第106回:ハマると怖い“カジノ狂騒曲”
CASINO de IBIZA
イビサにカジノを持ち込む計画が持ち上がった時、それはそれは賑やかに世論が沸きました。第一、カジノなどはヨーロッパ中どこにでもあり、とてもカジノで観光客を呼べる可能性は微塵もなく、太陽とビーチ、ナイトライフはディスコ、クラブと申し分ないほど整っているのだから、何を今更カジノでもないだろう、それにイビサに来る北ヨーロッパ人の誰がワザワザそんなところに行くものか…と、反対論の方が圧倒的に強かったのですが、隣の島マジョルカにも、アンダルシアのマルベージャにも、マドリッド、バルセローナにも、続々とオープンしたのに、イビサも時勢に乗り遅れまいとしたのでしょうか、港の対岸、ディスコ『パチャ』と『チャーリー・マックス』の間に割り込むように、カジノ、サラ・デ・フィエスタ(Sala de fiesta;フラメンコや奇術を観ながら食事ができるパーティールーム)、レストランを含んだ立派なカジノが建てられたのでした。
どこから回ってきたのか記憶にないのだが、地元で観光客相手のショーバイをしているとみなされた私の元にもオープニング・パーティーの招待状が舞い込んできたのだった。
当日、そこに招待されたのは、旅行代理店のオーナーやマネージャー、ホテル関係者、地元の者ばかりだった。カジノ側にしてみれば、カモを送ってくれる関係者を盛大に招待したのだろう。そんな思惑は全く外れたが、カモになる観光客を送るはずの地元関係者がギャンブルにハマり込んでいったのだった。
私は賭け事をしたことがなく、マージャンすらできない。ところが、カジノにハマってしまったのだ。今思えば、あれは一体なんだったのだろうと思う。ギャンブルの持つ強い魔性に憑りつかれたとしか言いようがない。はじめは、ルーレットやブラックジャックでも小さく賭け、ビギナーズ・ラック(初心者のツキ)で勝ち続けた、巾着に勝った分の資金を溜め込み、その中だけで勝負していたうちは良かった。
理屈で考えるまでもなく、あれだけ大きな建物、100人以上の従業員を抱えているのだから、素人のギャンブラーが勝つわけがないのは自明の理なのだが、一旦ノメリ込むとそんなことは脳裏のどこにも浮かばず、いつかはまた運が向いてくる、この数日の負けは、一度のチャンスで取り返せる、と思ってしまうのだった。まさに狂気の沙汰だ。
じき、その日の売り上げを握り締め、店を閉めるや否や、おんぼろスクーターに跨り、カジノに乗り付けるようになってしまったのだ。これは立派な中小企業の危機だった。
カジノ・デ・イビサ内部(ルーレット、ブラックジャック、バカラ、何でもある)
そして、周りを見ると、みな地元の者ばかりで、観光客など皆無なのだった。それも、申し合わせたように、仕事に疲れ、この太陽が燦燦と降り注ぐ島にあって青白い顔に薄っすらと脂が浮いた退廃的な表情の御仁ばかりなのだ。カジノがオープンした年に、いったいいくつのショーバイが破産したことだろう。どうにもスペイン政府は、小さなショーバイはどうにも税金を取りにくい、いつもやつらは誤魔化してばかりいる、かくなる上はカジノで吸い上げてやれ…と画策したとしか思えないほどだ。
カジノ側でも心得たもので、私たち常連(いつも負けている)には、賭博場の主任がカクテルやシャンパンなどをサービスし、もてなすのだった。私たちは、「今日のカクテルはXXXXペセタについたぞ、こんな金額を払うなら、王侯貴族並みのレストランで食事ができたぞ…」と、自嘲するのだった。
私のように、毎日の売り上げが多少なりにあるショーバイの人間にとって、近くにカジノがあるのは悪夢に近い。いくら、もう止めようと思っても、昨日は粘り過ぎたから負けたのだと自分に言い訳をし始めるのだ。ルーレットは0と00があるから、それは赤、黒に入らず、また偶数、奇数にもならないから、その分だけ親、ディーラーが有利になっている。従って回数を重ね、何度も、何十回もやると平均化され、親が絶対に有利になる。そこで、狙い目を決めたら、そこだけで勝負し、当たっても外れても即止める、帰る…と決意するのだが、賭博場の雰囲気というのか、それに呑まれる自分の意思の弱さというのか、どんな決意も微塵に砕け、ウダウダと続け、スッテンテンになるまで続けてしまうのだ。
ドストエフスキーの小説『賭博者』は、彼自らの体験を基にして書かれている。実際、彼自身狂ったように賭博にノメリ込み、自滅の道を転げ落ちていった。不当な出版契約に縛られた彼は、当時まだ一般的には使われていなかった口述速記で、たった27日間で『賭博者』を書き上げている。地獄に落ちても底から這い上がれる者を、人は天才と呼ぶのだろう。もちろん、私にそんなワザはない。
私と言えば、カサブタがポロリと剥がれるように、カジノ、ルーレットやブラックジャックに興味がなくなり、一度足を洗ってからは二度とカジノに足を踏み入れたことはない、と偉そうにとても言えない事情、現実があった。シーズンオフになり、『カサ・デ・バンブー』を閉めると、日銭が入ってこなくなる、カジノに行こうにも行けなくなっただけのことだった。
それまで、毎年のようにシーズンオフには長い旅行をしていたのがそれもできず仕舞いだった。私は自分の愚かさをジットリと身に染み込ませ、その冬をどこにも行かず、侘しくイビサで過ごしたのだった。
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