第148回:チャーリーとマリア、そしてリカルドとイザベル その1
回転式のローストチキン・マシン(参考イメージ)
チャーリーとマリアは船着場の向かいの袋小路で鶏の丸焼き屋をやっていた。串刺しにした鶏がゆっくりと回りながら焙られ、ジュックリ火が通るまで焼かれ、その匂い、香りが袋小路に充満していた。鶏焼き機というのか、ローストチキン製造機はガスストーブを縦にしたような構造で、串に刺された鶏が4、5羽づつ、3、4段の高さで焼かれていた。時々、一番下の串を上の段に移動したり、下に落ちた肉汁、脂、ソースを大きな刷毛で塗るのが仕事といえば仕事のようだったが、一旦裸の鶏をセットすると、後はローストマシンがやってくれる。
鶏の丸焼き屋なのだが、申し訳程度に3、4脚ほど丸テーブルを舗道に出している、もっぱらお持ち帰りだけを対象にしていた。売るのは1羽丸ごとか半身だけで、しかも売り切れたら店を閉める方針だった。もう1ラウンド焼くという発想さえないようだった。
チャーリーがアメリカ人であることは、彼の発音からすぐに知れた。おそらくスペイン人の奥さんのマリアとも英語でしか話さないのだろう、彼がスペイン語を口にしたのを聞いたことがない。小柄でしかもやせ細った身体に、白髪が勝った頭髪、面長な顔で、どこから見てもタフなアメリカ人のイメージからかけ離れた容貌の持ち主だった。
一方のマリアも小柄で、白髪交じりの黒髪を後ろで束ねていて、全く化粧気はないが、目鼻立ちのはっきりとした美人だった。二人ともとても静かな声で会話し、どこか教養の深さを感じさせた。その当時、スペイン人でマリアほど綺麗な英語を使う人は非常に珍しかった。後で知ったが、少女時代、イギリスの全寮制の学校に入れられていたということだった。
マリアはいつも落ち着いた物腰でお客さんと対応し、アツアツの丸鶏を蝋引きの紙に包み、白い不透明のビニール袋に入れて手渡すのだった。情熱的といえば聞こえは良いが、大げさな感情表現で、やかましいセニョリータ、セニョーラばかり目にした後で、マリアの淡々とした静かさは新鮮に映った。
当時、イビサにはローストチキン専門店が他にはなかったと思う。レストランでポジョ・アサード(pollo asado;鶏の半身、4分の1身、足をオーブンで焼いたもの)はあったが、チャーリーとマリアのところのように、焙るようにゆっくりと脂を落としながら、そしてソースをかけながら焼き上げる本格的なローストチキンはなかったと思う。当然よく売れ、大人気になっていった。
ビーチにある浜の家的カフェテリアやホテルから、大量に卸してくれと注文があるのだが、チャーリーは“卸”には全く目を向けず、自分のところで売るだけ、しかも定量を売り切ったら、“本日の営業は終了しました。明日おいでください”の札を出し、稼ぎ時のハイシーズンでも昼の1時頃には売り切れ、閉店にしていた。
イビサのカフェテリア、レストラン、ホテルなどはヴァカンス客相手の半年ショーバイで、その間無休で働く。冬場に半年近く休めるのだから、夏の稼ぎ時には働け、働けとなるのだ。ところがチャーリーの方針は違った。ハイシーズンの夏場でも、日曜日には閉めるのだ。彼らが特別宗教的で、安息日を守る厳格な宗派に属しているのではなく、チャーリーによれば、人間の体は半年がむしゃらに働き、後の半年を仕事をせずにぶらぶらするようにはできていない、一定のリズムで生活するのが一番良いのだ…と、およそ季節的観光地向きでない主義で生活しているのだ。それでいて、冬のオフシーズンには、ピタリと店を閉めていた。
朝のコーヒーはBar Estrellaのテラス席が定位置だった
チャーリーとはバール『エストレージャ(Estrella)』のテラスでよく一緒に薫り高いコーヒーを飲んだ。チャーリーは朝、鶏にスパイス、塩、ハーブをふり掛け、彼曰く“マッサージ”してやり、鉄串に刺し、ローストマシンにセットし、それに火を入れると一段楽するのだろう、それからゆっくりとコーヒーを楽しむのが日課なっているようだった。
一度、「チャーリーにもう1台か2台ローストマシンを増やし、スペイン人の男の子一人雇えば売り上げは倍増どころか数倍に跳ね上がるのは確実だ、どうしてそうしないのだ」と、何度か“売り切れ”に遭い、私の昼食の予定を狂わされた時に、余計なことだとは知りつつ注言したことあがる。「そりゃ、お前がやるんなら、そうするけど、ヤルカ?」と切り替えされてしまった。チャーリーはこれで充分やれているのだから、それ以上何を望むのだ…という安定した生活態度、リズムを持っていたと思う。
マーティンの居酒屋『タベルナ(Taverna)』で仕入れたゴシップによると、ハリソン(No.129「アパートの隣人、這い這いハリソン」)が伝授してくれた情報だと記憶しているのだが、チャーリーはベトナム戦争の退役軍人で、戦車隊の長というのだろうか、何台かの戦車を指揮する少尉だか中尉で、偉い勲章をいくつも貰っているベテランだと知った。やせぽっちで静かなチャーリーが、汗まみれの軍服を着て、戦闘に参加する姿は想像しにくかった。「あいつは、素晴らしい年金を貰っているから、何もこんなところでローストチキンなんか売らなくて良い身分のはずだ」と、ハリソンはうらやましげに付け加えていた。
それから2年後だったと思う。チャーリーは癌で亡くなり、イビサで唯一だったと思うのだが、ローストチキン、脂は抜けているが肉はジューシーなローストチキンを食べることができなくなった。もっとも、すぐにチャーリー方式の店が数軒生まれたが…。
朝、鶏をセットし終わり、バール『エストレージャ』のテラスでカフェ・コン・レチェを飲みながら、チャーリーが「俺のように体のないものは、狭い戦車に向いていただけだ。今、思えばありゃ悪夢だった。いつかかの国に戻り、償いをしたいとは思っているけどね…、もっとも、俺にできることなどあまりないけどね…」とつぶやいていたのを思い出す。
-…つづく
第149回:チャーリーとマリア、そしてリカルドとイザベル その2
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