第423回:流行り歌に寄せて No.223 「夜と朝のあいだに」~昭和44年(1969年)
以前にも何回か書いたが、私の両親はクリスチャンなので、毎週日曜日は基本的には家族4人、教会での礼拝を守り、時にはどこかで昼食をとってから帰宅するという生活を送っていた。
それは、私が生まれてから18歳で上京するまでずっと続いていたから、父の会社の家族旅行や、親戚の家に行く以外は、日曜日にあまり家族でどこかへ遊びに行くという習慣はなかった。
これも、おそらく会社の家族旅行だったと思うが、家族4人で長島温泉に行ったことがある。昭和45年(1970年)のことだった。長島温泉というのは、関東の方にはあまり馴染みがないかもしれないが、東海地方の人にとってはかなり有名な、三重県桑名市にある、いわばスパリゾートである。
今でも続いている「長島温泉 歌謡ショウ」(コロナ禍で、ずっと中断していたようだが7月3日から再開することがHPで紹介されていた)は地元では大変に好評なイベントだった。
私が行ったときに開かれていたのが、その前年デビューをし、日本レコード大賞・最優秀新人賞を獲得した「ピーター ショウ」だった。
当時、中学3年生の私としては、アン真理子とか千賀かほるとかの女性歌手だったらよかったのになあという思いが、頭をよぎった。しかし、「夜と朝のあいだに」の最初の声を聴いた時、一瞬にしてそれは消えてしまった。今まで聴いたことのない「妖しさ」をゾムッゾムッと感じてしまったのである。
もちろんテレビでピーターを観たことはあったし、歌も聴いていた。しかし、ライヴというものはやはり全然違うのである。そして、ステージ上での軽妙なトークもカッコよく、魅了されてしまった。
それでも、こんなに女性に近い男性に惹かれていることに、少し何かいけない感情を持ってしまったのかという後ろめたさも同時に感じていた。その時父から「こういう人たちをシスター・ボーイというんだよ」と言われ、その言葉も初めて耳にしたのである。
「夜と朝のあいだに」 なかにし礼:作詞 村井邦彦:作曲 馬飼野俊一:編曲 ピーター:歌
夜と朝のあいだに ひとりの私
天使の歌をきいている
死人のように
夜と朝のあいだに ひとりの私
指を折ってはくりかえす
数はつきない
遠くこだまをひいている
鎖につながれた むく犬よ
お前も静かに眠れ
お前も静かに眠れ
夜と朝のあいだに ひとりの私
散るのを忘れた
一枚の花びらみたい
夜と朝のあいだに ひとりの私
星が流れて消えても
祈りはしない
夜の寒さにたえかねて
夜明けを待ちわびる 小鳥たち
お前も静かに眠れ
お前も静かに眠れ
この曲が出る1ヵ月前に、ピーターは松本俊夫監督のATG映画『薔薇の葬列』のゲイバーの少年・エディを演じて映画デビュー。松本監督は、エディ役をオーディションに参加した100名近い候補者の中から選び切れないでいたが、知り合いである作家の水上勉の紹介で、六本木のゴーゴー・クラブで働いていたピーターを知り、すぐに抜擢した。
『薔薇の葬列』は名前だけは知っていた。今回YouTubeで少しだけ初めの部分を観ることができたが、当時17歳のピーターのエロティズムがトクトクと妖しく伝わってくる。ちょっと観るのが怖いような、映像である。
六本木のゴーゴー・クラブ時代、男の子か女の子かわからない美少年で「ピーター・パン」と呼ばれていて、それがピーターの由来となった。
デビュー当時のキャッチ・フレーズは『アポロが月から連れてきた少年』。確かに、デビューの年の7月21日、アポロ11号のアームストロング船長が人類で初めて月面に降り立っている。その際、鉱石などを持ち帰っているが、ピーターまで連れ帰ったとは、あまりに荒唐無稽なキャッチフレーズを考えたものである。
荒唐無稽さに便乗して言えば、もしあのアポロの船内にピーターがポツリといたとしたら、乗組員たちの心中も穏やかではなかっただろう。
閑話休題。その後ピーターは、昭和60年あたりから俳優業の際は『池畑慎之介』という本名で、ステージやバラエティー番組などでは『ピーター』と使い分けていたが、2年ほど前に池畑慎之介という名前に統一したようである。
デビューから50年を超えて、さらに艶を増しているこの人の存在は、とても頼もしい気がする。それこそ50年ぶりに、そのステージを拝見したい思いである。
第424回:流行り歌に寄せて No.224 「サインはV」「アタックNo.1」~昭和44年(1969年)
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