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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
 

第441回:流行り歌に寄せて No.241 「走れコウタロー」~昭和45年(1970年)7月5日リリース

更新日2022/08/18


山本コウタロー氏の訃報には、私は少なからず衝撃を受けた。
彼は、私にとってはフォークソング・グループのメンバーの一人として世に出て以来、半世紀以上、ずっと独自のスタンスで発言を続けて来た「知性の人」であり、その言動にはいつも注目して来た。もっともっと、いろいろと語って欲しい人だった。それについては、また後日触れることにして…

そのフォークソング・グループが、今回のソルティー・シュガーである。
ソルティー・シュガーの前身は、都立日比谷高校のメンバーにより構成された高校生バンド、ワイリット・マン。高校卒業後、メンバーの一人でデザイナーを目指す佐藤俊夫が脱退する際、彼の名前をバンド名に残そうと「さとうとしお」→「砂糖と塩」→「シュガー&ソルト」→→「ソルティー・シュガー」となったとのことである。

当初のメンバーは、

池田 謙吉:ボーカル、バンジョー?
手塚 通夫:ボーカル、コンドラバス
高橋 隆:ボーカル、ギター
山本コウタロー:ボーカル、ギター

ソルティー・シュガーは、昭和44年(1969年)12月に『ああ大学生』という曲で日本ビクターからデビューするが、まったくと言って良いほど売れなかった。この曲は、昔から歌われていた兵隊節『可愛いスーチャン』や、『練鑑ブルース』のお馴染みのメロディーに、メンバーの高橋隆が曲を補い、同じくメンバーの池田謙吉が詞を付けたものだった。

落胆したメンバーだったが、もう一度、レコーディングのチャンスが与えられたのである。

北の丸公園で行なわれていたバンドの練習に、日頃から遅れてやって来ていた山本コウタローを、他のメンバーが「走れ、走れコウタロー」と囃し立てていたのがきっかけで作られた曲。コミカルな内容で、美濃部都知事の声真似も面白いということで、日本ビクターの担当者からゴー・サインが出たのだった。



「走れコウタロー」 池田謙吉:作詞 池田謙吉、前田伸夫:作曲 池田謙吉:編曲 ソルティー・シュガー:歌

 
これから始まる 大レース

ひしめきあって いななくは

天下のサラブレット 四歳馬

今日はダービー めでたいな

 

走れ走れ コウタロー

本命穴馬 かきわけて

走れ走れ コウタロー

追いつけ追いこせ 引っこぬけ

 

スタートダッシュで 出遅れる

どこまでいっても はなされる

ここでおまえが 負けたなら

おいらの生活 ままならぬ

 

*走れ走れ 走れコウタロー

本命穴馬 かきわけて

走れ走れ 走れコウタロー

追いつけ追いこせ 引っこぬけ*



(台詞)
エー、このたび、公営ギャンブルを、どのように廃止するか、という問題につきまして、慎重に検討を重ねてまいりました結果、本日の第4レース、本命はホタルノヒカリ、穴馬はアッと驚く大三元という結論に達したのであります。

各馬ゲートインから一斉にスタート。第2コーナーを回ったところで、先頭は予想どおりホタルノヒカリ。さらに各馬一団となって、タメゴロー、ヒカルゲンジ、リンシャンカイホー、メンタンピンドライチ、コイコイ、ソルティーシュガー、オッペケペ、コウタローと続いております。

さて今、第3コーナーを回って第4コーナーにかかったところで、先頭は予想どおりホタルノヒカリ、期待のコウタローは大きく遅れて第10位というところであります。

さあ、最後の直線コースに入った。あっコウタローが出て来た。コウタロー速い、コウタロー速い。トップのホタルノヒカリけんめいのしっ走。これをコウタローが必死に追っかける。コウタローが追いつくか、ホタルノヒカリが逃げきるか、コウタローかホタルノヒカリ、ホタルノヒカリかマドノユキ、あけてぞけさは別れゆく。

 

ところが奇跡か 神がかり

いならぶ名馬を ごぼう抜き

いつしかトップに おどり出て

ついでに騎手まで 振り落とす

 

(*くり返し)

 

走れ走れ走れ走れ コウタロー

本命穴馬 かきわけて

走れ走れ走れ走れ コウタロー

追いつけ追いこせ 引っこぬけ

 

無事にレコーディングも終え、発売を待つばかりとなった時期に、とんでもない出来事がメンバーに起こる。リーダーの池田謙吉の急死である。

ラジオ番組の待ち合わせに顔を見せない池田にメンバーが電話をかけたところ、母親から「体調不良で休ませてもらいたい」とのことだったが、その後の連絡で訃報を知らされる。

今で言う「睡眠時無呼吸症候群」だったのではないかと考えられている。5月10日のことだった。
この日は、デビュー曲『ああ大学生』のB面に収録された、池田の詞による曲『日本国有鉄道5月10日の歌』から、ちょうど1年後にあたる。

メンバーは衝撃を受けて解散も考えるが、池田謙吉の母も勧めもあり、1年間を限定でメンバー活動を続けることになった。デザイナーとして働いていた佐藤俊夫も趣旨に賛同して復帰し、ボーカルとバンジョーを担当したのである。

『走れコウタロー』の歌唱、台詞の担当は、以下の通りだった。

1コーラス目 高橋隆
2コーラス目 手塚通夫
台    詞  レコード版:池田謙吉  その後:高橋隆
3コーラス目 レコード版:池田謙吉  その後:山本コウタロー または、佐藤俊夫

これを見ても、作詞・作曲・編曲を見ても、池田謙吉という人がメンバーの中で、どれだけ大きな存在だったかということが伺える。

その後メンバーは、130万枚をセールスしたこの曲で、昭和45年の日本レコード大賞の新人賞を獲得した。そして、『ハナゲの唄』、『泣くなゴンベー』など名曲を残したが、約束通り、翌年の6月30日で音楽活動を止め、それぞれの道に進んだ。

レコードから聴こえる、池田謙吉の美濃部都知事の声真似、そして実況アナウンサーの早口の実況中継。その後を受けて高橋隆は必死になって練習したことだろう。高橋は、その後昭和46年にビクター音楽産業に入社、ディレクターとして活躍する。

バンド名のもととなった佐藤俊夫は、デザイナーを経て現在陶芸家として活躍している。

池田の後リーダーになり、その重責を担った手塚通夫も、今は故人とのことである。

今回、YouTubeで、池田亡き後のメンバーによる、当時の『走れコウタロー』を観たが、その背景を知ったことで、より心に響くものを感じた。山本コウタローが、まったく目立っていないことも、たいへん興味深かった。

 


第442回:流行り歌に寄せて No.242 「X+Y=LOVE」~昭和45年(1970年)8月10日リリース


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice


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