第446回:流行り歌に寄せて No.246 「誰もいない海」~昭和45年(1970年)11月5日リリース
前回の予定だった『誰もいない海』を、1回遅れでご紹介したいと思う。
今回、この曲についていくつか調べてみると、だいぶ思っていたイメージと違うことがわかった。今までは、原曲をトワ・エ・モアが歌っており、その後、越路吹雪がカヴァーしたというふうに認識していたが、それは誤りだった。
そもそも最初は、この曲はテレビ番組の中で作られたものだった。昭和42年(1967年)にNET『木島則夫モーニングショー』の「今週の歌」として、ジェリー伊藤のために作られ、彼が番組の中で歌った。
初めにレコーディングをしたのは、シャンソン歌手の大木康子で、昭和43年シングル盤『野火子』のB面として発売され、翌44年には、今度はA面に変更して再び売り出されたが、大きなヒットにはならなかったようである。
そして、そのまた翌年の45年11月5日、トワ・エ・モアと越路吹雪が同日にリリースするという、典型的な競作となった。
売上げということでは、当時のオリコンの順位で言えば、トワ・エ・モアが16位、越路吹雪が92位と、若いデュオが圧倒する形になった。しかし、現在では『サン・トワ・マミー』『ろくでなし』などの大ヒット曲とともに、越路吹雪を代表する曲の一つとなっている。
何と言っても、作・編曲を手掛けた内藤法美は、長年連れ添った越路の夫である。やはり大きな思いがそこにはあるのだろうと思わせる、本当に見事な歌唱である。トワ・エ・モア版の方の編曲は森岡賢一郎が担当した。
この二つのレコードを聴き比べて最初に感じたのは、トワ・エ・モア版では、「私は忘れない」の箇所を「わたし」と発音しているのに対し、越路版は「あたし」と発音していることだ。細かいことのようだが、これはニュアンスがだいぶ異なる。
イントロは、フォーク調を意識してシンプルなギターから入る前者、後者は叙情的なシャンソンのイメージで、フルオーケストラから入っていく。
そして、下に記した詞の括弧内の部分、トワ・エ・モア版にはこのリフレインとスキャットがあって、フェイド・アウトで終わるが、越路版は3番を歌い上げ、歌い切って終わる。それぞれ、お互いの持ち味を充分に生かし切った名盤だと思う。
「誰もいない海」 山口洋子:作詞 内藤法美:作曲 トワ・エ・モア:歌 越路吹雪:歌
〈トワ・エ・モア版〉森岡賢一郎:編曲 〈越路吹雪版〉内藤法美:編曲
今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人がゆきすぎても
わたしは忘れない
海に約束したから
つらくても つらくても
死にはしないと
今はもう秋 誰もいない海
たったひとつの 夢が破れても
わたしは忘れない
砂に約束したから
淋しくても 淋しくても
死にはしないと
今はもう秋 誰もいない海
いとしい面影 帰らなくても
わたしは忘れない
空に約束したから
ひとりでも ひとりでも
死にはしないと
(ひとりでも ひとりでも
死にはしないと
ルルル ルルルル
ルルル ルルルル
ルルル ルルルル
・・・)
もうひとつの、私の認識の誤りは、この曲の作詞者、山口洋子についてである。私はてっきり『よこはま・たそがれ』などの作詞をした直木賞作家の山口洋子だと思い込んでいたが、これが同姓同名の別人なのである。
こちらの山口洋子は昭和33年生まれの詩人。村松英子、山本道子、吉行理恵ら同世代の詩人とともに活躍してきた人である。他の曲の作詞は知られていないから、どのような経緯で内藤法美と『誰もいない海』を作ったか、そのへんのところを知りたいと思う。
さて、作曲の内藤法美は、世間的には越路吹雪の夫としてのイメージが強いが、じっくりと音楽畑を歩いた人である。
麻布中学校を昭和21年に卒業しているが、その時の同級生には、フランキー堺、小沢昭一、加藤武、仲谷昇、なだいなだ、大西信行ら、後に大活躍する錚々たるメンバーがいた。
第一高等学校に進むも、学業よりも音楽の世界を選び、昭和26年に東京キューバン・ボーイズにピアニスト、編曲家として入団して活躍、その後、作・編曲家として独立した。
妻、越路吹雪のために『イカルスの星』など数曲を書き、児童合唱団のための合唱曲、映画・舞台音楽なども手掛けている。
ちなみに、最初にこの曲を歌ったジェリー伊藤は、二組のレコーディングの、そのまた翌年、昭和46年に初レコーディングをしている。編曲は服部克久。この曲には、ジェリー伊藤が自ら訳詞した英語詞が3番に入っているのである。
実は、トワ・エ・モアの二人が、この曲の最初の歌唱がジェリー伊藤だと知ったのは、つい一昨年のこと。クリス松村のテレビ番組、TOKYO MXの『ミュージック・モア』に二人がゲストで登場し、その時に『クリスのお宝箱』のコーナーでその話を聞かされて、二人は大変に驚き、レコードのジェリーの歌声に聴き入っていたという。こちらの方が驚いてしまう話である。
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