第135回:ヴィノ・パジェッス(農民ワイン)の思い出
お国自慢は排他的に走らない限り、そして明るく語られる限り楽しいものだ。だが、往々にして、お隣の国、県、町をケナシ始めると、鼻につき、うんざりさせられる。大学の寮で県人会(賢人ならいいのだが…)というのがあり、やたらにツルミたがる県人と、そんなことに見向きもしない県人があった。長州、山口県人会は明治維新の功績からだろうか、とても盛んで、私の出身地、北海道の道人会は何かやっていたのかもしれないが、一度も行ったことがない。私の中に、狭い日本をさらに47にも分けて何を肌寄せ合って何をゴチャゴチャ言っているんだ…という感情があったのだと思う。
お国自慢はアメリカにもある。初対面の人に宗教、政治の話題を持ち込むのはほぼ厳禁だが、まず気軽にどこの州からやってきたのか…が話題の糸口になる。モビリティが高く、よく職を変えるアメリカ人はすぐに、ああ、そこに住んだことがある、叔父、叔母、親類や兄弟がそこにいる…と、話が弾むのだ。だが、日本でのお国自慢のように、代々そこに棲みついていた、根っこが生えるほど、先祖代々その土地にいた…というようなことはない。
私の連れ合いの弟は、カンサスシティーからオレゴン州に越し、すでに40年になるが、ミズーリー州のカンサスシティーは、ただ彼が生まれたところで、オレゴン州が気に入り、定年退職後もそこから動く気配はない。子供たちもオレゴンで生まれ、オレゴンで育った、生粋のオレゴン人だ。妹もシアトルが彼女に最も合った街だと言い切り、そこから越すことなんて想像外のことだと言うのだ。
“ヴィノ・パジェッス(vino payés;地ワイン、農民ワイン)”
ポロン(porrón)を使ってワインの廻し飲み
そこへいくと、イビセンコ(Ibicenco;イビサ人)が島の外の大都会に職を求めて移住している例もあるにしろ、心はイビサに置き残してきているような感じがする。また、多くのイビセンコはイビサから引っ越したり、一時的にせよ他の土地に住んだこともない。それでいて、イビサみたいなところは他にない、自然の美しさ、気候の良さ、食べ物の美味しさ、ワインも最高だ、とやるのだ。パーティーと言っても、三々五々寄り集まって海岸っプチや森で、グリル、バーベキュー、焼肉、そして地酒や地ワインを飲むだけなのだが、今年のブドウのできは良かった、悪かったと、“ヴィノ・パジェッス(vino payés;地ワイン、農民ワイン)”の品評試飲会が始まるのだ。
ご自慢のヴィノ・パジェッスは血統書付きのブドウの品種、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニオン、メルローなどではなく、代々引き継いできた土地に生えている何本かのオリーブの木と同様、十数本程度半ば野生化したブドウの木の実だから、そこから採ったブドウは濃い渋みがある。ワインにも渋みが残り、酸が強い。750ccの瓶に詰め、ラベルを貼って売り出せるような代物ではない。従って、ヴィノ・パジェッスは酒屋で買えない。カンポ(田舎)に土地を持っているイビセンコが醸造したものを、藁コモが被った5リットル入りの瓶に入れて、持ち寄るのをご賞味させてもらうしかない。そんなワインだから、1年で飲み切るのを良しとし、数年寝かせてコクが出てくるモノではなく、酢になるだけだ。
イビセンコの集まりに呼ばれる時、私は店に買い置きしてある少し上等のワインを2、3本持っていくことにしていた。リオハ(Rioja)産の“マルケス・デ・ムリエタ(Marques De Murrieta)”か“ヴィニャ・ポマール(Viña Pomal)”あたりのクラスだ。すると、イビセンコたちは、「こりゃ、悪くないな…」と言いながら、真っ先に飲み、まず、リオハ・ワインを空にし、それから、ヴィノ・パジェッスに取り掛かるのだった。
私のような下戸(ゲコ)でさえ、リオハを口に含んだ後でヴィノ・パジェッスを飲むと、コクというのだろうか、絶望的なくらいの差が判るのだ。イビセンコ自身、経歴の知れないブドウの品種で作ったワインはどうやっても、リオハやヴェガ・シシリア(Vega Sicilia https://www.temposvegasicilia.com/)のクラスにならないことを十分知っている。
それでいて、イビセンコは「今年の俺のところのヴィノは近年まれみる上物だ…」とやるのは、“目の前に瓶があり、自分が手にしているグラスに入っているワインが最高だ”という現状肯定の哲学?が身体に染み込んでいるからだろう。テーブルの上に載っていないワインと実際に飲んでいるヴィノ・パジェッスと比較するのは、人生の楽しみ方を知らない愚か者のすることだ…とでも思っているのだ。
自分の土地にあるもので満足するのは一つの立派な生き方ではあるが、より良いものを求め、作り上げていこうという意思のないところに進歩がないことも事実だ。
近年では農民ワインのコンテストが開催されているようです。
サン・マテオのヴィノ・パジェッス祭りのコンテスト風景
La Festa del Vi Pagès en Sant Mateu(Diario de IBIZA;09/12/2017)
日本帰って驚くことは、世界中のありとあらゆるモノが手に入り、帰る度にトレンド、ハヤリが目まぐるしく移り変わっていることだ。ワインだけではなく、万事すべてがマスコミが作り出したトレンドに流されているように映るのだ。ある年に“ボジョレー・ヌヴォー(Beaujolais nouveau)”が浮名を流し、大枚をはたき空輸してまで売り出していた。しかも、品切れになる売れ行きだった。新しいモノ、珍しいモノに飛びつく軽薄な精神を見る思いがした。
木陰に持ち出したテーブルで、濁った、渋みの残るワインの品評会ならぬ、飲み喰い会が懐かしく思い出されたことだ。イビセンコはガンコ、保守的、現状肯定、進歩がないことを認めても、彼らは自分が育った土地にしっかりと両足を踏ん張って立って生きているように思えるのだ。もっとも、野良仕事で薄茶色に日焼けした顔をほころばせ、食後には大地にシカと立っていることもままならず、思い思いの日陰にゴロリと転がり、シエスタに入るのだが……。
後記:
“ヴィノ・パジェッス”は瓶詰めされイビサ以外の地域で売られることはない…と書いた後で、調べたところ、私が島を去ってから十数年後、“イビサワイン”(パジェッスではない)が流通し出したことを知った。オランダ人とドイツ人がシャルドネとカベルネ・ソーヴィニオンの苗木をサンアントニオ郊外に持ち込み、ワイナリーを始めたのだ。その名も『カン・リッチ・ ワイナリー(Bodegas Can Rich)』と名付け、ブドウ畑をどんどん広げている。もう一つイビサ島の弟のようなすぐ隣にある小さな平らな島フォルメンテーラ(Formentera)にも2000年に『テラモール(TERRAMOLL)』というワイナリーが生まれた。
干乾びた木の根っこのような先祖代々のブドウの木は、血統書付きの品種の苗木にとって変わられているのだろうか。秋の日差しの木陰で、持ち寄った渋みの抜けないヴィノ・パジェッスを飲み交わした日々を忘れることができない。そして、そこで飲んだヴィノ・パジェッスは53年物の“ロマネ・コンティ(Romanée-conti)”以上に(未だ飲んだことなどないのだが…)、最高のワインだったと思えてくるのだ。
-…つづく
第136回:“イエルバス・イビセンカ” のこと
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