第150回:チャーリーとマリア、そしてリカルドとイザベル その3
レストラン『サン・テルモ』のイヴォンヌは先進テクノロジーを信奉するところがあり、また人間を信用する素朴な力を持っていたと思う。今ではレストラン向けのソフトなど腐るほど出回っているが、当時のスペインで、極端な想像が許されるなら、リカルドが『サン・テルモ』のために作ったプログラムが初めてのモノだったのでないかと思う。
イヴォンヌはリカルドの要望に応え、大きなメモリを持つパソコンにドンドン買い換えていった。リカルドはイヴォンヌに触発されたとはいえ、彼自身、自分にコンピューターを理解できる回路、能力があることを発見したのだった。
ディスコ『KU』のOriental Night Partyのポスター
(クリックでFull Moon Partyのポスター)
一度、リカルド、イザベルと連れ立って当時イビサで人気ナンバーワンだったディスコ『KU』に出かけたことがある。その晩は“中国の夜パーティー”があり、入場者全員何らかの東洋風衣装を身に着けることが義務付けられて?いた。
イザベルは私の日本の実家から送ってきた男物の浴衣を着込み、東洋風に化粧し、髪をアップにし、『カサ・デ・バンブー』のお箸を3、4本差込み、赤紫色のパレオを帯にして巻き、なにやら怪しげなインスタント・ジャポニカ・ファッションをデッチあげたのだった。
普段全く化粧をせず、ファッションにおよそ無頓着なイザベルが変身したのには驚いた。女性は化けることができるのだ。すでにお腹が膨らみ始めていたにもかかわらず、アレッ、オッと思わせるほど魅力的になったのだ。リカルドは甚平、私はステテコと、仮装にもなっていないいで立ちで出陣したのだった。
リカルドとイザベルの家は、イビサからサン・アントニオを結ぶ主要街道から数百メートル山に入った傾斜地にあった。レズビアン・バー『オベッハ・ネグラ』(Obeja Negra;黒い羊)をやっていたアイリーンがアイルランドの女性設計家、建築家に建てさせたもので、相当な急斜面の岩に張り付くように建てられていた。その家をリカルドとイザベルは買ったのだった。
どこの部屋からも息を呑むほどの眺望が開けている造りだった。斜面に建っているのだから、当然階段が多く、どこへ行くにも何段か上り下りしなければならない。そして、トイレ以外には一枚のドアもないという造りだった。
イザベル曰く、“ムチャス・ファンタジアス、ナダ・デ・プラクティコ」(Muchas Fantasias, Nada de Practico.;とても幻想的だが、まったく実用的でない)”の家だとなる。リカルドの一番の気がかりはお腹が張り出てきたイザベルが階段で転ぶ危険性があるということだった。それにしても、どこか飛んだところのある二人にはとても似合った家のように思えた。
イザベルは階段から転げ落ちることなく、女の子を産んだ。クラウディアと名づけられた赤ん坊は“玉の子”という表現がピッタリと当てはまった。あんなに可愛い光り輝くような赤ん坊がリカルドとイザベルから出てきたのはイビサ七不思議の一つとさえ噂された。
クラウディアにメロメロのリカルドに対し、イザベルは大げさな感情表現を見せず、しかし愛情あふれる鷹揚でゆったりとした態度に終始し、とても良い母親ぶりだった。育児の過程で、イザベルが大声を上げてクラウディアを叱ったことなどなかったと思う。
リカルド一家は孫の顔見世のためシカゴの実家に帰った。シカゴで数週間過ごして、戻ってきた時のイザベルのアメリカ談は、アメリカを知らない人が聞けばホラだと思ったことだろう。リカルドの実家はスペインなら何とか公爵、伯爵の館のようで、まるでシャトーごときの大きさで、また車の大きさたるやスペインの貨物トラックが小型車に見えるほどで、しかもそんな車が3台もあり、スーパーマーケットは中で簡単に迷子になるほどの広さで、車なしではどこにも行けず、森も広大なら(イビサに森に比べると)湖(ミシガン湖)はまるで地中海のようだ…と語るのだった。
しかし、聡明なイザベルは、自分が生活し、クラウディアを育てるには小さなコミュニティーの中のほうが良いと見抜いていたようだ。決定的だったのは、シカゴの実家近くの公園にクラウディアを連れて散歩に出て、クラウディアを自由にヨチヨチ歩かせ、走り回らせていたのを、リカルドと彼の両親に厳重に注意されたことだった。
アメリカには幼児誘拐が多く、こじれた幼児セックス愛好者がウヨウヨいるから、いつも子供とは手を繋いで歩かなければならない…と諭されたのだった。放任主義の極みだったイザベルにとって、シカゴ郊外はクラウディアを育てる所ではなかった。
リカルドは大学に戻り、コンピューター・サイエンスの学位を取ることになり、イザベルとクラウディアはイビサにベースを置き、大西洋を挟んで長距離を行ったり来たりの夫婦生活を開始したのだった。
『カサ・デ・バンブー』のすぐ下に広がる石ころビーチ
リカルドが不在の時、イザベルはよく『カサ・デ・バンブー』にクラウディアを連れてやって来た。連れてというのは当たらないかもしれない。イザベル一人でブラッという風に現れ、「アレッ、クラウディアは?」と訊くと、「石ころビーチで一人で遊んでいるから、今に来るわよ…」と平然としているのだった。それがヨチヨチ歩きの頃からの習慣だった。
クラウディアは確かに変わった娘だった。赤ん坊の時から自分の世界を持っていたのだと思う。『カサ・デ・バンブー』で他の客に抱かれ、キスされるとはにかむ様子をみせ、微笑むが、かまわれるよりは放って置かれる方を、一人で石ころや貝殻を拾う方が性に合っている風だった。
リカルドとは彼がイビサに帰ってくる度に会っていた。そしてその都度、彼が兵役拒否のヒッピー崩れからハイテック関係の先端を行くアメリカの遅れた青年に変わっていくのを目の当たりにした。
「俺、今までイビサで何をやっていたんだろう…。ここは1シーズン気楽に過ごすには最高のところだけど、この島にいては何もできない、発展しない、生まれない。イビサを出て現実の社会と関わらなければ、自分を伸ばすことなんぞできない…」と、すでにイビサに半分骨を埋めかけていた私の耳に痛いことを言うのだった。
私としては、「何を言ってんだリカルド、イビサに流れ着いたおかげでイザベルと出会い、ここでクラウディアを授かったではないか…」と言い返すのが、精一杯だった。
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