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第428回:流行り歌に寄せて No.228 「しあわせの涙」「幸せってなに?」~昭和45年(1970年)

更新日2021/09/09


マルベル堂のプロマイドと聞けば、私と同じ1950年代生まれまでの方々であれば、少なくとも1、2枚は購入されたことがあると答える方が多いと思う。

あれはブロマイド(bromide)が正しいとおっしゃる方も多いが、私たちにとってはプロマイドの方が耳にしっくりくるし、事実マルベル堂の商品名もプロマイドなのである。

最初は洋画のスターのものが中心に売れていたようだが、次第に日本の映画スター、売れっ子歌手、グループサウンズ、アイドルと、時代の変遷とともに売れ筋も変わってきているようだ。

1960年代末から70年代初頭にかけて、私たちミドル・ティーンを中心に人気のあったのは岡崎友紀と吉沢京子の二人で、プロマイドの人気を二分するほど売れていた。

それまでの美しく、手の届かないようなスターから、身近にいるような可愛らしい、いわばアイドルという概念が生まれたのは、この二人からであろうと言われている。

岡崎友紀が昭和28年(1953年)7月31日生まれ、吉沢京子が昭和29年(1954年)3月4日生まれ。年齢は違うが、同学年の二人である。

岡崎友紀は8歳の頃から『ピーターパン』を始め、『王様と私』『屋根の上のバイオリン弾き』などのいくつかのミュージカルに出演して活躍していた。

私が初めて彼女を見たのは、昭和41年のNHKのテレビドラマ『太陽の丘』。伊豆でユースホステルを経営する森繁久弥と久慈あさみ夫妻の三女役。続いて、昭和43年同じくNHKの『あねいもうと』での西尾三枝子の妹役。素敵な姉妹だったと記憶している。

明るく愛くるしい彼女の魅力は、男女を問わず多くのファンの心をつかみ、アイドルになっていく。そして、彼女の人気を決定付けたのは昭和45年の9月から放送されたTBSのテレビドラマ『おくさまは18歳』だが、その年の3月5日に歌手としてもデビューを飾ったのである。

 

「しあわせの涙」 後藤やす子:作詞 タマイチコ:補作詞 中洲朗:作曲 森岡賢一郎:編曲 岡崎友紀:歌 


どこまでもどこまでも 歩いていたい

ゆれて帆のない 小舟のように

あなたの瞳に ふれるとき

不思議な愛が 生まれるの

そんな時しあわせの 涙がもえる

 

いつまでもいつまでも あなたといたい

愛をささやく 小鳥のように

やさしい心が 好きだから

みんな知りたい 何もかも

そんな時しあわせの 涙がゆれる

 

このままでこのままで 連れていってね

風にまかれた 野バラのように

あなたの愛を 知ったとき

見知らぬ世界が ひろがるの

そんな時しあわせの 涙が光る

 

当時よく行なわれていた『週刊明星』が新人歌手の歌詞を公募した際、後藤やす子さんという人の作品が選ばれ、プロのタマイチコがそれを補ったものである。タマイチコは作曲の中洲朗こと長沢ローと組んで(編曲も同じく森岡賢一郎)、小川知子の『ゆうべの秘密』をヒットさせたことは、このコラムでもご紹介した。

長沢ローは、岡崎友紀が当時所属していた事務所の社長でもあった。

今聴き返してみても、伸びのある声で、初レコーディングとは思えないほど歌い方もうまく、岡崎友紀の個性が曲によく合っていて、素敵だなあと思う。

これほど「可愛らしい」という強いインパクトを持った人は、それまで現れなかった気がする。男女を問わず、今でも彼女のことを「友紀ちゃん」と読んでいるファンが多いことも頷ける。彼らにとっては、いつまでもたっても、彼女があの時のイメージのままなのだ。

一方、吉沢京子は12歳のときに『劇団ひまわり』には入り、少女モデルとしても活躍を始めた。昭和42年に東宝映画『燃えろ!太陽』で酒井和歌子の妹役としてスクリーン・デビューをする。

その後、スナッキーガールズに小山ルミらとともに参加して『スナッキーで踊ろう』を、プリマハムの新商品『スナッキー』のCMソングとして歌い踊るが、彼女の経歴にとってはたいへん異色な出来事だったようだ。

何と言っても、私が一番印象に残っているのが、TBSのテレビドラマ『柔道一直線』のヒロイン、高原ミキ(ミキッペ)である。桜木健一演じる柔道少年一条直也を健気に支える少女役だった。

その後、『柔道一直線』と同じ原作者の梶原一騎と、共演者の桜木健一とのNETのテレビドラマ『太陽の恋人』に、天地真理の役名で出演する。(余談だが、これは原作漫画そのままの役名であり、後に新人タレントとなる齊藤眞理の芸名として付けられて国民的アイドルになっていくので、あの一世を風靡した天地真理の名付け親は梶原一騎だと言える。)

沖雅也、仲雅美との共演で話題を呼んだ日本テレビのテレビドラマ『さぼてんとマシュマロ』など、次々と女優としての道を歩んでいくが、歌手としてのデビューを岡崎友紀からわずか5日遅れの昭和45年3月10日に果たしている。

 

「幸せってなに?」 岩谷時子:作詞 森本太郎:作曲 川口真:編曲 吉沢京子:歌


山の向こうには 幸せがあると

あの人は手を振って 行っちゃった

*きっと忘れない 迎えに来るよと

頬をつついたくせに 帰らないの*

夢のために 愛を捨てて

それでいいの? さびしいな

女の子だもの 泣いたりもあるわ

だけど愛していたから あきらめるの

 

(*〜* 繰り返し)

夢のために 愛を捨てて

幸せなの? あの人は

女の子だもの 手紙も欲しいわ

だけど愛していたから あきらめるの

 

奇しくも「しあわせ」「幸せ」という同じ言葉がタイトルに付く曲でデビューした両アイドルだが、詞の内容と曲調が対照的なのが興味深い。

作詞の岩谷時子と、編曲の川口真は、あまりにも有名なヒットメーカー。作曲の森本太郎は、あのザ・タイガースのタローで、名曲『青い鳥』の作詞、作曲も手掛けている。

続いて作曲を宮川泰に変えて『すっ跳べ青春』という曲も出し、その後も数曲吹き込んでいくが、いずれも大きなセールスにはならなかった。

親しみやすくて、明るいけれど穏やかで、優しい。優等生的なイメージが強く、歌手としては後から登場してくる天地真理、南沙織ら新しいアイドルと比較すると線が細すぎたのかもしれない。

しかし女優としては、東宝映画『父ちゃんのポーが聞こえる』での薄幸な少女を熱演し、テレビにも時代劇の町娘から、ホームドラマのヒロイン役など幅広い役をこなし、老若男女を問わず愛されるキャラクターとして末長く活躍した。

私が中学3年生の時、昭和45年のことであるが、初めて母がプロマイドを買って来てくれた。芸能界などをどちらかと言えば好まない母にとって、かなり珍しいことであった。そして、それは2枚あったのである。

1枚は、私が熱烈なサユリストであることを母は知っていたので、吉永小百合のプロマイドだった。そしてもう1枚は、なぜか吉沢京子のものだった。

「お母さん、どうしてこの人のを買ってくれたの? ぼくは特別に好きじゃないよ」と訊ねると、「プロマイド屋さんがね、今一番売れているからと言うんだもの、可愛いでしょ」と答えるのであった。

 


第429回:流行り歌に寄せて No.229 「圭子の夢は夜ひらく」~昭和45年(1970年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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