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第422回:流行り歌に寄せて No.222 「白い色は恋人の色」~昭和44年(1969年)

更新日2021/06/17


おそらく、私の聴いた最初の外国人女性デュオだと思う。
ベッツイ(エリザベス・ヴァージニア・ワーグナー:Elizabeth Virginia Wagner;1952年9月4日生まれ)と、クリス(クリスティーン・アン・ロルセス:Christine Anne Rolseth;1952年6月25日生まれ)。当時、まだ17歳の二人だった。

彼女たちは、ハワイのカイルア・ハイスクールの生徒たちにより結成された『サウンド・オブ・ヤング・ハワイ』のメンバーとして、1969年7月に来日した際にスカウトされ、3ヵ月も経たない10月1日に、この『白い色は恋人の色』でデビューを果たした。

とんでもないスピード・デビューである。風光明媚なハワイの公立高校から日本を訪れた女子高生の何人かのメンバーの中から二人が選ばれる。そして、音楽事務所と契約し、当時ザ・フォーク・クルセダーズを解散して1年足らずの北山修と加藤和彦が曲を書き、その日本語の曲を、一人にはギターを持たせてデュオとして歌わせ、DENONレーベルからレコード・デビューさせる。その間、わずか3ヵ月足らず。

日本語の練習だけでも大変なことだったと思う。当時、とりあえずは中学校に入ればすぐに英語の授業があった私たち日本人が、高校2年生くらいで、きれいな英語で歌を歌えと言われたところで、それは無理だ、勘弁して欲しいと思ったに違いない。

それが、おそらく生まれて初めて聞くことになった日本語をメロディーにのせ、あれだけ美しい発音で歌えることが脅威なのだ。

疑り深い自分は、本当に偶然スカウトしたのだろうかと思ってしまう。コロムビアのポップス・フォーク部門として設置したDENONレーベルを軌道に乗せるため、来日前から、予め色々と段取り(人選や日本語を覚えさせることなど)をしてデビューをさせたのではないか、そんな風に勘ぐってしまうのである。

下衆の何とか、と言われそうだが、これが本当に何も知らず来日してきたハワイの女子高生によってなされたのだとしたら、当時の音楽業界のアクロバティックな動きは、ただ凄まじいとしか言えない。

 

「白い色は恋人の色」 北山修:作詞 加藤和彦:作曲 若月明人:編曲 ベッツイ&クリス:歌


花びらの白い色は 恋人の色

なつかしい白百合は 恋人の色

ふるさとの あの人の 

あの人の足もとに咲く 白百合の

花びらの白い色は 恋人の色

 

青空のすんだ色は 初恋の色

どこまでも美しい 初恋の色

ふるさとの あの人と 

あの人と肩並べ見た あの時の

青空の澄んだ色は 初恋の色

 

夕やけの赤い色は 想い出の色

涙でゆれていた 想い出の色

ふるさとの あの人の 

あの人のうるんでいた ひとみにうつる

夕やけの赤い色は 想い出の色

想い出の色 想い出の色

 

さて、この詞の内容は、男性側から書かれたものなのか、あるいは女性の側からなのか。北山修という人を「すごいなあ」と思わせるのは、どちら側からとも思える詞を書いていることだ。

この曲から1年半後に出された、同じ加藤和彦の作曲とのコンビで、自分たちで歌っている『あの素晴らしい愛をもう一度』も同様である。どちらかに限定されず、どちらからとも言える歌詞なのだ。

『白い色は恋人の色』では、私、僕、あなた、君、彼女、彼という言葉は使われず、「あの人」のみ、『あの素晴らしい愛をもう一度』では「二人」という言葉しか使われていない。そして、詞の言葉遣いは、どちらの曲にも「男性言葉」『女性言葉」は現れていない。

60年代の終わり、70年代の幕開け。「フラワー・チルドレン」という言葉が流行り出したこの頃の、時代性によるものかも分らないが、そういう特徴が、彼が作ったこれらの詞にはあると思う。

編曲の若月明人は、童謡や合唱、合奏曲の作曲、CMソングなどの作曲、編曲を手掛けた音楽家。NHK『おかあさんといっしょ』の中の『パジャマでおじゃま』は多くの人に知られている。

ベッツイ&クリスの話題に戻そう。今回YouTubeの映像を見て、私自身が判断したことなので自信はないが、歌の高音部をギターを持ったクリスが、低音部をベッツイが歌っているようだ。可憐なハーモニーである。

ベッツイは、あの『サウンド・オブ・ミュージック』のモデルとなったトラップ・ファミリー合唱団のメンバーの一人、ヘドウィグ・トラップが、合唱団解消後、ホノルルで児童合唱団を指揮していた時の教え子の一人だったという。

彼女は、ベッツイ&クリス解散後も音楽活動を続け、自分の娘とともに『ベッツイ&エマ』というデュオ・スタイルで近年日本のテレビ番組にも出演している。

一方のクリスは、ハワイの公立高校に通っていたが、元々の出身はアイダホ州ということである。確かに、映像を見る限りポテト・ガール(こんな言葉があるかどうかは知らないが)と言えそうな、素朴なお嬢さんである。

彼女は、今では音楽教師として勤務するかたわら、自らの声を披露するコンサートも時折開いているようだ。

二人の声を最初に聴いた中学2年生の時は、「ずいぶんお姉さんが歌っているんだなぁ」と思ったものだが、今回調べて自分より3級しか離れていないことを知った。もっとも、17歳と14歳、68歳と65歳では、同じ3年でも濃度と言おうか、その内容は著しく違うものだろうけれど…。


 


第423回:流行り歌に寄せて No.223 「夜と朝のあいだに」~昭和44年(1969年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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