第432回:流行り歌に寄せて No.232 「ちっちゃな恋人」~昭和45年(1970年)
カルピスのコマーシャルには誰が出ていた? と聞かれて、『オズモンド・ブラザーズ』の名前がすぐに出てくるのは、おそらく還暦過ぎの人たちだろう。
オズモンド・ブラザーズは、オズモンド家の9人兄弟(男8人、女1人)のうち、三男から六男までの4名(アラン、ウェイン、メリル、ジェイ)で、コーラスグループとして1958年(昭和33年)に結成された。(結成時点では七男のダニーは0歳児、八男のジミーは生まれる前)
1962年から1971年まで、アンディ・ウイリアムス・ショーにレギュラー出演をしており、1963年、アルバム『Songs We sang on The Andy Williams Show』で、レコードデビューを果たした。
その後、ダニーとジミーが加入するが、日本で『ジミー坊や』と呼ばれ愛された八男ジミーの加入は1967年、わずか3歳の時だった。
1969年4月に初めて日本を訪れ、フジテレビの『ミュージックフェア』などに出演、同年12月の同じくフジテレビの『夜のヒットスタジオ』ではこの番組の海外ゲスト第1号となった。
そして、長女のマリーも加えた7名で、1970年からカルピスのコマーシャルに登場するようになり、日本国内で大変な人気グループとなっていく。このコマーシャルはシリーズ化して何本も撮られるが、最初の方ではジミーの前歯は生え変わりの時期で、まだ生え揃っていない。
『ちっちゃな恋人』は、そんなジミーがまだ7歳になる前の1970年2月、アメリカでメンバーから離れ、ソロとして日本語歌詞でレコーディングしたものである。そして、4月には日本でレコード化され、堂々オリコンで2位を獲得する大ヒットとなった。
「ちっちゃな恋人」 なかやままり:作詞 井上かつお:作・編曲 ジミー・オズモンド:歌
ぼくはきみを きみはぼくを
ほんとにすきと かんじていたね
だからぼくは きみのことを
かならずまもってやるからね
だけどきみのまわりの
あいつも あいつも
あいつも あいつも
みんなきみがめあてさ
とてもしんぱいなんだ
ぼくがきみに キスをしたとき
きみはつよく かえしてくれた
だからぼくは きみのことを
かならずまもってやるからね
きみはぼくのこいびと
あいつも あいつも
あいつも あいつも
みんなねらっているけど
ぼくでなきゃだめさ
作詞のなかやままりという人の詳細は、今回わからなかった。作・編曲の井上かつおは、3ヵ月ほど前のこのコラム『白い蝶のサンバ』の項で紹介させていただいている。
さて、その後ジミーは1972年、8歳の時に出した『リバプールから来た恋人』(Long Haired Love from Liverpool)で全英1位(全米38位)を6週連続で記録し、全英チャート1位獲得の最年少記録を更新する。これは、未だに破られない記録としてギネスブックにも掲載されている。
そして、ソロ・アーティストとして6枚のゴールド・レコード、1枚のプラチナ、2枚のゴールド・アルバムを獲得した国際的なエンターテイナーとなった。
4年前の2017年には「50周年のワールドツアー」を行なったが、同年の9月2日には日経ホールで日本公演を開催している。そして、来日の際の記者会見では、日本語で「コンニチハ、元気ですか? 『カルピス~だ!』」と挨拶し、会場の和やかな笑いを誘う。
彼の音楽の根底には、デビューの舞台を与えてくれたアンディ・ウィリアムスの存在があり、来日公演の時にも彼に対する尊敬の気持ちを言葉にしていた。
その気持ちの表れとして、ジミーはアンディ・ウィリアムスの遺族の依頼を受け、ウィリアムスが1992年にミズーリ州ブランソンにオープンした「ムーン・リヴァー・シアター」を買い受け、運営をしている。
そして、そのシアターはジミーにより、2016年1月「アンディ・ウィリアムス・パフォーミング・アーツ・センター」と改名された。
デビューが早く長い期間活躍してきたが、まだ58歳。これからもまた、いくつかの話題を提供してくれることだろう。
第433回:流行り歌に寄せて No.233 「もう恋なのか」~昭和45年(1970年)
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