第444回:流行り歌に寄せて No.244 「雨がやんだら」~昭和45年(1970年)10月21日リリース
長門裕之・南田洋子、津川雅彦・朝丘雪路の、おしどり夫婦と言われた両ご夫妻はすでにこの世にいない。幼い頃から、映画やテレビなどで、ずっと見慣れ親しんできた両ご夫妻が、すべて故人となってしまったのは、私にとってはかなり寂しいことである。
最初に亡くなったのは南田洋子で、平成21年(2009年)10月21日で76歳。その後1年半経たないうちに、長門裕之が平成13年5月21日に77歳で亡くなった。そして、朝丘雪路が平成30年4月27日に82歳で亡くなると、津川雅彦は3ヵ月余り経った同年の8月4日に78歳でこの世を去った。
ここ12、3年の間のことであった。妻に先立たれた夫はあまり多くを生きないと世間ではよく言われるが、二組ともその例外にはならずに旅立って行ったのである。
それぞれが素晴らしい個性を持った俳優だったが、4人の中で、唯一俳優と歌手業を兼ねていたのは、朝丘雪路だった。
今回調べてみて、また自分がものを知らないことに改めて気付かされたのだが、私は朝丘雪路の歌と言えば、この「雨がやんだら」しか知らなかった。ところが、彼女は昭和30年(1955年)に宝塚歌劇団を退団し、映画やテレビで女優としてデビューした頃からもう歌い始めていたのだった。
NHK紅白歌合戦にも昭和32年の第8回に初出場、その後昭和34年の第10回から昭和41年の第17回まで、8年連続出場を果たしている。そして、昭和46年に「雨がやんだら」で5年ぶりにカムバック。しかし、これが朝丘の最後の出場になった。
何のことはない。今まで紅白に10回出場している常連歌手であったのに、私は、最後の1回のみのことを憶えているだけだったのだ。誠にお恥ずかしい限りである。
今回、YouTubeで、昭和40年の第16回紅白の『ハロー・ドーリー』の歌唱の映像を観ることができたが、素敵なピンクの衣装(白黒画像だが、ナレーションで説明あり)と豪華な装飾品を身に着け、シャウトしている。雪村いづみと梓みちよを両サイドに置いて踊る姿も、実に堂に入っている。
さて、朝丘雪路は、幼少の頃から、父親の伊東深水に溺愛され、文字通り乳母日傘で育ったため、いわゆる一般的な社会常識を持ち合わせていなかった。どこに行くにも養育係が同伴していたため、例えば、自分でお金を出して切符を買い、列車に乗るということなども、よっぽど大人になってからになってからでなければ、できなかったという。
(後年まで自分一人で列車に乗れないということでは、同音異字のアサオカさん、浅丘ルリ子にも同じようなエピソードがある。しかし、こちらは中学校時代から芸能界入りし、仕事では車による移動ばかりだったために、列車に乗る機会がなかったから、という理由らしい。)
極端なお嬢さん育ちで、常識外れの、奔放な生き方をしていた朝丘雪路は、ときどきその行動により騒動を起こしており、周囲が手を焼くこともあったが、いわゆるその天然ボケぶりにより、いつのまにか、どことなく許されてしまう雰囲気であったようだ。
「雨がやんだら」 なかにし礼:作詞 筒美京平:作・編曲 朝丘雪路:歌
雨がやんだら お別れなのね
二人の思い出 水に流して
二度と開けない 南の窓に
ブルーのカーテン 引きましょう
濡れたコートで 濡れた体で
あなたは あなたは
誰に 誰に 逢いに行くのかしら
雨がやんだら 私はひとり
ドアにもたれて 涙にむせぶ
雨がやんだら 出て行くあなた
冷たい靴音 耳に残して
あなたがつくった インクのしみを
花瓶をずらして 隠しましょう
濡れたコートを 濡れた体を
あなたは あなたは
誰に 誰に あたためてもらうの
雨がやんだら 私はひとり
あなたのガウンを まとって眠る
いわゆる「遣らずの雨」というような、情緒的な雰囲気ではない。かなり切羽詰まった状況だ。雨がやんで、男性が出ていってしまったら、もうそれで永のお別れなのだと言う。
女性は、引き止めようとしても聞き入れてはくれない男性の、出ていった後に逢うと思われる女性の存在に強く嫉妬し、そして、取り残された後は、ドアにもたれてむせび泣いたり、男性のガウンをまとって眠るであろう自分の姿を想像し、悲しみに暮れている。
古代の和歌にも、いくつか歌われたと思われるテーマのようで、真に迫る歌詞の内容なのだが、なかにしさん、ちょっと待ってくださいよ、と言いたくなる。この男性は雨がやんだら出て行こうとしているわけなので、だれかに逢いに行く時はコートも体も濡れていないはずなのでは。
それとも、激しい雨が降ってきてずぶ濡れになったので、とりあえず雨宿りのために、別れようとしている女性の部屋に一時的に飛び込んだ状況だと言うのか。しかし、さすがにそれは考えにくい。
つまらない理屈を捏ねるようだが、この曲を聴くたびに、この疑問にぶつかってしまうのである。その真意をお聞きしてみたいものだが、なかにし礼も、作・編曲者の筒美京平も、一昨年(2020年)、この世を去ってしまった。
その二人、同年の昭和45年3月25日にリリースされた、いしだあゆみの『あなたならどうする』で初めてコンビを組み、続いて同じいしだの『何があなたをそうさせた』を作る。今回の『雨がやんだら』は、おそらく3曲目の曲だと思う。
筒美京平にしては、前述の2曲に比較すると、少し大時代的とさえ思われる、サックスなどをふんだんに使った、かなりムーディーな編曲である。これは、歌手の持つ声質に合わせて作っているからなのだろう。
ノン・ビブラートで淡々と歌ういしだあゆみと、ひとこと一言に思いを込め歌い込んでいく朝丘雪路、それぞれの良さを最大限に引き出すための編曲。ヒット・メーカー・筒美京平ならではのなせる技である。
さて、私は朝丘雪路と言えば、日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』の鷲尾いさ子版『女検事 霞夕子』の、主人公の母、霞瑞江役の彼女がとても好きだった。彼女は、番組途中からはすでに還暦を越えていたが、明るい色気を持って、楚々と行動する姿が眩しいほどであった。
明るくて、素っ頓狂で、それでいて見ているものの気持ちを和ませてくれる雰囲気を持っていた彼女、亡くなってもう4年半になるのだが、その存在を失ったことはしみじみ寂しい思いがするのである。
第445回:流行り歌に寄せて No.245 「或る日突然」~昭和44年(1969年)5月10日リリース
|