい剣幕で子供を叱ってたの。それに慣れていたから、日本人の母親が、叩くとか蹴る、ということに寛容なことにびっくりした」と言った。

そう言われれば、アメリカの母親もそうだったなあ、と思い出した。公園でも、叩くことも、ましてや蹴るということは論外の行いで、ちょっと間違いで子供が砂を投げた、ということでも、見のがさず「それはいけないこと」と注意していた。

その違いは?と考えたところ、その理由に思い当たった。多分、その社会での子供の位置付けの違いにあるのではないだろうか。日本では子供は「未熟な大人」という位置付けにあるように思う。だから、その未熟な存在が、「いけない行い」をしてもある程度仕方のないことだ、という通念があるように思う。叩くくらいのことはお互い様だし、ということもあるだろう。けれども、私の経験から言うと、「いいよ、仕方ないよ」と言うのは主に叩かれた方の子供の親であって、叩いた子供の親ではない。もし、叩いた方の親が「仕方ないよ」と言ったとすれば、それは「ちょっと困った人」と思われるのではないだろうか。

一方、アメリカでは子供は明確に「未熟ではあっても社会の一員」と考えられているようで、大人の世界でしてはならないことは子供の世界でもあってはならないこと、とされていた。大人が叩きあったり、汚い言葉で罵りあったりしないように、子供もそんなことをしてはならない、というのが公園でのコンセンサスであったと思う。だから、自分の子供ではなくても「いけないこと」をした子供は母親は叱ったし、叱られた子供の親も「そう、その通りよ。ちゃんと謝りなさい」と母親の側で気持ちの上での諍いもなかったように思う。もちろん、アメリカにも色んな親がいるので「どうしてうちの子供を貴女がしかるの!!」と激高する親もいるのだろう。可能性としてはそう思うが、私自身はそういう母親には出会わなかった。

私は、というとたぶん日本の母とアメリカの母の間にいると思う。自分の子供が友だちを叩くと厳しく叱るし、おもちゃを取り上げたとしても「それはたとえ貴女のおもちゃであっても、取り上げてはいけない」と言う。けれども見ず知らずの子供の「いけない行い」を叱ることはできない。
親しい人の子供なら「それはいけないよ」と言うけれども。

いずれにしても、子供を叱るということはとても難しくて、毎日試行錯誤している、というのが正直なところだ。

だって、うちには反抗期の娘とTerrible Twoまっただ中の娘の2人がいるんだもん!

 

→ 第39回:トイレへの長き道のり